フェスタサマーミューザ2021・京都市交響楽団

7月22日に開幕した今年のフェスタサマーミューザ、早いもので残り1週間を切りました。最終週に私が出掛けるのは4回。その最初がミューザ川崎シンフォニーホール初登場となる京都市交響楽団です。
最初は首都圏、と言っても東京都と神奈川県のオーケストラに限定されていたサマーミューザでしたが、何年か前から他県で活動しているオーケストラの紹介が始まり、今年は京都を代表するオーケストラが登場しました。

地方オーケストラという呼び方が適切かは疑問がある所ですが、私が最も数多く接している地方オケが通称・京響。もちろん彼らの本拠地である京都コンサートホールに何度も足を運んでいますし、年中行事になっている名古屋公演もほぼ毎年聴いてきました。それでも今年のフェスでも真っ先に選んだのは、京響をミューザ川崎で聴けるから。期待通り、彼らの充実したアンサンブルを腹一杯満喫してきたところです。
プログラムはドイツの二大B。王道の名曲2本立てでした。お、コンマスは横浜の顔じゃないか。

ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
     ~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」
 京都市交響楽団
 指揮/広上淳一
 ヴァイオリン/黒川侑
 チェロ/佐藤晴馬
 コンサートマスター/石田泰尚

広上淳一「と」京都市交響楽団が今年のフェスに登場したのは大きな意義があって、承知の通り、マエストロ広上は今シーズン限りで同団の常任指揮者の地位を降ります。このコンビを首都圏で聴けるのは最後のチャンスということもありました。
と、書いてきましたが、この日ホールで手に取ったプログラムには「速報!」と大書されたチラシが挟まれていて、11月7日にこのコンビによる東京公演が予定されているとのこと。題して「広上淳一 京響常任指揮者ファイナルコンサート in 東京」。曲目はベートーヴェンとマーラーの第5交響曲という極めてヘヴィーなプロで、マエストロの誕生日に擬えた選曲だという噂を自分で流していましたからね。是非、サントリーホールでも体験しましょう。

フェスタサマーミューザでは毎回のプレトークが習慣になりましたが、そもそも演奏会前のプレトークを定例化させた張本人は広上だったのじゃないか。彼が京響の第12代常任指揮者に就任した時から、演奏会前のプレトークというシステムを導入したと記憶します。(もちろんそれ以前に実例はあったでしょうが、指揮者がステージ上で語る形を定着させたのは京響が嚆矢か、と)
そもそも指揮者が事前に演奏作品について語るというアイデアは、広上が首席指揮者を務めていた当時の日本フィルのマエストロ・サロンが草分けで、恐らくこの経験を京都にも持ち込んだのじゃないかと、これは私の勝手な推量ですから信用しないように。

その日本フィルは、マエストロサロン以前から横浜定期で評論家によるプレトークを行ってきました。当初からその大役を担ってきたのが、奥田佳道氏。この日のプレトークは、広上淳一と奥田佳道の対談という形式で行われましたが、これを日本のオーケストラで良く見られる風景の原点を見るような思いで拝聴した次第です。
二人によるトークは今回が初めてではなく、正確には思い出せませんが、確か日本フィルの横浜定期でも、あるいは京都でも接した記憶があります。奥田氏風の言い回しを借用すれば、思わず頬が緩むようなトークと言えましょう。最早漫才の域か。

微笑ましい20分間でしたが、貴重な情報も隠されていました。この日のベートーヴェンは、マエストロによれば温故知新。氏の口からフルトヴェングラー、ワルター、カラヤン、アンセルメ、モントゥーなど往年の名指揮者の名前が挙がりましたが、その中にカイルベルトの名前があったのには思わずドッキリ。
実は私がベートーヴェンの第9を初めてナマで体験したのは1965年の年末、カイルベルト初来日のN響特別演奏会でのことでした。若い時に感動した記憶は生涯に亘って影響するもののようで、この時のベートーヴェン体験が、現在でも自分の底流に流れているドイツ音楽に対する嗜好を決定的にしているのでしょう。最近では再びカイルベルトに傾倒し、バンベルク響との来日公演でのエロイカを聴き直している所にこのプレトーク。

比較的小振りな編成(コントラバスは5本)でミューザに鳴り響いた「エロイカ」は、私の原点を刺激するような堂々たる昔ながらの「英雄」(ひでお、じゃありませんよ)。いや、タイトルの本来の意味である「英雄的」交響曲だったと申しておきましょう。
第1楽章提示部は繰り返し、名指揮者の間で継承されてきたトランペットの改変を実行し、全曲演奏に1時間弱を要する今風のベートーヴェンに対するアンチテーゼの如き演奏。これを若い聴き手たち、最近クラシック音楽の演奏会に通い始めた現代の聴衆諸氏はどう受け止めるのでしょうか。
少なくとも、私のようなロートル、隠居世代は涙で舞台が霞んで見えるほどの感激でした。こうでなくちゃ、エロイカは。

プログラム前半の二重協奏曲も立派。最初の一音からしてドイツのオーケストラも顔負けの重厚な響き。これに続く煮詰まったシチュー(広上説)のような佐藤晴馬のチェロ。やがて京都出身の黒川侑が寄り添ってくるヴァイオリン。
黒川のヴァイオリンは、広上/京響時代の幕開けの頃、京都コンサートホールで聴いたプロコフィエフを思い出しました。そして佐藤のチェロは、去年のサマーミューザでもベートーヴェンの三重協奏曲で堪能したばかり(小欄は配信でしたが)。その時とは楽器が替っていることもプログラムのプロフィール欄で知りました。

コンサートが終了したのは、午後10時を大分過ぎた時間。これから京都に帰る楽員たちも多いでしょう。とてもアンコールを演奏する余裕はありません。川崎からは横浜へ出て新横浜へ向かうのか、品川へ戻って新幹線に飛び乗るのか。
来年3月、広上淳一の常任指揮者としての最後の京響定期、聴けたらいいなぁ~。日帰りの弾丸ツアーにしようか、折角の京都だから前泊して京の桜を楽しむか、翌日ゆっくりと桜の名所を巡るか。その時までには何とかして下さいよ、緊急事態宣言とかマンボウとか・・・。

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