サルビアホール 第123回クァルテット・シリーズ

今年も鶴見サルビアホールの名企画、クァルテット・シリーズが始まりました。1月28日に行われた第123回は、去年12月のアルディッティQでスタートしたシーズン37の2回目。奇しくもモダーンな作品が並び、現代作品シリーズの様相を呈しています。このシリーズは2月のクァルテット・ベルリン=トウキョウへと続きますが、クァルテットの今、を楽しむ企画とも言えましょう。
クァルテット・エクセルシオ(以下エク)の演奏会は、今年既に浦安音楽ホールでアルコとの共演を楽しみましたが、あの日は終日霙が降りしきる悪天候。この日も早朝は霙、コンサートが終わった時間でも強い雨が続いていて、散々な天気に見舞われました。これを我々の間では「エク天候」と呼んでいます。もちろん「あくてんこう」を捩った言い方ですが、「えくてんこう」は今年も健在なようですね。

以上は冗談ですが、そんな天気にも拘わらず、ホールは満席にあと一歩という盛況。現代音楽ファンが多いのかエク人気なのかは分かりませんが、喜ばしい限りです。
この会は、エクが晴海時代から継続しているラボ・シリーズ、つまり実験的なコンサートの一環で、去年も春節の時期に開催されたブリテン・シリーズの完結編でもありました。以下のプログラム。

「ラボ・エクセルシオ ブリテン・シリーズVol2」

ブリテン/弦楽四重奏曲第2番ハ長調作品36
細川俊夫/開花
     ~休憩~
ブリテン/弦楽四重奏曲第3番作品94
 クァルテット・エクセルシオ

ラボでは、このところ日本人作品を組み合わせる企画が続いていて、今回は「世界の細川」。演奏会前に20分間のプレトークが行われ、細川氏自身が作品について、弦楽四重奏に付いて語りました。司会進行は、クァルテットの世界では余人を以て代え難き人、渡辺和氏です。
トークの内容については詳しく触れませんが、氏にはこれまで弦楽四重奏のための作品が8曲ほどあること。番号を着けずに書いてきたけれど、今となっては番号を振っておいた方が良かったかな、とも述懐されていました。
タイトルの「開花」とは蓮の花の開花のことで、人が祈りのために手を合わせる形が蓮の花の蕾に似ていることをイメージして欲しいとのこと。蕾が水面から顔をもたげ、開花への激しい憧れを歌うメロディックな音楽なのです。
話題は今後の作品にも触れられ、弦楽四重奏作品では高崎芸術劇場の委嘱でアルディッティQが初演した作品、パオロ・ボルチアーニ国際コンクールの課題曲を書き上げたばかりというホットな情報も披露、細川氏は弦楽四重奏作品の多作家と言えそうです。

ということで、今回の感想は「開花」を先に取り上げましょう。2007年の作品ですが、2009年に改訂された販によって演奏されました。
細川氏がプレトークで語られたように、たった一つの音が引き延ばされ膨らんでいくだけでもメロディー。冒頭は「シ♭」の弱音(pppp)がヴィオラ→セカンド→チェロ→ファーストの順に入り、8小節目になって漸くトリルで動き始めます。スコアには日本語と英語で開花までの過程が表題のように記されており、言ってみれば判り易い音楽。それを練習番号順に紹介すると、練習番号2から「ためらい」。弦の上を弓が弾む特殊奏法、次第に音が細かく揺れるパッセージが呼び交わされます。4からは「憧れ」。ここからは次第に上行モチーフが出現し、9連音符の細かい動きが憧れを現すよう。
次第に音楽は高揚し、7で「月光が蓮の花にふりそそぐ」に至ります。この部分が作品の頂点とも言え、チェロが最低音で不動の姿勢を保つ中、上声3部が次々とグリッサンドで下向音をふりそそぐ。ここは視覚的にも見所で、スコアを見ているといかにも月光が蓮の花にふりそそぐイメージ。8からの「願い」では、各パートがカンタービレで夫々の思いを歌います。10で「祈り」となり、音楽は静けさを取り戻すと同時に、「ためらい」で使われた特殊奏法が繰り返されるうちに、最弱音で曲を閉じます。

エクの演奏で強く感じたのは、やはり日本人的な自然観と、潤いに富んだ音質。前回のアルディッティQが弾いたヨーロッパ作品の数々に共通していたのは乾いた響きであって、この質感の違いが風土・自然に深く起因していることは明らかでしょう。
因みに細川の蓮の花シリーズ、偶然でしょうが3月に神奈川フィルが川瀬賢太郎指揮で「月夜の蓮-モーツァルトへのオマージュ-」を取り上げることになっています。当然ながら私もチケットをゲットし、スコアを取り寄せて予習中。

細川作品の前後に演奏されたブリテンは、ヨーロッパ作品とは言いながら大陸の音楽とは若干異なります。日本と同じ海洋国家の音楽と言えなくもないけれど、あるいはエクの演奏だった故か。
ブリテンも細川と同じく弦楽四重奏のための作品が多い作曲家で、番号付きの作品こそ3曲なれど、特に若い頃には大量のクァルテットを書いていました。数えたことはありませんが、第1番を発表する前に10曲以上書いていたのじゃないでしょうか。第2番を書いたのが歌劇「ピーター・グライムズ」の後となる1945年で、その次の第3番までの間には30年もの空白があります。弦楽四重奏に限らず室内楽作品もほとんど手掛けていなかったのは、単にオペラの作曲が続いていて忙しかったからでしょう。
再び室内楽に目が向いたのは、ロストロポーヴィチと出会ったからだそうです。無伴奏チェロ組曲を経て辿り着いたのが第3クァルテット。ブリテンの無伴奏は大友肇も時折弾いているだけあって、エクにとっても近しい世界なのだろうと想像します。

