日本フィル・第729回東京定期演奏会
遂に来た!! そしてギリギリ間に合った!! これが日フィル4月定期の全てでしょう。
去年2月頃からコロナ禍に伴う海外渡航制限のために演奏会の予定を中止、変更せざるを得なかったのは世界共通。感染の波が一進一退を繰り返す中、各方面でも何とか海外から演奏家を招く試みが成されてきましたが、日本フィルが桂冠指揮者アレクサンドル・ラザレフを4月東京定期に招聘できたことは、ほとんど奇跡に近かったのではないでしょうか。
東京に先立って予定されていた横浜定期には間に合わず、我々定期会員もほぼ諦めていた所に「ラザレフ来日」の朗報が飛び込んできたのは、4月6日のことでした。実際には前日5日に到着したそうですが、日本フィルからの発表は6日。正にこの日が、今年没後50年を迎えるストラヴィンスキーの命日であったことに何かの因縁を感ぜずにはおられません。
マエストロ曰く「2週間の素敵な監獄生活」を経て、去年2月の九州公演以来となる久々の日フィル指揮台に立ったラザレフ猛将、リハの冒頭で述べた感謝の挨拶も話題になっていました。
3日間の相も変らぬ1秒たりとも揺るがせにしないリハーサルを終えて振ったのが、以下のプログラム。私が聴いた定期初日の4月23日は、これまたラザレフと日本フィルが何年も掛けて取り組んできたプロコフィエフの130回目の誕生日。もう奇跡としか言いようがありませんな。
《ラザレフが刻むロシアの魂SeasonⅣグラズノフ》
グラズノフ/交響曲第7番ヘ長調作品77「田園」
~休憩~
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)
指揮/アレクサンドル・ラザレフ
ピアノ/野田清隆
コンサートマスター/扇谷泰朋
ソロ・チェロ/菊地知也
朝からソワソワして赤坂に向かいましたが、迎えてくれた平井理事長の第一声が、「25日から演奏会は無観客になります。暫く生演奏は聴けなくなりますから、今日と明日が最後ですよ」。長期の交渉を経て勝ち取ったラザレフ来日が、第3次緊急事態宣言発効前日にギリギリ間に合うとは。もう一度言っちゃします、これ奇跡でしょ。
ということで、自粛前のナマ演奏を心の底から堪能してきました。
ラザレフ将軍は、いつもと変わらず元気一杯。ステージに登場する前に「ドン」と大きな音を立てて床を踏みつけるのも同じ。その「ドン」を聞いて「来た来た!」とステージ下手に注目する我らの行動もまた同じ。
コロナ前から取り組んでいたロシアの魂グラズノフ・シリーズで開始するのも予定通りです。
グラズノフ作品ではバレエ音楽、交響曲では4番と5番を紹介してきましたが、今回は7番。この作品が以前に日本で取り上げられたことがあるのどうか知りませんが、かなり珍しい機会であることは間違いないでしょう。少なくとも私がナマで聴くのは今回が初めてでした。
田園というタイトルが付けられていますが、グラズノフ自身が命名したのかは不明。プログラム誌(山崎浩太郎氏)も「ベートーヴェンの田園に似た、牧歌的な雰囲気をもっているためらしい」としか触れられていません。
そのベートーヴェン田園似というのは、冒頭がヘ長調でオーボエが楽し気なテーマを吹いて始まる所。確かにこの楽章は、グラズノフがベートーヴェンを意識したかもしれない、という感じがします。
しかし田園はここだけ。この後は小川のせせらぎも小鳥の歌も出てきませんし、嵐も起きません。通常の4楽章構成で、荘重で美しいアンダンテの第2楽章、如何にもグラズノフという印象のバレエ風スケルツォ、堂々且つ華やかなフィナーレと盛り上がっていくのでした。
特に終楽章は冒頭、レ・レ・ファ・ソ・ラ・ファというメロディーが登場し、全曲の最後でこの主題がオーケストラのユニゾンで高々と奏される。ラザレフはこの大団円に向かって、具体的には練習番号31から徐々にギアを入れてヒートアップし、36で更に加速、オケも必死に喰らい付いてクライマックス、というお得意の光景が見られました。
終わると同時に客席を向いて「どうだ! さぁ拍手」と促すのもラザレフ・スタイル。「拍手は指揮棒が下りるまでお待ちください」という事前アナウンスが何とも空しく思われる瞬間でもあります。
そして後半、ペトルーシュカへ。もちろん没後50年の意味も含めた選曲でしょう。ストラヴィンスキーではペルセフォーヌの日本初演を敢行してきたラザレフと日フィル。個人的にはストラヴィンスキーの最高傑作と考えているペトルーシュカがこの時期に聴けるのは、誠に幸せなことです。
