クァルテット・エクセルシオ第40回東京定期演奏会

6月は室内楽月間ということで~と言っても小欄の場合はあくまでも「ミニ」ですが~、13日の日曜日には東京文化会館小ホールで午後2時から行われたクァルテット・エクセルシオの東京定期を聴いてきました。
室内楽では先週からサントリーホール・ブルーローズでチェンバー・ミュージック・ガーデンが開催中で、エルサレム・クァルテットのベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会が終了したばかり。正味五日間を通い詰めたファンも大勢おられたようで、熱心なファンの皆様にはご苦労様でした。

年2回、春(というよりは夏か)と秋に行われるエクセルシオの東京定期も、今回で40回を迎えました。とは言いながら去年、第38回は新型コロナウイルス感染拡大防止のため止む無く中止。予定されていた時期が6月初旬だったため、関係筋はギリギリまで開催の是非を検討した末の決断でした。
同じプログラムで計画されていた札幌定期は、時期が7月初め(7月1日)だったこともあって何とか開催に漕ぎつけ、それが北海道で久々に響いた生演奏であったことがマスコミでも話題になっていたと記憶します。

幻に終わった去年夏の東京定期はモーツァルトのK590、バルトークの3番、ベートーヴェンの作品132で構成されていましたが、記念すべき第40回は気分も新たに以下の作品が選ばれていました。

ハイドン/弦楽四重奏曲第63番ハ長調作品64-1
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品18-3
     ~休憩~
ドビュッシー/弦楽四重奏曲ト短調作品10

あれから1年が経過した2021年度の公演も客席をフルに使用するまでには至っておらず、市松模様での開催。本来なら節目の公演として終演後にエクのメンバーによるサイン会があるのが自然な流れでしょうが、アフター・コンサートの楽しみは今回も叶いませんでした。
エク定期のプログラムには毎回「エク通信」というメンバー自作の楽しい読み物が添付されるのですが、今号でもセカンド北見春菜がこのことに触れています。曰く、第50回を迎える頃には事態が収束し、共にお祝いできますように、と。なるほど5年後ね、そんな先まで今のような状況が続くのでしょうかね。

そんな将来の不透明感を反映してか、これまで7年ほど続けられてきたエクのシーズン主催公演プログラムは作成されませんでした。手渡されたのは、第40回東京定期演奏会のみの薄手のプログラムとエク通信だけ。
また例年なら同時期に開催される札幌定期も今年は延期され、秋の東京定期と同じプログラムで11月に開催されることが決まっています。従って今秋は東京・京都・札幌と同じ演目で3公演が開催されることになりました。
以上が前置きで、2年振りとなる春(夏)の東京定期。選ばれたのは、「ハイドンの少し珍しい作品、記念年が開けてもやっぱりベートーヴェン初期の作品、そして昨年(秋)のラヴェルに引き続きフランス作品としてドビュッシー」(メンバー一同)の3曲です。

冒頭のハイドン。確かにナマで聴くことが出来るのは珍しい機会で、例えば今や室内楽のメッカとなっているサルビアホールでも作品64-1は未だに取り上げられていません。作品64では唯一有名な雲雀(64-5)だけ。サルビアの姉妹シリーズでもある鵠沼サロンコンサートの歴史を繙いても、結果は同じでした。
もっと古い記録、例えば伝説となっている巌本真理カルテット(愛称・マリカル)でも、100回近くに及んだ定期演奏会で作品64が演奏されたのは、確か雲雀と作品64-2が1回あっただけだったと思います。
もちろん作品64自体の録音は多く、レコードで聴くことは出来ます。しかし、今回のようにナマ体験できたのが極めてレアなことであるのは間違いないでしょう。

この曲集が書かれたのは1790年の夏と言いますから、既にロンドン楽旅を経験した後。ハイドンの筆致は円熟の域に達していました。これは個人的な印象ですが、第1楽章の主題が何処となく4~5年前に作曲されたパリ交響曲集「熊」の第2楽章に似ている。作品64-1の場合は、このテーマが第3楽章の変奏曲のテーマとも似ていて、ハイドンの遊び心さえ感じてしまいます。プレストのフィナーレが軽快な8分の6拍子で書かれ、最後が勢い良く終わるのではなく、ピアニッシモで可愛く終わるのもいい。
もちろんエクがこの作品を公に弾くのは初めてでしょう。演奏に付いての指示が殆ど無い譜面を丁寧に紹介してくれましたが、個人的な感想としては、もっと遊んで欲しかった。全曲の終わり方など、エクならもっと洒落た味が出せるはず。これを皮切りに、どんどん知られざるハイドンに挑戦して行って貰いましょう。嬉しいことに、秋の定期では作品64-4も紹介されます。

