デインヒル・ダンサーとデインヒル
今年のクラシック馬のプロフィール、アイルランド編の補足です。
愛2000ギニーに勝ったマスタークラフツマンと愛1000ギニー馬アゲインの共通点、共にスタミナ系牝馬に父はデインヒル・ダンサーと書きましたが、デインヒル・ダンサー Danehill Dancer についてはほとんど触れていません。そこで、この項でまとめて紹介しておきます。
デインヒル・ダンサーは勿論デインヒル Danehill の産駒で、ダンジグ Danzig を経てノーザン・ダンサー Northern Dancer に到るサイヤーラインに属します。現在最も成功している父系ですね。
ノーザン・ダンサーの多くの系統で、ダンジグはスピードに重点がある血統と見て良いでしょう。実際、デインヒル・ダンサーもデインヒルも競走馬としての実績はスプリントにありました。
デインヒルが勝った最大のレースはラッドブローク・スプリント・カップ(GⅠ)ですし、デインヒル・ダンサーは2歳時にフェニックス・ステークスとナショナル・ステークスと二つのGⅠ戦に勝った馬。
両馬とも、競走馬としての成績から今日の種牡馬としての成功を予想することは難しかったと思われます。
デインヒル・ダンサーは所謂シャトル種牡馬で、季節に合わせて南半球と北半球を往復していました。
オーストラリアで1998年に生まれたのが彼の初産駒たち。これを初年度産駒とすれば、ヨーロッパで彼の産駒たちが走り始めるのは、1999年生まれの2年目産駒たちからです。
その2年目、オーストラリアで産まれたショワジール Choisir という牡馬が2歳のオーストラリア・チャンピオンとなり、4歳の時に英国に遠征し、ロイヤル・アスコットでキングズ・スタンド・ステークスとゴールデン・ジュビリー・ステークスという二つのスプリント戦を立て続けに制してイギリスの競馬ファンの度肝を抜きました。
オーストラリア調教馬のロイヤル・アスコット優勝は、これが史上初の快挙でした。
ショワジールは種牡馬としても期待され、実際にヨーロッパでもその産駒が活躍し始めています。
3年目の産駒、ムッシュ・ボンド Monsieur Bond は2000ギニー6着でしたが、これも種牡馬としてスタートを切りました。
クラシックに関しては、6年目の産駒スペシオザ Speciosa を挙げなければなりません。ロックフェル、ネル・グィンなどのトライアルを勝って本番の1000ギニーを制覇、デインヒル・ダンサーのヨーロッパでの初クラシック馬となりました。
7年目のアイス・クィーン Ice Queen は惜しくも愛オークスで2着でしたが、今年8年目の産駒にあたるマスタークラフツマン Mastercraftsman とアゲイン Again が見事にアイルランドのクラシック・ダブルを達成。数あるデインヒル産駒の中では最も早く種牡馬としての実績を上げています。
一方デインヒル Danehill については、このエピソードが彼の偉大さを十二分に語っていると思われます。
2003年5月13日、デインヒルがクールモア・スタッドで事故死した時、ロンドンの保険会社ロイドが支払った保険金の額は、何と5千5百万ドル。現在のレートで換算しても55億円の巨額でした。
先2年間の種付け料収入から計算した保険料を支払っていたのですが、この金額の大きさが全てを語っているようにも思われます。
2003年の時点で、デインヒルの最高傑作はロック・オブ・ジブラルタール Rock of Gibraltar 、モーツァルト Mozart 、デザート・キング Desert King のトリオと言われていました。
デインヒル・ダンサーは、この3頭に比べれば、実績はやや下という評価だったのですね。
デインヒルの死後、彼の遺児たちは上記トリオに劣らぬ名競走馬を産んでいます。何頭か列記すると、
ダービー馬ノース・ライト North Light 、3つのGⅠに勝ったオラトリオ Oratrio 、仏2000ギニーのオッシー・ルールズ Aussie Rules 、愛ダービー、凱旋門、キングジョージなどGⅠ6勝のデイラン・トーマス Dylan Thomas 、2000ギニー馬ジョージ・ワシントン George Washington 、キングジョージなどGⅠ5勝のデューク・オブ・マーマレイド Duke of Marmalade 等々。
