読売日響・第609回定期演奏会
3月4日、読響定期を聴きに赤坂に向かいます。この日は夕方まで新宿にいたので、久し振りに電車でサントリーホールへ。
新宿で東京メトロ丸の内線に乗り、昔懐かしい赤坂見附で銀座線乗り換え。一つ隣の溜池山王で下車しましたが、通い慣れた頃とは若干様子が変わっていました。あれ、降りる階段を間違えたのかなと思いましたが、ホールまでの長い通路を見付けて記憶が戻ってきます。溜池山王駅って何時以来なんだろうか。時間が少し早かった所為もありましょうが、溜池山王界隈もかつての賑わいからは程遠い印象でしたね。
読響のシーズンは4月スタートですから、3月定期は2020-21シーズンの最終回。散々なシーズンでしたが、第609回は当初に発表されていたものから変更は無かったと思います。以下のもの。
ウェーベルン/パッサカリア作品1
別宮貞雄/ヴィオラ協奏曲
~休憩~
グラズノフ/交響曲第5番変ロ長調作品55
指揮/山田和樹
ヴィオラ/鈴木康浩
コンサートマスター/長原幸太
ルールに従って手指消毒、検温、チケットもぎり、プログラムを自ら取ってホールに向かうと、意外な顔、久し振りにお目に掛かる大先輩にも遭遇。彼らが大ファンだというこの日のソリスト、「ヤス」についての話題でも盛り上がります。時空を超えた一時を暫し楽しみ、客席へ。
この日は同オケの首席客演指揮者を務める山田和樹が振りますが、彼はベルリン在住の筈ですから、2週間の待機期間を経て「来日」されたのでしょうか。今回は3種類のプログラムを4回、国際人らしく、イタリア、アメリカ、南米、ドイツ、北欧、ロシア、日本と、多彩な作品を並べてきました。定期では、彼のライフワークでもある日本人作品の再演に取り組むのが最大の聴き所でしょう。
こうしてプログラミングを見ていても、3曲に共通点があるようには見えません。敢えて言えば、ナマのコンサートでは余り聴く機会が無い作品を並べたということでしょうか。
3曲の中で比較的演奏される頻度が高いのがウェーベルン。それでもウェーベルンは以前ほどには演奏されなくなったように思いますがどうでしょうか。個人的な記憶を遡れば、パッサカリアを聴いたのは遥か昔、未だN響の定期会員だった学生時代にディーン・ディクソンの指揮で聴いて以来じゃないかしら。現代音楽オタクだった若い頃を思うと、随分年を取ったな、という苦笑も出てきます。
今や、ウェーベルンは現代音楽じゃない。というのが久し振りに聴いた感想で、そもそも山田和樹はウェーベルンの没後に生まれています。冒頭の弦のピチカート ppp を殆ど聴き取れないほどの弱音で始め、変奏を重ねる中で何度か登場する音量的クライマックス fff との対比を際立たせる。
そのしなやかなタクトは、肩の力が抜け、まるでブラームスでも振っているよう。若い頃に身構えて聴いたウェーベルンとは相当に趣が違う印象でした。
続いては本日のハイライト、日本人作品の貴重な再演です。
日本人作曲家と言えば、つい先日、尾高淳忠氏の訃報に衝撃を受けました。氏の作品は最近まで比較的多く聴いてきましたし、その姿は色々な機会に客席でもよくお見かけしたもの。確か2月16日に亡くなられたと思いますが、この日は奇しくも父君である尾高尚忠氏の御命日でもあったはず。今年は尚忠氏の没後70年にも当たっていますから、何という奇遇でしょうか。
尾高氏にもう一言触れれば、これを書いている今日(3月5日)と3月6日、氏の最新作となるチェロ協奏曲が札幌交響楽団の第635回定期演奏会で世界初演されます。宮田大のチェロ、弟君の尾高忠明の指揮で演奏されますが、忠明氏はどんな思いでタクトを取るのでしょうか。尾高淳忠氏の白鳥の歌、出来れば札幌に飛んでいきたい。
