日本フィル・第336回横浜定期演奏会

カンブルラン/読響の分厚いマーラーを堪能した翌日、横浜で気分もサイズも正反対な日本フィルのドビュッシーを聴いてきました。4月の日本フィルは首席のインキネン、横浜ではドビュッシー、来週の東京定期ではワーグナーだけという、これまた対照的な二人の作品だけに徹しています。

ドビュッシー/小組曲
ドビュッシー/クラリネットのための第1狂詩曲
     ~休憩~
ドビュッシー/神聖な舞曲と世俗的な舞曲
ドビュッシー/交響詩「海」
 指揮/ピエタリ・インキネン
 クラリネット/伊藤寛隆
 ハープ/松井久子
 コンサートマスター/白井圭(ゲスト)
 ソロ・チェロ/菊地知也

今回のプレトークは小宮正安氏。作品についての細かい解説は無く、今回のテーマでもある没後100周年を迎えたドビュッシーのクラシック音楽界における立ち位置、その存在意義などが語られました。それまで主流だったドイツ音楽の形式と言う枠組み、重さから解放したのがドビュッシーである、と。音階を構成する12の音、更にはオケの中で演奏するプレイヤーにもドイツ式な偏重を避け、末端の演奏家にも平等の光を当てる。それが、インキネンが横浜で取り組んでいるオーケストラのプレイヤー達に主役を務めてもらう、という方針にも合致している、というトークでした。

これは偶然でしょうが、ホールのロビーには刷り上がったばかりの同オケ、2018/2019シーズン総合ガイドが山積みになっていました。早速一部ゲットして内容に目を通します。
今号は渡辺和(ピエタリ・インキネントという真摯な音楽家について)、池田卓夫(今も日本フィルに息づく創立指揮者・渡邊暁雄の理念)、柴田克彦(芸術性と社会性を併せ持つ“今の日本フィル”)、舩木篤也(さまざまなエポック、さまざまな文化圏に触手を伸ばす、意欲的なプログラム)という豪華な論客陣が寄稿文を寄せる読み物にもなっており、今回のドビュッシー・プログラムにも通ずる冊子でもあります。思い当たることも多く、いくつかを引用しながら定期の感想と行きましょう。

先ず、登場した楽員の顔ぶれが興味深いもの。今回のコンマスはゲストの白井ですが、彼は何処かで見たような? そう、何年か前にウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートで弾いていた顔です。改めてプロフィールを読むと、東京藝術大学を経てウィーン国立音楽大学で学び、ウィーン・フィルの契約団員だった経歴も。田中千香士、山根美代子、ヨハネス・マイスルなどに師事し、田中千香士レボリューションアンサンブルの音楽監督を務めているそうな。別の資料によると、彼もまた藤沢出創る身の音楽家なのですね。
一方コントラバスに目を向けると、これまた懐かしいヴェテランの姿。今回のトップは高山首席ではなく、ゲストとして加わっていたのが、かつて読響の名物首席だった星秀樹じゃありませんか。一瞬、あれれ読響の演奏会だっけ、と勘違いしたほど。大物ゲスト二人を迎えた4月定期、みなとみらいホールのステージも豪華な見ものになっていました。

ということでドビュッシー。そもそも日本フィルは「重厚長大なドイツ・オーストリア音楽偏重路線に対する、明らかなアンチテーゼの旗揚げ」(池田氏)として創設されたオーケストラですから、現在でもレパートリーの中核を形成している作曲家です。インキネンも3年半ほど前に同じ横浜でドビュッシー/ラヴェルのフレンチ・プロを取り上げたばかり、その趣旨が意味するのは、単に作曲者のアニヴァーサリーに因んだ選曲だけではありますまい。尤も前回と共通するのは海だけですが。
今回は原曲のピアノ連弾作品をアンリ・ビュッセールがオーケストレーションした小組曲で始まり、クラリネット首席の伊藤をソリストに起用した第1ラプソディーへ。休憩を挟んでやはり日フィル団員の松井がソロを務める珍しい舞曲が披露され、名作「海」で締めるという真に聴き応えのあるプログラム。いつもは7台並ぶコントラバス陣も、今回は最大でも3プルトと「重さ」を回避し、日本フィルの特徴でもある透明感を重視した響きが楽しめました。

小組曲は“もっとメリハリあるリズムでなきゃ”という意見も聞きましたが、これぞ日本フィル、インキネンのドビュッシー。決して胃にもたれず、爽やかな聴後感を残してくれました。重厚長大だけが音楽じゃない。
第1ラプソディーは、pp の微かな響きに乗って白井コンマスと小池ヴィオラ首席のソロが半音下降音形を奏する中、クラリネット・ソロが繊細で、艶のあるテーマを吹き出す。スケルツァンドの軽やかなソロ・パッセージに、弦がサッと弓を挙げて相槌を打つ場面も視覚的な見所でしょう。音楽は目まぐるしく転調し、アクロバティックにソロが駆け上がると、オーケストラの全奏が ff で一気呵成に乾いた和音で閉じられる。何となく終わり方は海に似ていませんか。

後半最初の舞曲は、ナマでは滅多に聴けない作品。プログラムにも書かれていましたが、当時のフランスでライヴァルだったハープ製造会社のプレイエルとエラールのうち、プレイエルが開発した「クロマティック・ハープ」の試験作品として完成したのがこの作品。皮肉にもエラールが開発したペダル・ハープの試験作品がラヴェルの「序奏とアレグロ」で、ドビュッシーとラヴェルはハープ製造競争の世界でもライヴァル関係にあったことになります。
結果はエラールが勝利を収めるのですが、今回はもちろんペダル・ハープを使っての演奏。ハープを少人数の弦楽合奏が支えます。弦ははっきり確認は出来ませんでしたが、高い順に8-6-4-4-3だったと思います。

「神聖な」と「世俗的な」は続けてアタッカ(フランス語では Enchainer アンシェネ)で演奏されますが、ハープ・ソロに先立って弦がユニゾンで奏する冒頭は、まるでグレゴリア聖歌のよう。だから「神聖な」なのでしょうか。
第1曲の最後でハープが残り、ファ・ド・ファ・レの4度・3度下降が奏されると、それがそのまま3拍子のワルツに変わっていくのが「世俗的な」。第2曲はこのワルツがロンドのように何度も姿を変えて奏でられますが、ワルツ故に「世俗的な」なんでしょうね。ハープ製造競争は終わり、残ったのはドビュッシーとラヴェルの名曲。もっと頻繁に聴かれて良い作品を、このような形で取り上げてくれたインキネンと日本フィルに感謝しましょう。

最後は定番の「海」。前回と同じファンファーレを復活させた演奏で、ダイナミックではありながら威圧的にはならない、如何にも日本フィルらしい海でした。
アンコールがあるのが横浜定期の楽しみ。はてオール・ドビュッシーの後でアンコールするような作品があるのかしら、牧神じゃ長過ぎるし、と思っていたら、何と鳴り出したのは「子供の領分」から楽しい「ゴリウォーグのケーク・ウォーク」。そうか、この手があったか!!
もちろんオーケストラのアンコールですから、後にアンドレ・カプレがアレンジした管弦楽版です。このアンコールを含めれば、オリジナルのピアノ曲を別人がオーケストレーションした作品で始め、終える。ここにもインキネンの見事なアイディアが光っていました。

 

 

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