そもそもペトルーシュカとは、ロシア農民に極めて多いペーターの愛称。ストラヴィンスキーがこのバレエを書いたのはロシア革命の頃でしたが、ペトルーシュカという題名を通じてロシア人は不滅だ、というメッセージを伝えたかったのではないでしようか。
今回ラザレフが取り上げたのは、1947年版。オリジナルの1911年版は編成が更に大きい4管編成で、この時期の舞台では無理がありましょう。実際、弦楽器は14型だったと思いますが、通常時より1プルトづつ減らす配慮も成されていたようです。
他でもチェレスタが舞台上手のヴィオラ奥、ハープも下手のファースト奥にポツンと置かれており、これが視覚的にも音響的にも面白い効果となっていたのが印象的でした。
傑作だったのは第1場、魔術師が登場して3体の人形に命を吹き込む場面。ここはカデンツァと表記されたフルート・ソロが魔術師の動きを暗示するのですが、ラザレフは完全に客席を向いて仁王立ち。「ほら、魔術師が出来ましたよ、これから魔法を掛けて操り人形を動かします。」ということをパントマイムさながらに解説していきます。思わず吹き出してしまう客席も。
この場面の最後、魔術師がペトルーシュカ、ムーア人、踊り子の順で操り人形に触れていくのですが、ペトルーシュカはフルートが、続いてムーア人と踊り子はピッコロがその様子を描写します。描写と言っても「タラッ」という僅か二つの音ですが、ペトルーシュカだけがフルートで、後の2体はピッコロというのも何か含まれた意味があるのでは、と考えていますがどうでしょうか。
この最大の見せ場に続くのが、ピアノの野田清隆が大活躍する有名なロシア舞曲。
ストラヴィンスキーは、バレエの各所で既存の音楽、ロシア民謡、フランスの小唄、ウィーンのワルツ(ヨーゼフ・ランナーの2曲)を敢えて引用。特に第1場で手風琴を模した伴奏に乗ってクラリネットが吹くフランス小唄は、ミスター・スペンサーという人が書いたもの。ストラヴィンスキーは入場料収入の一部を、今で言う著作権としてスペンサー氏に支払っていたのだそうです。
これらの楽曲借用は、ストラヴィンスキーが意識してのこと。こうした手法で、政治体制に圧せられる農民の嘆きと希望を伝えようとしたのではないか。それはどの時代、どの地域にも共通して起き得ることで、今回のコロナ禍に翻弄される一般市民の苦しみ、抗議と解釈することも可能でしよう。
ところで今回、ラザレフは1947年版でも「演奏会用終結部」を使用しました。普通ペトルーシュカはバレエそのままに、ペトルーシュカの死から幽霊として登場する場面の音楽をそのまま演奏するのですが、ブージー&ホークス社から出版されている1947年版には付録として演奏会用終結部も印刷されています。スコアをお持ちの方は、練習番号250の6小節目から、たった10小節だけの演奏会用終結部に飛びますので、確認してください。
この終結、私は楽譜では知っていましたが、実際に演奏会で聴いたのは初めてのような気がします。録音でも珍しいことで、私には大昔、ストコフスキーが何とベルリン・フィルと録音したLPがあり、それが演奏会用終結だったような薄々とした記憶があります。もしご存知の方がおられましたら、ご教示いただけると幸甚です。
客席からの割れんばかりの拍手に応え、何度もカーテンコールを繰り返しながら日フィル愛を大袈裟過ぎるほどにパフォーマンスして見せるマエストロ。遂には「オレは操り人形だよ」と言わんばかりのポーズで、ストラヴィンスキーの言わんとしたことを表現しているように、私には思えました。
日本フィルでは珍しく、楽員が引き揚げても拍手鳴り止まず、ラザレフ一人が喝采に応えるソロ・カーテンコール。この流れは終演後も続いていて、私はホール外で知人たちと長い間話し込んでいたのですが、突然大きな拍手が・・・。見ると、着替えを終えたトランペットのオットーたちが外へ出てきたところで、目敏く見つけたファンたちが彼等を讃える拍手を浴びせていたのでした。それにしても巧かったなァ~、トランペット・ソロ。
4月定期は、当然ながら今日(24日・土曜日)もあります。これはライブ配信される予定で、もちろん私も見ますね。この公演の後、東京・大阪・京都などは暗黒のコンサート中止が待っています。3週間で終わるのかどうか。次にサントリーホールに出掛けられるのは、ナマで音楽を楽しめるのは何時になることやら。
ラザレフ将軍、次の機会まで元気でお過ごしください、待ってますよ。
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