ここに挙げたのは、これから種牡馬として名前を残していく馬たちです。(もちろん悲劇のヒーロー、ジョージ・ワシントンは別として)
2008年シーズンが終了した時点で、デインヒルを父に持つ種馬の主なものを生年順に紹介しましょう。
(デインヒルも当初はシャトル種牡馬。南北半球に産駒がいます)
1992 フライング・スパー Flying Spur オーストラリア・ギニーに勝ったオーストラリアのスプリンター/マイラー
1993 デインヒル・ダンサー 既出
1994 デザート・キング Desert King 愛2000ギニー、愛ダービー勝馬
1994 デーンタイム Danetime 未出走ながら種牡馬として成功
1994 ヨハン・クライフ Johan Cruyff 香港ダービー
1995 タイガー・ヒル Tiger Hill バーデン大賞、独2000ギニー
1996 ダンジリ Dansili 仏2000ギニー2着ながら種牡馬として成功
1998 モーツァルト Mozart スプリントのGⅠ馬、作曲家同様若死にながら成功
1999 ロック・オブ・ジブラルタール Rock of Gibraltar 2000ギニー、愛2000ギニーなどGⅠ7連勝の怪物
2000 クロドヴィル Clodovil 仏2000ギニー
繰り返しますが、以上は既に種牡馬として実績を残し始めている馬たちの一部です。これから上記した最近の名馬たちが、このリストに加わっていくのです。
正に「種牡馬王国」を築きつつあるデインヒル。スプリンターというスペシャリストからスタートし、今やあらゆるタイプの競走馬を出すサイヤーラインに成長してきました。
実はデインヒルの牝系を遡ると、デインヒルの父系の源流であるノーザン・ダンサーが登場してきます。恐ろしいほどの牝系。
やはりサラブレッドは牝系、そのファミリーこそ最大のポイントでしょう。
それを証明しているのが、デインヒルとデインヒル・ダンサーじゃないでしょうか。
愛2000ギニーに勝ったマスタークラフツマンと愛1000ギニー馬アゲインの共通点、共にスタミナ系牝馬に父はデインヒル・ダンサーと書きましたが、デインヒル・ダンサー Danehill Dancer についてはほとんど触れていません。そこで、この項でまとめて紹介しておきます。
デインヒル・ダンサーは勿論デインヒル Danehill の産駒で、ダンジグ Danzig を経てノーザン・ダンサー Northern Dancer に到るサイヤーラインに属します。現在最も成功している父系ですね。
ノーザン・ダンサーの多くの系統で、ダンジグはスピードに重点がある血統と見て良いでしょう。実際、デインヒル・ダンサーもデインヒルも競走馬としての実績はスプリントにありました。
デインヒルが勝った最大のレースはラッドブローク・スプリント・カップ(GⅠ)ですし、デインヒル・ダンサーは2歳時にフェニックス・ステークスとナショナル・ステークスと二つのGⅠ戦に勝った馬。
両馬とも、競走馬としての成績から今日の種牡馬としての成功を予想することは難しかったと思われます。
デインヒル・ダンサーは所謂シャトル種牡馬で、季節に合わせて南半球と北半球を往復していました。
オーストラリアで1998年に生まれたのが彼の初産駒たち。これを初年度産駒とすれば、ヨーロッパで彼の産駒たちが走り始めるのは、1999年生まれの2年目産駒たちからです。
その2年目、オーストラリアで産まれたショワジール Choisir という牡馬が2歳のオーストラリア・チャンピオンとなり、4歳の時に英国に遠征し、ロイヤル・アスコットでキングズ・スタンド・ステークスとゴールデン・ジュビリー・ステークスという二つのスプリント戦を立て続けに制してイギリスの競馬ファンの度肝を抜きました。
オーストラリア調教馬のロイヤル・アスコット優勝は、これが史上初の快挙でした。
ショワジールは種牡馬としても期待され、実際にヨーロッパでもその産駒が活躍し始めています。
3年目の産駒、ムッシュ・ボンド Monsieur Bond は2000ギニー6着でしたが、これも種牡馬としてスタートを切りました。