そんなことを思いながら、別宮貞雄のヴィオラ協奏曲を聴きます。事前に予習と思ってスコアを取り寄せようと思いましたが、何と今は絶版。買えるときに買っておけばよかったと悔いますが、後の祭り。全音楽譜さん、一刻も早く絶版状態を解消してください。現在はオンデマンドという出版方法もありますし、PDFでのネット販売という技術もあるのですから。
確か初演者によるCD録音があったと思いますが、何処に埋もれたのか探し出せません。ということでぶっつけ本番、作品はもちろん、生演奏でも初体験となりました。スコアが手元に無いので楽器編成だけでも記録しておきましょう。独奏ヴィオラの他は、
フルート2(ピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器(大太鼓、中太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、タンブリン、トムトム、ボンゴ、ヴィブラフォン、シロフォン)、チェレスタ、弦5部。
作曲は1971年、初演者でもある今井信子に献呈され、急緩急の3楽章構成。第1楽章はアダージョの序奏部とソナタ形式の主部。第2楽章アダージョ・アフェットゥオーソ、第3楽章もアンダンテの導入部とソナタ形式の主部から成る由。初演は1971年10月28日の放送で、今井のソロ、若杉弘指揮N響でした。公開演奏会では、1972年3月3日、東京文化会館で同じく今井のヴィオラ、森正指揮N響だったそうですが、私は当時東京を離れていて聴くことは叶いませんでした。
因みに作品の演奏記録を繙くと、1974年2月のN響定期でも取り上げられており、この時は岩城宏之指揮・江藤俊哉のソロと記録されています。エッ、江藤さんてヴィオラも弾いたんでしたっけ、録音が残っていれば是非聴きたいものです。
別宮と言えばミヨーとの交友が有名で、以前に都響が開催していた作曲家の個展シリーズで別宮を取り上げた際にも話題になっていたことを思い出しました。
初めて接したヴィオラ協奏曲、1970年代は現代音楽でしたが、半世紀を経て最早古典名曲の一つになったという感想。メシアンとミヨーから絶賛されたというオーケストレーションは、誰が聴いても日本の作品だということが判るでしょう。個人的には、第2楽章の美しさに最も惹かれました。名手・鈴木康浩の滑らかなソロと、仲間を支える愛情に満ちた山田/読響も作品の真価を捉える好演だったと思います。
休憩を挟んでのグラズノフ。戦前は我が国でもグラズノフの交響曲が時折演奏されていたようですが、戦後は全く忘れ去られ、漸く最近になって復活してきた作曲家。特にラザレフが積極的に紹介してくれたことで、今回の第5交響曲も良く知られるようになりました。
ラザレフは2003年に読響定期で取り上げましたし、2016年には日フィル定期でも演奏。私は両方とも聴く機会を得ましたし、2010年に大阪シンフォニカー(当時)の東京公演(すみだトリフォニーホール)で児玉宏が指揮したコンサートでも接しています。今回がナマ体験4回目となる第5でした。
読響とはロシア音楽で成功してきた山田、期待通りオケをたっぷりと鳴らし、迫力ある音楽を奏でます。フィナーレで客席も盛り上がり、大きな拍手が起きました。許されていればブラヴォ~が飛び交ったことでしよう。
ラザレフの底深い解釈を体験した私としては、若いなぁ~、というのが今回の感想。グラズノフのオーケストレーションは、ラザレフが指摘するように、様々な楽器を重ねることで微妙な色合いを創り出していくことにあります。個人的な趣味を言えば、この辺りにもっと丁寧な配慮を加えれば、更に良いグラズノフになるのじゃないかな。
ということで、久し振りに大編成のオーケストラの魅力を堪能した読響3月定期でした。
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