読売日響・第609回定期演奏会

生演奏だけでなく配信も含めて室内楽を聴く機会が多かった6月でしたが、最後の演奏会はオーケストラでした。サントリーホールで行われた読売日本交響楽団の6月定期です。

グルック(ワーグナー編)/歌劇「オーリードのイフィジェニー」序曲
フランツ・シュミット/歌劇「ノートル・ダム」から間奏曲と謝肉祭の音楽
     ~休憩~
フランツ・シュミット/交響曲第4番ハ長調
 指揮/セバスティアン・ヴァイグレ
 コンサートマスター/長原幸太

去年の年末から年越しで読響を振ってきたヴァイグレ常任、一旦帰国した後、5月末に再度来日してくれました。今回は7月上旬まで読響を指揮し、6月定期の他にもブラームスの第1交響曲と第2交響曲、チャイコフスキーの第5交響曲など4種類のプログラムを披露することになっています。
当初6月定期ではウィーン・フィルの首席奏者二人、クラリネットのダニエル・オッテンザマーとファゴットのソフィー・デルヴォーを迎えてリヒャルト・シュトラウスの二重小協奏曲を演奏する予定でしたが、政府の入国制限により来日出来ず、急遽フランツ・シュミットのもう一曲、ノートル・ダムからの音楽に変更されました。

門外漢には良く解らないのが、同じウィーン・フィルのメンバーでもキュッヒル・クァルテットのダニエル・フロシャウアーとシュテファン・ガルトマイヤー、ヘーデンボルク兄弟やフルート首席のセバスチャン・ジャコーといった面々は無事に来日してブルーローズのチェンバー・ミュージック・ガーデンで予定通り演奏していたこと。あるいは申請時期の違いなどがあるのでしょうか、この辺りの情報をもう少し詳細に報じて貰えないものでしょうかねェ~。
何れにしてもシュトラウスがシュミットに替り、チラシのキャッチコピーでも「次はシュミットを照らせ!」と大書されていました。

ということで、6月定期はタップリとフランツ・シュミットに浸るコンサートになった次第。この感想もシュミットから始めることにしましょう。
因みにプログラムなどでフランツ・シュミットと姓名で記載されているのは、フランスの作曲家のフロラン・シュミットと区別するため。シュミットのスペルは微妙に違うのですが、名前の頭文字が二人とも「F」であることもあり、一般的にフランツ・シュミット、フロラン・シュミットと表記されるようですね。

フランツ・シュミットの逸話で私が最も面白く読んだもの、というか興味をそそられたのはこんな内容です。
チェロを学んでいたフランツ・シュミットは1896年、「優秀賞」を得てウィーン音楽アカデミーを卒業。その年の9月には難関のオーディションを突破してウィーン・フィルに入団します。彼は12月生まれなので、この時正確には21歳9か月でした。この時点ではウィーン・フィルのチェロ奏者としては最も若いメンバーです。

ところが翌年、1897年5月にマーラーがウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。シュミットはこの時点で最年少のチェリストでしたが、何と3年後の1900年には最古参のチェリストになっていたんですね。シュミット自身の言葉によると、マーラーの着任は自然災害のようなもので、彼の下で古参のメンバーは次々に辞職したり解雇されたりと、結局は3年間でフランツが最も長く在籍している現役のチェリストだったというワケ。
フランツ・シュミットは首席奏者として活躍できるほどの腕前でしたが、敢えて彼は常に一番後ろのプルトで弾き、それを引退まで(1913/14年シーズンまで在籍)貫いたそうです。もちろんマーラー監督への抗議の表明だったと言われています。

その一方で当時のコンサートマスターでマーラーの娘と結婚していた(ということはマーラーは義理の父に当たる)アルノルト・ロゼは、シュミットを信頼。1902年3月18日に初演されたシェーンベルクの弦楽六重奏曲「浄夜」では、ロゼ弦楽四重奏団と共にフランツ・シュミットも演奏に加わっていました。(第2ヴィオラはフランツ・イェリネク) しかもロゼは一週間前に結婚式を挙げたばかり、新婚ほやほやだったというから驚くじゃありませんか。
この頃のウィーン楽界、マーラーを中心にフランツ・シュミット、アルノルト・ロゼ、シェーンベルクたちを巻き込んだ人間模様は、音楽大河ドラマのテーマにもなりそう。一度奥田先生に講義して貰いたいところですね。

今回の定期は「シュミットを照らせ」とあったように、その音楽を複数纏めて聴ける珍しい機会だったと言えるでしょう。プログラム誌の解説(江藤光紀氏)でも触れられていたように、戦後は新ウィーン楽派やマーラーの再評価と反比例するようにシュミットの作品は忘れられていった、とあります。
解説によれば、シュミットがナチに迎合したと見られた点が忌避感情を高めたと思われるとのこと。それはシュミットの晩年も晩年、亡くなる前年にオースリアがドイツ帝国と併合すべきかを問う国民投票で賛成票を投じたことを指すと思われますが、これにはシュミットを擁護する見解も出されているそうで、本当にフランツ・シュミットに光が当たるかどうかは、これからのことになりそうですね。因みに今年11月にはファビオ・ルイージがN響で第2交響曲を、日フィルも角田鋼亮で第4交響曲を取り上げる予定になっています。