前半で演奏された第2番は、英国の大先輩ヘンリー・パーセルへのオマージュ。ブリテンには、パーセルの4本のヴィオールのためのシャコンヌを弦楽合奏にアレンジした作品もあり、第2クァルテットの白眉は同じくシャコニーと題された最終楽章でしょう。第1楽章 Allegro calmo senza rigore は、堂々たるソナタ形式(rigore とは厳格の意味ですから、キチキチと演奏しなくともよいということでしょうか)。全編弱音器付きで奏される第2楽章 Vivace に続くのが第3楽章 CHACONY です。全て大文字表記なのも意味がありそう。
スコアを読んでいて気が付いたのですが、第1楽章と第2楽章は練習記号としてA・B・Cが使われていますが、第3楽章は1から22までの数字なのですね。この数字がそのまま変奏曲の番号になっていて、1がシャコンヌ主題の提示、2が第1変奏で、以下22が所謂コーダに当たります。ソステヌートの主題は9小節という不規則な構造ですが、「9」は以下21までの全ての変奏で徹底的に貫かれます。ただし途中、チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリン(ファースト)にカデンツァが置かれていますが、この部分は一つの小節内で奏者が自由なテンポで弾くため、小節数にはカウントされません。具体的にはチェロは第6変奏の最後、ヴィオラが第12変奏の後、ヴァイオリンは第18変奏のあとのカデンツァとなっており、6の倍数であることにも注意しましょう。
演奏時間も長く、壮大なスケールで、聴く人にとっては負担と感じられるかもしれませんが、楽章の構造を頭に入れて聴けば、極めて充実した音楽体験となるはずです。

後半の第3番は、全てのオペラを書き上げ、心臓手術を受けて右手が不自由、作曲もままならない晩年の作品。極めて性格的な5楽章から成りますが、書法は切り詰められており、言わばブリテンのエッセンス。
第1楽章は「デュエット Duets」とタイトルが付けられていますが、複数形のデュエッツであるところがミソで、4人による様々なデュエットが繰り広げられます。第2楽章「オスティナート Ostinato」は7度の跳躍による上行・下向が飛び交う自由な変奏スタイル。第3楽章「ソロ Solo」は主にヴァイオリンがソロを受け持つ静かな音楽。途中で4つの声部が拍節を離れ、自由に遊ぶところが出てきますが、ブリテンが考案した不思議なサインによって4回区切られます。このサインはエクの総合プログラム(小室敬幸氏)でも紹介されていましたが、歌劇「カーリュー・リヴァー」で使って以後他の作品にも応用されているもの。あるフレーズをリピートする回数が演奏者に委ねらるという意味で、オペラに登場するダイシャクシギ Curlew からカーリュー・サインと呼ばれているそうな。ハート型の上半分のような記号で(解説ではM字型と紹介されていました)、第5楽章でも1か所登場します。

第4楽章「ブルレスケ Burlesque」は、コン・フオコの激しい音楽。間に「トリオ風に」という部分が挟まれますが、ここではヴィオラが駒の内側(スコアには Wrong side of bridge と書いてあります)を弾くように指示があるのが見所で、思わず吉田ヴィオラの妙技に見惚れてしまいました。
第5楽章「レチタティーヴォとパッサカリア Recitative and Passacaglia」が第2弦楽四重奏曲と同じく全曲の白眉で、括弧書きで「ラ・セレニッシマ La Serenissima」と表記されています。晴朗極まる場所という意味のセレニッシマとは即ちヴェネチアのことで、この楽章はブリテン最後のオペラ「ヴェニスに死す」と深い関連があります。レチタティーヴォの部分ではチェロ、セカンド、ファースト、ヴィオラ、再びチェロの順に拍節から離れて(senza misura)自由なレシタティーヴォを奏するのですが、ファーストがピチカートで奏でるメロディーは「ヴェニスに死す」の第2幕にある「フェードラスのアリア」からの引用なのだそうです。(オペラを知らないので気付くわけもありませんか・・・)
最後のパッサカリアでは、2度を上下する短いテーマが終始チェロによって奏でられているのがポイントで、途中で1か所、テーマがヴィオラに引き継がれてチェロが朗々と嘆きの歌を奏でるのは胸を締め付けられるよう。再びパッサカリア・テーマがチェロに戻ると、ヴィオラからピチカートで上昇モチーフがセカンドへ、ファーストへと受け継がれ、ブリテンの魂が天に召されていきます。クレッシェンドを伴う最後の3小説は疑問形でしょうか。

以上、細川作品を挟んで演奏されたブリテンは、集中力高く、エクならではの現代作品への適性もあって超の字が付く名演奏。結成当初からベートーヴェンと並んで活動の中心に据えてきた同時代の音楽に対する熱い気持ちが、ひしひしと伝わってくるコンサートでした。
ラボ・シリーズ、来年はショスタコーヴィチの1番から3番までだそうで、5年計画で全曲ツィクルスになるのかは未定。ぜひ実現することを切望して止みません。

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