サルビアホール 第135回クァルテット・シリーズ
旧盆に入るころから一週間ほど、首都圏は雨が降り続いています。真夏とは思えないような一日、サルビアホールのクァルテット・シリーズに出掛けました。私にとって8月の室内楽は、これ一つだけです。
毎回のように触れていますが、延期や中止で大混乱のシリーズ。今回開催されたチェルカトーレ弦楽四重奏団は、本来ならライジング・スターの一環としてシーズン44の第1回目として5月27日に予定されていたもの。シーズン44は既に2回目(インテグラ)と3回目(ほのカルテット)が終了しており、この日で漸くシーズンが完結する回でもありました。
因みに、これに先立つ筈だったシーズン43は、終了したのが3回目として計画されていたアマービレのみ。第1回として組まれていたベルリン=トウキョウは4月の予定が11月に延期となり、最終的には一部メンバーのヴィザ取得が困難なため中止。替わってタレイア・クァルテットが代演する旨、この日のプログラムに告知文が挟まれていました。
またシーズン43の2回目も予定されていたマルメン・クァルテットが来日出来ず、日程を延期してゴルトムント・クァルテットが代演と発表されていましたが、これも来日が叶わず、結局この回は中止となってしまいました。
話をシーズン44の第1回、通算では第135回となるチェルカトーレに戻しましょう。この団体は幸松事典にも記載がなく、もちろんサルビア初登場。私も噂だけは耳にしていましたし、プロジェクトQでの様子を配信で見てはいましたが、実際にナマで接するのは今回が初めてでした。
ということもあり、先ずはプログラムに掲載されていた彼らのプロフィールから。
2017年4月に東京音楽大学、東京藝術大学、東京藝術大学付属高校の4人によって結成。今年5年目に入った若いクァルテットです。メンバーは、ファースト・ヴァイオリンが関朋岳(せき・ともたか)、セカンド・ヴァイオリンに戸澤采紀(とざわ・さき)、ヴィオラが中村詩子(なかむら・しいこ)、チェロは牟田口遥香(むたぐち・はるか)という面々。ファーストだけが男性で、セカンド以下は女性。並びは普通に舞台下手から、ファースト→セカンド→ヴィオラ→チェロの順。この日はファーストだけがタブレット楽譜を使用し、セカンド以下は紙ベースのパート譜を捲っていました。
未だ4年の団体ですから、コンクール世代。2018年4月にヴァイオリンが秋山愛乃から戸澤に替ったそうで、彼らを何度も聴いているコアなコンサート・ゴアーによれば、ファーストとセカンドが入れ替わる時期もあった由。団名のチェルカトーレ cercatore は、イタリア語で「探究者」の意味。
2019年の秋吉台音楽コンクール弦楽四重奏部門で第3位、同年ルーマニア国際音楽コンクールではアンサンブル部門第2位(最高位)という実績。漏れ聞くところでは、出場を予定していた大阪国際コンクールが中止となったため、当初の予定だった5月を8月に延期し、じっくり準備を重ねてこの日を迎えたのだそうです。
最初に見たチラシではベートーヴェンの作品18-2とセリオーソ、それにブリテンの第2というプログラムでしたが、熟考を重ねた結果、決定したのは以下の選曲でした。
パーセル/シャコンヌ ト短調
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
ウェーベルン/弦楽四重奏のための緩徐楽章
~休憩~
ブリテン/弦楽四重奏曲第2番ハ長調作品36
本編を終え、アンコールに入る前にファースト関が挨拶で語りましたが、ブリテンは彼らが長年取り組んできた拘りの1曲。この作品がヘンリー・パーセルへのオマージュであることから、念願だったパーセルとの組み合わせを初めて実現できたそうな。英国の2作品でドイツ系の作品を挟むという、このアイデア満載の選曲に先ず唸りましたね。
弦楽四重奏を深く探求していきたい、という思いの籠った秀逸なコンサートと言えるでしょう。後で触れますが、挟まれたベートーヴェンとウェーベルンにも探求の跡が窺えたような気がします。
