ワーグナー「ニーベルングの指環」ハイライト特別演奏会

5月16日、無事に首題の特別演奏会が開催されました。企画が発表された時から気になっていたコンサートでしたが、コロナ禍の現況では無事に開催されるのか、出演が予定されていた歌手たちが無事に来日出来るのかが判らず、チケットの購入を躊躇っていた特別演奏会でもありました。
しかし東京シティ・フィルのホームページで3人の歌手が来日出来たこと、リハーサルも開始したという情報がツイッターで発信されたのを見て、慌ててチケットを確保。チケ取りが遅れたので隅っこではありましたが、何とか1階席のステージ近くを確保し、意気揚々と上野駅に降り立ちます。

飯守泰次郎指揮・東京シティ・フィルの指環と言えば、今世紀初頭のオーケストラル・オペラに熱心に通った懐かしい思い出があります。今回配布されたプログラムにもその時の写真やキャストが掲載されており、改めてそれが2000年から2003年の9月までの出来事であったことを知りました。
その頃はブログもなく、脳内記憶しか残っていませんが、飯守ワーグナーにはその後もローエングリン、パルシファル(日生劇場でしたね)と通ったものです。

《飯守泰次郎 傘寿記念》
序夜「ラインの黄金」より
-序奏~第1場「ヴァイア! ヴァーガ!」~アルベリヒの黄金強奪(ラインの乙女たち、アルベリヒ)
-第4場 神々のヴァルハラへの入場(管弦楽)
第1日「ワルキューレ」より
-第3幕第1場 ワルキューレの騎行(管弦楽)
-第3幕第3場 ヴォータンの別れと魔の炎の音楽「さらば、勇敢で素晴らしい娘よ!」(ヴォータン)
     ~休憩(30分)~
第2日「ジークフリート」より
-第1幕第3場 ジークフリートの鍛冶の歌「ホーホー! ホーハイ! 鎚よ、丈夫な剣を鍛えろ!」(ジークフリート、ミーメ)
-第2幕第2場 森のささやき(管弦楽)
-第3幕第2場 「上の方を見るがよい!」(さすらい人、ジークフリート)
-第3幕第3場 「太陽に祝福を! 光に祝福を!」(ブリュンヒルデ、ジークフリート)
     ~休憩(30分)~
第3日「神々の黄昏」より
-序幕より 夜明けとジークフリートのラインへの旅(管弦楽)
-第2幕第3場 「ホイホー!」~第4場「幸いなるかな、ギービヒ家の御曹司!」(ハーゲン、男声合唱)
-第2幕第5場 「ここに潜んでいるのはどんな魔物の企みか?」(ブリュンヒルデ、ハーケン、グンター)
-第3幕第2場 「それから小鳥は何と?」~ジークフリートの死と葬送(ジークフリート、ハーゲン、グンター、男声合唱)
-第3幕第3場 ブリュンヒルデの自己犠牲「太い薪を積み上げよ」(ブリュンヒルデ、ハーゲン)
 管弦楽/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
 指揮/飯守泰次郎
 名誉監督/カタリーナ・ワーグナー
 ブリュンヒルデ/ダニエラ・ケーラー
 ジークフリート/シュテファン・グールド
 アルベリヒ、ヴォータン、さすらい人、グンター/トマス・コニェチュニー
 ハーゲン/妻屋秀和
 ミーメ/高橋淳
 ヴォークリンデ/増田のり子
 ヴェルグンデ/金子美香
 フロースヒルデ/中島郁子
 男声合唱/ワーグナー特別演奏会合唱団
 合唱指揮/藤丸崇浩
 その他

