フェスタサマーミューザ2021・東京都交響楽団

7月22日から8月9日まで、ミューザ川崎シンフォニーホールで恒例のフェスタサマーミューザが開催中です。去年はコロナ禍の中でも制限を設け開催し、新しい試みとしてフェスタのほぼ全ての演目をインターネット・ライブ配信して世界からも注目された祝祭でもありました。
2020年度は客席が大幅に制限された上、インターネットで楽しめることもあって、小欄は籠城を決め込みました。折角ですから、オンライン視聴の感想も当ブログで紹介したものです。

2021年度の企画が発表された今春、ラインナップを眺めていつもの年以上に生演奏を楽しみたいプログラムが多いことを知り、今年はナマ演奏、ライブ配信、アーカイブ配信の3本立てで行こうと決めました。
最初はオーケストラセット券で全12公演に出掛けようかと考えたのですが、お値段のこともあり(当欄は二人で出掛けるのが原則ですから、予算は通常の2倍必要なんですよ)、本当に聴きたい7公演だけに絞ることにしました。もちろん、他はインターネットで楽しみます。(去年は連日オンライン・レポートをアップしましたが、今年はナマ体験だけ記事にします)
ナマ公演を選ぶに当たり、真っ先に丸印を付けたのがこれ。フェスタ5日目の7月26日に開催された東京都響のプログラムでした。チラシにも書かれていた「アジアの新星と都響がミューザで出会う」現場を目撃したかったから、でもあります。

リスト/交響詩「前奏曲」
チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲
     ~休憩~
ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」
 東京都交響楽団
 指揮/カーチュン・ウォン
 チェロ/岡本侑也
 コンサートマスター/山本友重

そのアジアの新星カーチュン・ウォンを聴くのは、これが3度目。3月にインキネンの代役として日本フィル定期を指揮したのを聴いて驚愕し、翌4月には読響定期もまたまたピンチヒッターとして登場。その実力は本物だと確信できました。従って今回が3回目、指揮するオーケストラも別々という稀有な体験でもあります。実は9月の神奈川フィル定期のチケットもしっかり押さえていますから、ほぼ半年の間に4つのオーケストラとの共演を聴くことになります。こんな経験、少なくとも私は初めてです。
一方、都響は余り聴く機会が無く、小欄にとっては真に新鮮でした。前回の東京五輪に合わせて設立されたオーケストラで、私が定期会員だったのは若杉弘監督の時代。記憶も大分薄れてしまいましたが、会員時代以降も作曲家の肖像シリーズや、オペラでのピット、そしてもちろんサマーミューザ等で時々は聴いてきました。何故か去年のフェスタサマーミューザには参加せず、この前このオケを聴いたのは何時のことでしょうか。

開演は15時ですが、開場とライブ配信の開始時間は1時間前の14時。丁度その時間にホール入りすると、確かに2階RBで配信クルーがカメラを回していました。まずい、映っちゃうんじゃないか、とコッソリ1階フロアの自席に陣取ります。今年は全て1階席で聴くことにしました。
去年からチケット半券は自分で切り、プログラムも各自で取る方式。内容はそれ以前にPDFで読めるので、事前に眼を通してきました。そのプログラムには今後の演奏会のチラシ数枚と、ペラ1枚の日刊サマーミューザ、そして4ページにも及ぶアンケート用紙が挟まれています。ここに感想を書いて提出すると、翌日の日刊サマーミューザに掲載されるかも。

そのプログラムですが、毎回簡潔なもので、この日の解説は林昌英氏。他に、かげはら史帆氏のクラシック・コラムという特別企画もあります。
今は上記のようにプログラム本体がPDF形式でダウンロードできる時代ですから、会場で手に取ってからさてさて、ということもなくなりました。私にはプログラムを保管しておく習慣はありませんが、これなら残しておくことも負担にはなりません。実際、去年のプログラムは全てパソコン内に残してあり、Wi-Fi環境さえ整っていれば、出先で何時でも読むことが出来ます。どこもこの方式にして欲しいなぁ~。

開演前にプレトークがあるのもフェスタの聞き所で、この日はカーチュン・ウォンが司会と通訳を交えた3人でコロナ以後の活動、演奏曲目について語りました。夫人が日本人ということもあり、時折日本語も入ります。
日本のオーケストラを総なめしている感のあるカーチュンですが、都響とはこの日が初顔合わせ。プログラムはマエストロの提案で選ばれたそうで、ドヴォルザークは今こそ「新世界」という思いがあるそうな。この辺りは後日のアーカイブ配信で確認しておきましょう。良く響くホールなので、マイクを通した声は配信の方が聴き易いのです。

今回の3曲は、恐らく誰でもが一度は聴いたことのある名曲ばかり。その言わば聴き古した名曲に、恰も初めて聴いたような感動を与えてくれるのが、この指揮者の独特な感性と言えるのじゃないでしょうか。もちろん評価は人様々でしょうが、私はカーチュンの表現、強調していると思われるポイントにいつもハッとさせられます。どの曲でも同様。
リストでは、全体の構成が正に「人生は死への前奏曲でなくてなんであろうか」というテーマを具現化したものとして聴こえたし、チャイコフスキーでは大きな室内楽を連想させるように、極めて細やかなバックを付けていたのが印象的。そしてメインのドヴォルザークは、まるでこの日が世界初演であるかのような新鮮な響きに満ち、今まで気が付かずに聴き逃してきたフレーズが浮かび上がってくるのに感銘さえ受けたものです。どんな名曲も、もう一度カーチュン・ウォンの指揮で聴き直してみたい。

チェロの岡本侑也が、また素晴らしい。2011年の日本音楽コンクール優勝、2017年エリザベート王妃国際音楽コンクール第2位。何とも柔らかい音色が魅力的で、それでいて朗々と響く楽器。室内楽にも積極的に参加しているように、ソリストでありながらアンサンブルの一員でもあるチャイコフスキーの名品を、高い集中力で聴かせてくれました。客席がジッと耳を澄ませて聴き入っている静寂感が、また素晴らしかった。
なお、解説ではフィッツェンハーゲン版と原典版について触れられていましたが、この日はどの版で演奏するかには言及されていませんでした。実際に演奏されたのは、私のような古い世代が昔から聴き慣れてきたフィッツェンハーゲン版で、これは序奏に続いてチェロが弾き始めるテーマの提示で直ぐに判ります。フィッツェンハーゲンはテーマの前半と後半を繰り返すように書き直したのですが、岡本/ウォンは繰り返してましたからね。あと、原典版ではカデンツァが直ぐ(第2変奏の後、だったかな)登場するのに対し、フィッツェンハーゲンではしかるべきところ、後の方で弾かれるので、ここでも区別できます。

ソリストのアンコールは、パブロ・カザルス編のカタロニア民謡「鳥の歌」。そしてオーケストラもアンコールがあり、同じくドヴォルザークのスラヴ舞曲第8番作品46-8が実に新鮮に鳴り響きました。
カーチュン・ウォンと都響は来年1月にラフマニノフの第2交響曲でも共演するそうですから、それも行っちゃおうかな。

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