読売日響・第610回定期演奏会

クラシック音楽ファンにとって首都圏の夏の話題は7月22日に開幕するフェスタサマーミューザですが、その前夜、猛暑の中を読響定期を聴きに赤坂サントリーホールに出掛けました。オーケストラ大好き人間にとっては、今年前半を締め括る話題のコンサートと言えるでしょう。
当初の予定では、7月定期は以前読響の首席客演指揮者を務めていたコルネリウス・マイスターがブルックナーの第2交響曲などを指揮するはずでしたが、政府の入国制限に引っ掛かって来日出来ず、早々と出演者および曲目の変更が発表されていたものです。

そもそもマイスターのブルックナーは2020年に取り上げられる予定でしたが、1年延期になっていたもの。それが再び延期(中止になるかも)ということで、余程ついてないと言わざるを得ません。私も併せて取り上げられるはずだったダヴィッド・フィリップ・ヘフティのチェンジメンツ(日本初演となる筈でした)も聴きたかったのですが、些かガッカリでした。
それでも代演が飯守泰次郎、しかも十八番のブルックナーとあって、却って集客的には話題を集めたのじゃないでしょうか。飯守が≪読響定期≫に出演するのは46年振り、というフレーズが踊っていました。

モーツァルト/交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」
     ~休憩~
ブルックナー/交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 指揮/飯守泰次郎
 コンサートマスター/日下紗矢子

モーツァルトとブルックナー、というだけでファンが多いプログラムですが、これを巨匠・飯守泰次郎が振るのですから、名演は約束されたようなもの。
実際、演奏が終わるやすぐさま立ち上がってマエストロとオーケストラを讃える熱烈なファンが続出、今や読響では年中行事となったソロ・カーテンコールと呼ぶのか、あるいは一般参賀と称するのかは判りませんが、両手を広く高く掲げた飯守泰次郎を呼び戻す儀式がいつまでも続いていたようです。

ところで飯守泰次郎が読響と活動していたのは、1964年から1970年までが副指揮者。その後常任指揮者(こういう名称だったかは記憶がありません)に昇格し、1976年まで任に当たっていたとプログラム誌で紹介されていました。
副指揮者と雖も定期演奏会を任されたのは、確か1965年7月の第20回定期が最初のことで、この時はレオポルド・ストコフスキーが来日し、読響ではただ1曲、ベートーヴェンの交響曲第7番を振りました。この時に言わば前座のような形でブラームスの悲劇的序曲とメンデルスゾーンの第4交響曲を指揮したのが、若き飯守泰次郎。私が初めて読響の定期会員になったのは翌年のことで、残念ながらこのコンサートは間に合いませんでした。

私は1966年から1968年の春まで読響定期に通いましたが、この間に飯守の定期登場は無く、次に彼が定期を任されたのは、1970年7月の第67回。この時はベートーヴェンの第4交響曲、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(ソロは小林武史)、ラヴェルのダフニスとクロエ第2組曲というプログラムでしたが、私は東京を離れていたので全く知りませんでした。
記録では3回目が1974年7月の第104回で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(独奏は海野義雄)とブルックナーの交響曲第4番。4度目で最後の定期が1975年9月の第114回で、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ピアノは野島稔)とベートーヴェンの第7交響曲。この時から数えて「46年ぶりの読響定期登場」ということになるのですね。つまり今回が5回目、何故か7月の登場が多く、しかもブルックナーの第4交響曲は1974年7月15日以来、何と47年振りの邂逅ということになるのでしょう。もちろん47年前に加わっていた楽員は一人もいないと思われます。

ということで、私には懐かしいというより新鮮な組み合わせ。それより何故46年間も無縁だったのかが不思議でなりません。この辺りの本音、マエストロに伺ってみたい気持ちにもなりますが、ここはモーツァルトとブルックナーに集中しましょう。
指揮台にはマエストロ専用の椅子が据えられており、氏は楽章の途中で腰を下ろすだけ。指揮をしている間は座ることなく、相変わらず見難い指揮振りでオーケストラに元気な指示を出していました。指揮台との往復も心なしかいつも以上に活気があり、若返った印象すら受けましたね。

音楽はそれ以上。モーツァルトもテンポがもたつくような瞬間は皆無。きびきびしたフレーズと、特に終楽章でのティンパニの打ち込みなど、最近の若手以上にブリオを感じさせる推進力に満ちたモーツァルトを聴かせてくれました。
後半のブルックナーは言うこと無いでしょ。プログラムには第2稿/ノヴァーク版と記されていましたが、これはあくまでも便宜上のもの。飯守マエストロの世代は、いわゆる原典版と称して他人のカットなどが施されていない版による演奏で、所々で往年の巨匠たちが取り入れた慣習的な処理がなされていました。

いや、版などはどうでもよろしい。1960~70年代とは別のオーケストラに変貌した読響を駆使し、これ以上は望めないほどに重厚で生気に満ちたブルックナー。コロナ禍が齎した巨匠と世界トップクラスの名オーケストラとの再会を、素直に喜びましょう。

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