2000年当時の上野とは公園口の位置が違っていましたが、会場は同じ東京文化会館大ホール。そのホールに向かって歩いていると、早くも日本を代表する二人のマエストロに遭遇。その時点でこちらの気持ちもハイになってしまったほど。
プログラムを自ら手に取ると、指環ハイライト特別演奏会はドイツ語で Höhepunkte aus “Der Ring des Nibelungen” von Richard Wagner と大書してあるのが目に入ります。「ホーエンプンクテ」という所が如何にも飯守マエストロじゃありませんか。英語で言えばハイポイント、つまりハイライトという意味でしょうが、punkte には場所という意味の他に問題点という意味もあったはず。単に良い所取りという演奏会じゃないでしょうね。

マエストロの趣旨は、プログラム誌の冒頭に記載されている挨拶文でも明らかでした。一部引用させて頂くと、「コロナ禍で、現代社会が抱える問題がこれまで以上に露わになり、『指環』の内容はいっそう切実に私たちに訴えてきます。登場人物が展開する自然破壊、権力抗争、搾取と格差の問題、親子や男女の愛、世代間あるいは兄弟姉妹の争い、憎悪、陰謀、裏切り、復讐・・・すべては私たち自身の現実そのものです。」と語り、「今こそまさに、この作品を聴くへき時なのです。」と訴えておられました。名文じゃありませんか。
そう、このマエストロの視点こそが、残念ながら来日が叶わなかったカタリーナ・ワーグナー名誉監督と共に練り上げた今回のプログラムの趣旨だと確信しました。

普通、指環のハイライトと言えば4つの作品から管弦楽の聴かせ所、ヴァルハラへの入場とワルキューレの騎行、森のささやきやジークフリートのラインへの旅と葬送行進曲を並べて一夜のプログラムとする例が多いでしよう。最近では歌の無い指環として管弦楽だけで全体を表現する試みもあります。因みに、今回取り上げられた管弦楽のみによる音楽4曲は、演奏会用にアレンジ(ワーグナー以外の作曲家による)されたバージョンが使われていました。
しかし飯守マエストロの選曲は、アルベリヒの黄金強奪、さすらい人の槍を打ち破ってブリュンヒルデの下に向かうジークフリートの場、ジークフリートに裏切られたと思って背中の急所をハーゲンに教えてしまう第2幕第5場の三重唱など、マエストロが執筆された憎悪、陰謀、裏切り、復讐といった要素が盛り込まれた場面が数多く取り込まれているのが聴き所と言えるでしょう。

更に考察すれば、冒頭で取り上げられた「ラインの黄金」の序奏から第1場はそっくり全曲が、そして締め括りの「神々の黄昏」のブリュンヒルデの自己犠牲から幕切れまでは、ハーゲンの「指環に触るな!」という絶叫も含めてカットなく演奏されたことで、最初と最後が見事に繋がり、あたかも「ニーベルングの指環」の全体を体験したかのような感動を産み出したのでした。

今回の特別演奏会は、去年(2020年)9月30日に80歳の誕生日、即ち傘寿を迎えられた飯守泰次郎氏を祝して企画されたもので、日本ワーグナー協会とドイツ連邦共和国大使館との後援。ホワイエにもフラワー・スタンドが並んで如何にも祝典という雰囲気が醸し出されていました。
13時開場で14時開演。開演前と二度の休憩時間には、続いて演奏される演目で重きを成すライトモチーフが、シティフィル8人の金管アンサンブルによってファンファーレとして舞台上で奏でられる趣向も。私は行ったことは無いけれど、毎夏のバイロイト音楽祭の慣行を取り入れていました。特に開幕前は、30分前、20分前、10分前の3回に亘ってラインの黄金のモチーフがホールに響き、いやが上にも祝祭ムードが掻き立てられます。

