日本フィル・第731回東京定期演奏会
6月も初旬を過ぎたのに未だ梅雨入りしていない首都圏、昨日11日も真夏を思わせるような暑さの中、サントリーホールに出掛けました。日本フィルの6月東京定期です。
当初この回はクラリネット奏者が来日して新作が演奏される予定だったと記憶しますが、例によって海外渡航規制の為に変更。メインのブルックナーは発表通りでしたが、前半は以下のように変更となりました。でも良いプログラムじゃありませんか。メインディッシュ二皿。
ドヴォルザーク/ヴァイオリン協奏曲
~休憩~
ブルックナー/交響曲第6番
指揮/広上淳一
ヴァイオリン/小林美樹
コンサートマスター/扇谷泰朋
ソロ・チェロ/菊地知也
急遽ピンチヒッターに抜擢された小林美樹は、私が追っかけているヴァイオリニストの一人。これまで何度も日フィルと共演してきましたが、意外や東京定期は初登場だそうです。
因みに小欄が彼女を知ったのは、2014年の日フィル横浜定期。この時は山田和樹指揮でコルンゴルトを披露し、その堂々たる弾きっぷりに一目惚れしたものでした。
その翌年は神奈川フィル定期でのステンハンマルとシベリウス(協奏曲じゃなく小品でしたが)。指揮は今回と同じ広上淳一でした。
決定的だったのは、2016年に鵠沼サロンコンサートで彼女を眼前で聴いた時。平井プロデューサー一押しの若手音楽家紹介シリーズの一環で、姉・小林有沙とのデュオでグリーグのソナタやラヴェルのツィガーヌに酔い痴れたものです。
この年の秋には、東工大で行われている無料の学園コンサートでも彼女に接しました。それは日フィル首席オーボエの杉原由希子のリサイタルで、後半にゲストで登場し、ベートーヴェンの「春」を弾いたんでしたっけ。
この際ですから記録を辿ってみると、2017年は日フィルの九州ツアーのソリストだったと記憶しますが、この年はパス。2018年はやはり日フィル横浜でラザレフとチャイコフスキー。直ぐに続いて同じチャイコフスキーを東フィル千葉公演で又しても広上指揮で演奏していました。態々千葉まで出掛けたのは、もちろん小林/広上の共演を聴きたいがため。
小林は2019年の日フィル横浜にも登場し、この時は西本智実の指揮でメンデルスゾーンを弾いています。その他にもあったかもしれませんが、思い出すのはこの辺りまでかな。そしてこの日はドヴォルザーク。確かこの曲は今年、同じく広上指揮で東京シティ・フィルとも共演したと記憶しますが、それは出掛けませんでした。
ということで、指揮者ともオーケストラとも旧知の間柄。ここでも見事なドヴォルザークを聴かせてくれました。
冒頭の哀切なメロディーから引き込まれましたが、圧巻はフィナーレでの指揮者との丁々発止。楽章が進むにつれてソロとオケのやり取りがヒートアップし、良い意味でのライヴァル意識に火が点いてのスリリングな展開。思わず禁止されている筈のブラヴォ~を掛けるファンまで出る白熱振りでした。ドヴォルザーク、こうでなくちゃね。
カーテンコールは終わることなく、アンコールとしてバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番からラルゴを披露しなければならなかったほど。思わず立ち上がって耳を傾けている定期会員の姿が印象的でした。
暫し休憩で後半へ・・・。
後半の聴き所は、何と言ってもマエストロ広上が初挑戦となるブルックナー。これに尽きるでしょうか。期待と不安、と言ったら大袈裟か。
ブルックナーと聞いて広上淳一を思い浮かべる人は、先ずいないでしょう。また日本フィルを連想するファンも決して多くはおりますまい。ブルックナーなら、東京ではN響、読響、都響でしょうか。最近では東響も話題になっていますな。関西なら大フィル。
広上がブルックナーを振るのは決して初めてではなく、若い頃に海外で第4交響曲を演奏したことがある筈。また日フィルでミサ曲を取り上げたことがあったと記憶します。しかし恐らく第6番は初めてでしょう。
未だ日本フィルがマエストロ・サロンを開催していた頃、ある聴講者がマエストロに「ブルックナーを殆ど指揮しないのは何故ですか」と質問したことを思い出します。その答えは、「ブルックナーを指揮するには手が長いことが必要で、自分には不向きだから」と言うようなものだったと記憶します。その時は如何にもマエストロらしい、人を煙に巻くような応対だったと思っていましたが、今気が付いたのは、氏が言う「長い手」というのは何かの暗喩だったのではないか。還暦を過ぎて長い手を獲得したマエストロが初めて本格的にブルックナーに挑戦する。そう考えましょう。
