京都市交響楽団・第574回定期演奏会

春と秋、つまり桜と紅葉の時期は京響を聴く序にプチ観光、というのが我が家の定番。今年も紅葉狩りを兼ねて京都コンサートホールに足を運びました。
演奏会の前後は東福寺、常寂光寺、それに穴場と推薦された鹿王院の3か所。どれも見事な紅葉でしたが、当ブログには旅のレポートを書いている余裕はありません。そちらは家内に任せて、ここは演奏会報告一本に絞りましょう。

さて今回のプログラムは以下のもの。一見すると地味な選曲ですが、真に含蓄に富んだ選曲で、広上ファンでなくとも聴き逃せない定期でしょう。

ショスタコーヴィチ/祝典序曲
ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲第2番
     ~休憩~
シューマン/交響曲第2番
 指揮/広上淳一
 チェロ/エンリコ・ディンド
 コンサートマスター/泉原隆志
 フォアシュピーラー/渡邊穣

ところで京都は何処も人、人、人の波。週末と言うこともあり、新幹線にしてもホテルにしても良く予約(家内担当)できたと感心します。コンサートのチケットは小生の担当ですが、こちらも序曲が終わった時点では完売していたとのこと。
京響は現在定期演奏会のチケット完売が更新中とのことで、もし京都まで聴きに出掛ける方は早目の予約がお勧め。尤も、定期会員の数も増加中のようで、一回券の席はこのところ隅の方ばかり。それでも大満足の演奏会になるのですから、オケの充実ぶりは相当なものと宣伝しておきましょうか。

今回も恒例のプレトークからスタート。話題は名手ディンドの凄さに集中していましたっけ。実際、唖然とするほどのチェリストでした。

その前に、協奏曲とは正反対に明るい祝典序曲。P席には10人分の譜面台が用意されており、序曲の途中でバンダの金管奏者たちが入場する仕掛けでした。いきなりのハイ・テンションで会場も大いに沸きます。

続いて期待のディンド登場。先ずその面構えが良い。イタリアのソリストは、ロストロポーヴィチ・コンクールで優勝。ロストロ氏も絶賛したチェリスト、というより音楽家で、マエストロ広上も大絶賛。プレトークで紹介された、世界一難しい協奏曲を完璧に弾いて退けました。
もちろんテクニック的には文句のつけようもありませんが、その音色の柔らかさ、曳き出される歌心の見事なこと。難曲にも拘わらず、難しく聴こえる所は皆無と言えるでしょう。

ショスタコーヴィチ晩年に特有な打楽器の「チャカポコ」は、ディンドによれば点滴の音だとか。病院で書かれた大作に、演奏家ならではの解釈を見ることが出来ました。
第2楽章に登場するテーマは、オデッサの街の風景。“パンを買ってよ”という歌からの引用は、ショスタコーヴィチの母が糊口をしのぐためのパン売りを回想する意味があるとのこと。死と向き合うショスタコーヴィチの自画像でもありましょう。

喝采に応えてディンドが静かに弾き始めたのは、バッハの無伴奏第6番二長調のアルマンド。ピアノの静謐な歌が、京都の大ホールの隅々に聴き取れます。遠くまで響く、名手の証でしょう。
ところでディンド、明日(12月3日)は鵠沼でバッハの1番から3番で一夜のコンサートを開きます。生憎の消化器検査と重ならなければ出掛けるのですが・・・。麻酔は肉体的にも精神的にも堪えますからね、残念無念。主催のH氏によれば、チケットは未だ売るほど有る由。何とかしたいなぁ~。

ショスタコーヴィチの明暗を聴き比べた後は、これも作曲者が病院で書いたシューマンの第2交響曲。広上のシューマンは定評あるところで、私も日フィルとの名演以来のナマ体験です。
久し振りの故もあるでしょう、今回の京響とのシューマンは、個人的にはこれまで聴いたこの曲の全ての体験を凌駕するもの。クールにして肉厚なオケの響きは何処までも深い意味を讃えており、些細な伴奏の一音にまで指揮者の意図が感じられます。
特に第2楽章の「濃い」表現は圧巻。恰もこの曲を初めて聴いたような新鮮さに驚かされる40分弱でしたね。

定期演奏会でアンコールがあるのは珍しいことですが、今回はマエストロの絶妙なスピーチに続いてヴェルディの「椿姫」第3幕前奏曲。病院で書いたとは言いながらハ長調の明るいシューマンを、痛切なヴェルディの哀しみが締め括りました。

来シーズンから高席、下野の二人を迎えて3人体制になる京響。もちろん広上は常任指揮者に兼ねてミュージック・アドヴァイザーにも就任することが決まりました。
来期のプログラムは4日に発表とのこと。来年は何回京都を訪れることになるのかな。未だ暫くは音楽プラス観光の生活習慣が続きそうです。

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