それでも私の記憶では、戦後間も無くまではシュミットも時折演奏されていました。実際、N響もハンガリー騎兵の歌による変奏曲(ウェス)、ノートル・ダム間奏曲(ロイブナー)を取り上げていましたし、ノートル・ダム間奏曲には有名なカラヤンのレコードもありました。また今回のメイン、第4交響曲は古巣のウィーン・フィルをメータが指揮して録音したレコードがあり、個人的には愛聴盤の一つでもありましたっけ。
また何年のことだったかは忘れましたが、新日本フィルが当時の首席指揮者クリスチャン・アルミンクとシュミットの最高傑作であるオラトリオ「七つの封印の書」を演奏したことがあって、態々すみたトリフォニーホールに出掛けて行って感動した記憶もあります。このオラトリオこそ、何時の日かヴァイグレと読響に取り上げてもらいたい作品。その日が来ることを期待して待ちましょう。

その期待を裏切らなかったのが、昨夜の定期。ノートル・ダムの音楽も第4交響曲も、作品を知り尽くし、かつ愛情を籠めてリードする様子が一目瞭然のヴァイグレの棒の下、読響も最善を尽くしてこの難曲を見事に再現してくれました。フランツ・シュミット、良いじゃないか、と聴き取ってくれた定期会員が多かったと期待しましょう。
前半の2曲目に紹介された歌劇「ノートル・ダム」から間奏曲と謝肉祭の音楽は、歌劇本体とは別の作品と考えた方が良さそう。全体は序奏、間奏曲、謝肉祭の3部分から成り、歌劇の中でそのまま使われているのは第1幕第2場と第3番の間に置かれた間奏曲のみ。序奏は第1幕第2場で一部使われる音楽ですし、最後の謝肉祭は歌劇の冒頭、カーニヴァルの場面の音楽として部分的に登場するものです。むしろ後に歌劇として完成する「ノートル・ダム」の音楽を用いた交響詩のようなもの。
カラヤンが得意にしていた間奏曲のあと、謝肉祭の音楽に移行する短い個所をカットするのが慣例のようですが、今回ヴァイグレはスコア通り、カットなく全曲通して演奏してくれたのは大きな驚きであり、喜びでもありました。

第4交響曲は、出産の際に命を落とした娘へのレクイエムとして書かれた最後の交響曲。題名を表記する際に「ハ長調」と書かれるのが通例のようですが、決してハ長調の明るい作品ではありません。
通常の四つの楽章を切れ目なく、単一楽章として演奏する45分ほどの大作で、特に第2楽章に相当する葬送行進曲風の緩徐部分が全曲の白眉と言えるでしょう。この箇所を開始するのが、自身の楽器でもあったチェロのソロであるのも聴き所。そして冒頭、裸で登場するトランペットのソロ(この部分、ヴァイグレは奏者に任せて棒は振りませんでした)が印象的で、これが最後に回帰して終わる。このテーマが全体を通してライトモチーフのように響き、交響曲としての統一感を築き上げているのです。もう一度聴きたい、強くそう思う交響曲じゃないでしょうか。

最後になりましたが、プログラムの最初にはグルックの序曲が堂々と演奏されました。

ところでフランツ・シュミットは、最初の妻 Karoline Perssin (1880-1942) が精神病院に入院するという不幸に見舞われました。二人の間に生まれた娘も、その出産に際し、30歳で父親に先立ってしまいます。失意のシュミットは1926年から死去する1939年までの晩年を、再婚した17歳年下の後妻 Margarethe Jirasek (1891-1964) と共に、ワインで有名なペルヒトルツドルフ Perchtoldsdorf (ウイーンの南にある保養地?)で過ごしたのですが、実はこのペルヒトルツドルフこそ、同じくグルックが晩年を過ごした街でもあるのですね。
つまり今回のプログラムはペルヒトルツドルフ繋がりでもあった、ということ。グルックの序曲は、リヒャルト・シュトラウスが歌劇「ナクソス島のアリアドネ」で引用していることもあり、当初のグルック→シュトラウス→フランツ・シュミットというプログラムにはそれなりの意味があった、ということでもありましょう。

この素敵な序曲は、今でこそ余りナマでは聴く機会が無いとは言え、かつてモノラル時代にはフルトヴェングラーが、ステレオ期にもオットー・クレンペラーの名録音があって良く聴いていた懐かしい一品。若い頃にはヨーゼフ・カイルベルト指揮のN響による生演奏も聴いたものです。
ということでグルックからシュミット、懐かしくも大きな感動に包まれた一夜でした。

盛大なカーテンコールが続く中、この演奏会が最後のステージとなるクラリネット首席の藤井洋子氏、ヴァイオリンの望月寿正氏に花束が贈呈される感動的なシーンも。そして最後は、ヴァイグレへのソロ・カーテンコール。
全てが終わってホールを後にすると、予報では言っていなかったはずの雷雨になっていました。感動の後の雨、これもまた良いじゃありませんか。

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