冒頭のパーセルは、本来は弦楽四重奏曲ではありません。これをブリテンが弦楽合奏用に編曲した形で良く演奏されますが、サルビアの本編で演奏されるのは今回が初めて。但し2018年11月の第105回でケレンケ・クァルテットがアンコールで紹介してくれたことがあるので、実際にこのホールで響いたのは二度目ということになります。
8小節の主題と18の変奏から成る音楽で、ブリテン作品の第3楽章、CHACONYと敢えて大文字で記された9小節の主題と21の変奏から成る長大な楽章と対を成すように工夫されているところが素晴らしいのです。確か、エマーソンQの録音でもパーセルとブリテンがセットになっていたのじゃないかしら。
チェルカトーレは、このパーセルからしてピッチが高いのではと思う程の明るい音色。続くベートーヴェンでは、この明るさが必ずしも効果を挙げていたとは思えず、少し走り気味にも感じられました。
ところでベートーヴェン、最初の企画では2番とセリオーソでしたが、最終的にはハープに変更されました。ここからは私の勘繰りですが、彼らの勝負曲でもあるブリテンの2番、第1楽章最後でチェロがかき鳴らすピチカートは、quasi arpa と譜面に指示があります。「ハープ風に」という文言からの「ハープ」。そう言えば、この楽章の終わり方はベートーヴェンの第8交響曲の第1楽章の終わりと似ていなくもない。
彼らの明るさが利点となって表れたのが、前半を締め括るウェーベルン。そもそもハープを演奏した後、直ぐに舞台に戻ってウェーベルンまで弾いてしまうところが凄いし、何か意図があるようにも感じられるじゃありませんか。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲と言えば、どの曲も緩徐楽章が最大の聴き所ですが、そのためでしょうか。
ウェーベルンの緩徐楽章はサルビアでは定番。しかしチェルカトーレのそれは、これまで聴いたどの団体とも違って、まるでプッチーニのアリアを聴いているようでした。濃密で内に籠るようなロマン性というより、イタリア・オペラのような明るい空を連想させる新しいタイプのウェーベルン。
ここで休憩に入り、後半はブリテンの大作。この曲をサルビアで聴くのは二度目で、去年1月にエクセルシオがブリテン全集(番号付きの3曲)の一環として取り上げて以来のことです。作品の構成、聴き所についてはその時にやや詳しく触れましたから、ここでは繰り返しません。
年月を掛けて練り上げてきただけのことはあって、チェルカトーレのこの作品への理解と愛情は並大抵のものではないことが聴き取れます。何より手探りしながら弾いているのではなく、最初の一音から最後の堂々たる三つの和音まで、確信に満ち溢れたブリテン。
弦楽四重奏曲というとどうしても古典派からロマン派までのドイツ系作品がレパートリーの中核を成し勝ちですが、イギリスにもティペット、ロバート・シンプソン、ピーター・マックスウェル・デイヴィスなど、まだまだ面白いクァルテットがたくさんあります。チェルカトーレにはどんどん新しい作品を探求して行って貰いたい、と思いました。
平日のマチネー、悪天候とコロナ禍の中での演奏会とは思えないほどに馳せ参じた多くの聴衆からの暖かい拍手に応え、アンコールはベートーヴェン/弦楽四重奏曲第16番作品135~第3楽章。前半も後半も緩徐楽章で閉じるのは、偶然とは思えません。アンコールも含め、実に見事に組み立てられたプログラムだと、改めて納得してしまいました。チェルカトーレの鮮烈なサルビア・デビューと評しても良いのではないでしょうか。
最近のサルビアホールは、次々と日本の若い団体が各自の特色を生かして刺激的なコンサートを聴かせてくれています。東京クァルテットなど先人たちが蒔いた種が、ここに来て一気に開花した感がある、というのが私の感想。この逆境を活かし、益々クァルテットの殿堂として存在感を高めて行って欲しいものです。
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