実はコロナ禍が無ければ、広上は去年第8番を手兵の京都市響と、客演で群馬交響楽団でも披露するはずでした。それがどちらも中止となり、今回の第6番が本格的ブルックナーとしては初となった経緯があります。
それにしても6番とは。この交響曲についての個人的な感想は去年の暮れにヴァイグレが読響定期で指揮した時のレポートでも触れましたから、ご興味ある方はそちらも読んでください。
改訂魔ブルックナーですが、何故か交響曲第6番には改訂した痕跡が無い由。プログラム・ノート(奥田佳道氏)にも書かれていますが、この交響曲には版の問題がありません。それでもハース版とかノヴァーク版と表記されるケースがありますが、それは偶々出版されているハース版を使ったから、あるいはノヴァーク版の譜面で演奏したからというだけで、両者はほぼ同じです。今回の日本フィルのプログラムには、版についての表記はありません。
しかし解説で奥田氏が1899年の初版(ドブリンガー版)について言及されているのは流石で、この版は確か戦前にオイレンブルク社のポケット・スコアとして出ていたものと同じではないでしょうか。シリル・ヒュナイス Cyrill Hynais (1862-1913) というブルックナーの弟子が編纂したもので、これは私も見たことがあります。もちろんハースやノヴァークと同じもの、強弱の指定が違うだけですが、ただ一ヵ所、第3楽章のトリオの後半部に反復記号が書かれていました。このリピートを忠実に実行すれば、ほんの数分程演奏時間が長くなるのでしょうが、幸い私はこの版による演奏も音盤も聴いたことがありません。
私の記憶が正しければ、日本フィルがブルックナーの交響曲第6番を演奏するのは、今回が初めてじゃないでしょうか。アッと思ったのは、弦の編成が前半のドヴォルザークと同じ 10-8-6-6-5 であったこと。さすがにブルックナーで10型では管楽器に負けてしまうのではないかと思われましたが、そこはそれ、オケのバランスを熟知している広上のこと、特に作品のキモとも言える第2楽章では弦楽合奏の美しさを前面に出し、日本フィルならではのブルックナーを聴かせてくれました。
第6で私が今一苦手なのが第4楽章。しかし今回のマエストロの譜読みの深さが、この難問に回答を見出してくれたようです。一見して纏まりが無いように聴こえていたフィナーレでしたが、これぞブルックナー、きちんと筋道が立ち、起承転結が明快に聴き取れたのです。
第6にはトレードマークの弦のトレモロが無いと言われますが、どうして第4楽章にはヴィオラが永遠に続くのではと思われるようなトレモロがある(例えばノヴァーク版の練習記号Kから)。この回では客演首席奏者の安達真理が表、首席奏者デイヴィッド・メイソンが裏のツートップで6人のヴィオラ・チームを引っ張ります。
確かに物理的な音量では弦楽器に不利な編成ですが、実際の演奏会体験では見た目の印象がモノを言います。聴き手は音だけではなく、目でも音楽を楽しむ。そのトータルがナマ体験として残るものです。
これが録音では味わえず、配信には映像があるとはいえ、必ずしもカメラが見たいところを追っているわけではない。やはり音楽は、特にオーケストラは実際にホールに出掛けないと味わえない感動があるのです。そのことを改めて実感できた6月定期でした。
たった2曲とは言え、どちらも重量級のプログラム。アンコールが挟まれた上に、広上氏としては珍しく楽員が引き揚げた後にもソロ・カーテンコールを受ける(チョッと恥ずかしそうだったのがカワユイ)ハプニング。加えて時差退場などもあってホールを出たのは9時を優に10分ほど過ぎていました。
私共は演奏後にも旧知の顔たちとアフタートークに時間を費やしていましたが、上には上があるもの。この夜同時開催されていたブルーローズの長時間公演(エルサレム弦楽四重奏団のベートーヴェン全曲最終日)が漸く終わったようで、さも疲れたという顔が続々とホールから押し出されてきます。お、こんな時間か、我々もこれを潮に家路についたのでありました。
広上淳一と日本フィルのブルックナー、来期は第7交響曲を取り上げることが発表されています。
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