日本フィル・第725回東京定期演奏会
19日の読響定期に続き、20日は同じサントリーホールで日フィルの東京定期を聴きます。こちらも当初の予定から出演者・演奏曲目が一部変更されてのプログラムでした。
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
~休憩~
リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」作品35
指揮/小林研一郎
ピアノ/清水和音
コンサートマスター/木野雅之
ソロ・チェロ/菊地知也
確か本来は首席指揮者インキネンのベートーヴェン・シリーズだったと思いますが、後半は思い切り替わってシェエラザード。どちらかと言えばコバケンさんの演歌スタイルが苦手な私ですが、これは嵌りましたね。マエストロの至芸に脱帽してきました。
皇帝とシェエラザードという組み合わせに格別な意味は無いと思いますが、日本楽壇を代表する二人の芸術家の組み合わせ。それをお腹一杯堪能するコンサートでしょう。それ以上付け加えることもありませんが、いくつか記憶の為に気が付いたことを記録しておきます。
最初に目が留まったのは、日フィルの通常の弦の並び方に変更があったことで、チェロが右端に出てヴィオラと入れ替わっていました。そもそも日フィルは定期演奏会がサントリーホールに移ってからはこの並びだったと記憶しますが、チェロが中に入ってヴィオラが右端に出る現在の形になったのは、小林音楽監督の時代、ブルックナーを演奏する時にコバケン氏の提案で変更されたと記憶しています。それが今回、再び氏によって以前のスタイルに戻された格好。もちろん今回だけの措置だと思われます。
これは私の想像ですが、皇帝とシェエラザードは共にチェロのソロが活躍する箇所がある。シェエラザードは有名ですが、皇帝でも第1楽章に4か所、首席チェロ奏者だけが弾く場面があって、音量的には余程注意しないと気が付かないのですが、視覚的に大変効果があります。チェロがより客席に近い位置にいることで、客席からもハッキリ認識できるようになる(席によっては却って見難くなるかも知れませんが)。何より演奏効果を重視するマエストロの拘りと見るのは間違いでしょうか。
清水和音の皇帝は、この夏ミューザ川崎のサマーフェストでも(オンラインでしたが)聴いたばかり。実に楽々と、それでいて堂々とスタインウェイを鳴らすのは正に巨匠の芸でしょう。
この1曲で満腹感充分でしたが、何とアンコールにショパンの英雄ポロネーズという大サービス。その昔、アルトゥール・ルービンシュタインがブラームスの第2協奏曲をメインで弾いた後、アンコールの連続。その白眉に弾いて見せた英雄ポロネーズと、客席の歓呼に応えるガッツ・ポーズを思い出してしまいました。このヴィルトゥオーゾ名作をアンコールで聴くのは久し振り、豪華過ぎるデザートでしたね。
後半はコバケン節炸裂。但しいつもと違うのは、指揮台と奏者の間が大きく開けられていたことで、もちろんソーシャル・ディスタンスに配慮してのことでしょう。小林研一郎と言えば指揮中の唸り声が有名で、飛沫感染を極力避けるという意味が込められているのかも。そもそもコバケン氏はプレイヤーとの間隔を密にし、奏者との触れ合いを大切にする指揮者。そのマエストロにとっては苦渋の選択でしょうが、指揮中もマスクを着用したままでした。
これに伴って弦楽器は全て1プルト、乃至は2プルトが減じられていて、ファースト・ヴァイオリンは6プルト、チェロとコントラバスも3プルトしかなかったと思います。私の耳には、それでも音量的には過不足なく聴かれました。
マエストロは確か80歳を迎えたはず。とても傘寿とは思えない運動能力で、小走りに指揮台に飛び乗り、膝を深く屈伸し、リンボーダンスさながらに体躯を大きく反らして振る姿には羨望を覚えるほど。日頃ゴルフで鍛えた体形が、ここに来て断然威力を発揮し始めたという印象ですね。第2楽章のファゴット・ソロは、尻振りダンスでの指揮。
音楽も相変わらず独自の世界。私は作品によっては時々付いていけなくなるのですが、シェエラザードには文句の付けようがありませんな。シェエラザード姫に合いの手を入れるハープも、毎回のように表情を変える。圧巻は第3楽章「若い王子と王女」で、その出だしのフレーズからして独特。単なる8分の6拍子のアウフタクトとは捉えず、メロディーの頭の2音(シードー)を引っ張ること引っ張ること。
もちろんここだけじゃありません。練習記号D、小太鼓の入りは頭の1音を強めに叩き、そのあと直ぐに音量を落とす心憎さ。確かにスコアを確認すると、この小太鼓は p に続いて dim (ディミニュエンド=音量を落とすの意味)と指示されているではありませんか。
練習番号Nのホルン。あれ、どうやって演奏したんでしょう。前半と後半で音色に変化を付け、後半は弱音器を付けていたのでは? 私の席からホルンは殆ど見えないので、有料配信のチケットを購入して復習してみようかな。
他にも聴いたことの無いようなヴィオラのアクセントなど、正にこの日のシェエラザードは「小林研一郎版」と言って良いような独自の解釈に満ちていました。満腹度150%でしょうか。
流石にマスク越しでは恒例のスピーチは無いと思いましたが、そこはそれ、マイクを使うという新技で挨拶。客席からの眼に見えない波動のようなものが演奏を後押ししてくれた、のだそうです。
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