続いては、やっぱりのベートーヴェン。彼等は今春に記念年のベートーヴェン・サイクルを完奏させたばかりですが、新年度最初の定期で、事実上ベートーヴェンが最初に書いたとされる第3番を取り上げたことが何を意味するのでしょうか。
このところ若いクァルテットを実際に、また配信などで数多く耳にしてきましたが、共通しているのは冒頭から全力疾走でベートーヴェンに挑む姿じゃないでしょうか。それらを聴いてから今回のエク・ベートーヴェンを聴くと、まるで別世界に入った様にも聴こえてくるのでした。

私が好きなサラブレッドに擬えれば、最近流行のベートーヴェンはスタートから先陣を争う逃げ馬の如きベートーヴェン。対してエクはサラっとスタートし、ジックリ機を窺う。ここぞという勝機に鋭い瞬発力を繰り出し、気が付けば先頭に立っているようなベートーヴェンとでも言いましょうか。
具体的に言えば、例えば第1楽章。譜面通りリピートを実行する提示部では性格が異なるいくつもの主題を示しながら、展開部へ。ここでは微妙な転調を丁寧に響かせ、フォルティッシモによるクライマックスへ向けて一気に駆け上がる。この勝負所があるからこそ、その後に続くピアニッシモがハッとするように聴き取れるのです。コーダでは第2主題が初めてピアニッシモで再現されますが、この段差があることによって、改めて pp の美しさが際立って聴こえるのでしょう。山高ければ渓深し。

もちろんエクの技量を以てすれば、若者たちのようにもっと大きな音を出せるし、苛烈なスピード競争にも加われるでしょう。しかし、彼らは敢えてそれをしない。これが常設クァルテットの強みでもあり、結成27年という経験の成せる技でもあります。
クァルテット・エクセルシオの歴史は、サントリー・チェンバー・ミュージック・ガーデンでのベートーヴェン全曲演奏を彼らの初期集大成、先日完了した浦安でのベートーヴェン・マラソンを中期集大成とすれば、次のベートーヴェン記念年(没後200年)に開かれるであろうベートーヴェン・シリーズを後期とするロングランに入ったと見るべきなのかもしれません。その意味でも、第40回定期でのベートーヴェンは、ここに来てなお新たな境地を目指すエクの圧倒的な名演、大人のベートーヴェンだったと評価したいと思います。

休憩時のロビーには久々のエク・ファンたちが集っていましたが、ここは指示に従って静かに自席に戻って後半を待ちます。前回の定期で取り上げたラヴェルに続くフランス音楽。エクの円熟度は、ベートーヴェンとは全く異なる音楽世界でも見事に発揮されました。

エクのドビュッシーは、これまでも何度か聴いてきました。当ブログ内で検索しただけでも、最初は2010年5月、「紀尾井ホールの室内楽」というシリーズに登場した時。このときはドビュッシー、デュティユー、ラヴェルというプログラムでした。続いてが2014年3月、晴海の第一生命ホールで開催されたクァルテット・プラス。ハープの吉野直子と共演して「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」を演奏する機会でもあり、ドビュッシーの弦楽四重奏曲が加えられた回でした。このときはフランセ、マリピエロ、カプレなどの滅多に聴けない作品も披露しています。
そして3度目となったのが、2018年9月に浦安音楽ホールで開催された「弦楽四重奏の旅」シリーズでのこと。この折にはモーツァルトのK464、ツェムリンスキーの1番と共に、プログラムの最後でドビュッシーを取り上げていました。そして今回が少なくとも4回目。実際にはもっと聴いているように思いますが、細部までは思い出せません。

彼らのドビュッシーは、既に定評あるもの。プログラム誌のコメント欄でチェロ大友が語っているように、楽譜に書いてある指示通りにちゃんと弾くことでドビュッシーの意図が聴き手に確実に伝わる。ここがハイドンとは違う所でしょうか。
同じコメント欄でヴィオラ吉田が、実は前回のラヴェルにもう一曲加えて録音という予定があった、と見逃せない発言が紹介されていますが、う~ん、気になるじゃないか。

今回のドビュッシーも、これまでの感想通り素晴らしいものでした。ドビュッシーは、例えばラヴェルを「太陽」とすれば「月」のような作品。月と言っても雲一つない晴天に煌々と輝くスーパームーンではなく、流れ行く雲の間から様々な姿を垣間見ることが出来るような月。その案配が実に見事なのです。特に第3楽章は涙が出るほどの美しさ。
前3回からはセカンドが交替ましたが、その伝統はシッカリと継承されていました。オーケストラの場合にも言えることですが、弦楽四重奏団のような少人数の団体でも、長年に亘って積み重ねられてきた団体の個性は、メンバーの交替があっても受け継がれていくもの。

次の節目は第50回定期か、はたまたベートーヴェン没後200年か。末永くエクを支え、大いに楽しんでいきましょう。

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