クラシックに関しては、6年目の産駒スペシオザ Speciosa を挙げなければなりません。ロックフェル、ネル・グィンなどのトライアルを勝って本番の1000ギニーを制覇、デインヒル・ダンサーのヨーロッパでの初クラシック馬となりました。
7年目のアイス・クィーン Ice Queen は惜しくも愛オークスで2着でしたが、今年8年目の産駒にあたるマスタークラフツマン Mastercraftsman とアゲイン Again が見事にアイルランドのクラシック・ダブルを達成。数あるデインヒル産駒の中では最も早く種牡馬としての実績を上げています。
一方デインヒル Danehill については、このエピソードが彼の偉大さを十二分に語っていると思われます。
2003年5月13日、デインヒルがクールモア・スタッドで事故死した時、ロンドンの保険会社ロイドが支払った保険金の額は、何と5千5百万ドル。現在のレートで換算しても55億円の巨額でした。
先2年間の種付け料収入から計算した保険料を支払っていたのですが、この金額の大きさが全てを語っているようにも思われます。
2003年の時点で、デインヒルの最高傑作はロック・オブ・ジブラルタール Rock of Gibraltar 、モーツァルト Mozart 、デザート・キング Desert King のトリオと言われていました。
デインヒル・ダンサーは、この3頭に比べれば、実績はやや下という評価だったのですね。
デインヒルの死後、彼の遺児たちは上記トリオに劣らぬ名競走馬を産んでいます。何頭か列記すると、
ダービー馬ノース・ライト North Light 、3つのGⅠに勝ったオラトリオ Oratrio 、仏2000ギニーのオッシー・ルールズ Aussie Rules 、愛ダービー、凱旋門、キングジョージなどGⅠ6勝のデイラン・トーマス Dylan Thomas 、2000ギニー馬ジョージ・ワシントン George Washington 、キングジョージなどGⅠ5勝のデューク・オブ・マーマレイド Duke of Marmalade 等々。
ここに挙げたのは、これから種牡馬として名前を残していく馬たちです。(もちろん悲劇のヒーロー、ジョージ・ワシントンは別として)
2008年シーズンが終了した時点で、デインヒルを父に持つ種馬の主なものを生年順に紹介しましょう。
(デインヒルも当初はシャトル種牡馬。南北半球に産駒がいます)
1992 フライング・スパー Flying Spur オーストラリア・ギニーに勝ったオーストラリアのスプリンター/マイラー
1993 デインヒル・ダンサー 既出
1994 デザート・キング Desert King 愛2000ギニー、愛ダービー勝馬
1994 デーンタイム Danetime 未出走ながら種牡馬として成功
1994 ヨハン・クライフ Johan Cruyff 香港ダービー
1995 タイガー・ヒル Tiger Hill バーデン大賞、独2000ギニー
1996 ダンジリ Dansili 仏2000ギニー2着ながら種牡馬として成功
1998 モーツァルト Mozart スプリントのGⅠ馬、作曲家同様若死にながら成功
1999 ロック・オブ・ジブラルタール Rock of Gibraltar 2000ギニー、愛2000ギニーなどGⅠ7連勝の怪物
2000 クロドヴィル Clodovil 仏2000ギニー
繰り返しますが、以上は既に種牡馬として実績を残し始めている馬たちの一部です。これから上記した最近の名馬たちが、このリストに加わっていくのです。
正に「種牡馬王国」を築きつつあるデインヒル。スプリンターというスペシャリストからスタートし、今やあらゆるタイプの競走馬を出すサイヤーラインに成長してきました。
実はデインヒルの牝系を遡ると、デインヒルの父系の源流であるノーザン・ダンサーが登場してきます。恐ろしいほどの牝系。
やはりサラブレッドは牝系、そのファミリーこそ最大のポイントでしょう。
それを証明しているのが、デインヒルとデインヒル・ダンサーじゃないでしょうか。
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