当初ハーゲン役として告知されていたアルベルト・ペーゼンドルファーが体調不良のために降板し、わが国が誇るワーグナー歌手の妻屋秀和に交替となりましたが、ケーラー、グールド、コニェチュニーの3氏は4月26日に来日し、14日間の待機期間を経ての参加。関係諸氏の努力と尽力には感謝しなければなりますまい。
個人的にブリュンヒルデのケーラーは初体験でしたが、ジークフリートのグールドと、3つの役を全て歌ってしまったコニェチュニーとは、今回のコロナ禍で何度もウィーンから配信された「指環」ですっかりお馴染みになった名歌手。この二人がいま目の前で歌っていることに、夢ではないかと思えるほどに感激してしまいました。

更なる聴き物、ワーグナー・ファンのみならずオーケストラ大好き人間が決して聴き損なってはいけないのが、「神々の黄昏」第2幕第3場。ハーゲンがギービヒ家の兵たちを呼び集める際に傲然と鳴り響くシュティーア・ホルンでしょう。
この楽器はワーグナーがスコアに指示しているものの、現在は失われてしまった原始的な管楽器。上記した飯守/シティフィルのオーケストラル・オペラでは、2003年の上演に際して当時シティ・フィルのトランペット奏者で楽器製作者でもあった島田俊雄氏が古い資料を基に3本を復元したもの。このあと新国立劇場で上演された「神々の黄昏」でも貸与の形で使用され、態々ヴォルフガング・ワーグナー氏が来日して聴かれたほどです。シュティーア・ホルンはバイロイトでもトロンボーンやチューバで代用されていて、世界的に見ても絶対に聴き逃せないチャンスでもありました。

2003年当時は「クラシック招き猫」というSNSがあり、私もその中でシュティーア・ホルン論争に加わった思い出があります。この楽器の歴史や意義について多くの仲間たちと語り合ったものでしたが、このサイトは後日突然閉鎖され、あの貴重な記録も最早再現することは出来ません。
そんな思い出深きシュティーア・ホルン、この日またその豪快な音色を耳にすることも出来ました。これは東京シティ・フィルの宝でしょうし、世界的に見て極めて貴重な楽器でもありましょう。3本の楽器は左右の舞台裏と舞台の中間のような場所で吹かれたのですが、カーテンコールで3人が楽器を持って登場、その稀有な姿も拝むことが出来ました。

かつて日本フィルのマエストロ・サロンで、バイロイトで助手として活躍していた当時を述懐されて「ワーグナーにのめり込むあまり熱を出しましてね」と語っておられた飯守マエストロのワーグナー。最近の若手指揮者の軟弱なワーグナーなど吹き飛んでしまうような濃密な響き。特に「神々の黄昏」での熱い棒に応えるオーケストラの圧倒的な響きは、聴いている我々も熱を出すほど。
未だ興奮冷めやらずという状態で詳しくは触れられませんが、正味3時間半にも及ぼうかという長時間もあっという間の出来事のように感じられます。世界最高水準の歌手たちによるワーグナー、世界最高峰の指揮者が繰り出すワーグナーの真髄。正に今こそ体験すべき大切な時間でした。

じわじわと押し寄せる感動と涙。思わず立ち上がり、叫びたいブラヴィ~をジッと我慢しながら手が痛くなるまで拍手を続ける聴衆たち。
何度も続くカーテンコールの中、突如オーケストラが奏でる「ハッピー・バースデイ」の調べに、満面の笑みを浮かべながら豪華に合唱するバイロイトの名歌者たち。それをジッと、冷静に受け止めるマエストロ。次いでケーラーから大きなバラ?の花束が贈られ、何度も客席に向かって感謝の意を表する飯守泰次郎氏でした。

「それではこれから時差退場とさせていただきます」という場内アナウンスがあったようですが、拍手で搔き消され、誰も会場を出ようとしません。気が付けば時計は予定時間を30分もオーバーして7時過ぎ。
時間短縮要請の出ている今、うっかりすると夕食にあぶれてしまうという妄想が過り、後ろ髪を引かれながら拍手の嵐の中でホールを後にした次第。一体あの興奮はいつまで続いていたのでしようか。いやぁ~、凄い体験をしてしまいましたワ。

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