読売日響・第483回定期演奏会

私が聴ける6月の読響はこの定期だけです。客席の入りはまあまあ、一回券で入る人より定期会員の出席率が良かったような感じです。
《R.シュトラウス没後60年》
R.シュトラウス/組曲「町人貴族」
     ~休憩~
R.シュトラウス/家庭交響曲
 指揮/秋山和慶
 ピアノ/三浦友里枝(町人貴族)
 コンサートマスター/藤原浜雄
 フォアシュピーラー/小森谷巧
プログラムによると、秋山の読響登場は30余年ぶりとのこと。1975年6月29日のテレビ放送以来の共演。定期演奏会ということになると1968年1月定期以来だそうです。
この解説では「万感の思いを持って自家薬籠中の逸品・家庭交響曲を指揮する」というのですがね・・・。
前半の町人貴族、これは大規模な室内楽という趣です。
しかし演奏は、前日にべネヴィッツ・クァルテットの緻密にして繊細な演奏を聴いた耳には辛いものがありました。
出だしからしてアンサンブルがガタガタ。縦線がまるで合いません。ヨーロッパでは、縦線を合わせる事は問題ではなく個々の音楽性だ、などと平気で言いますが、それは程度問題。
この曲の出来は、読響の水準では50%の仕上がりでしょう。オーケストラは弦楽四重奏に比べて如何にいい加減なレヴェルで本番にしてしまうか、という良い実例です。
ヴァイオリン2本のアンサンブルもありますが、コンサートマスターとフォアシュピーラーの息は最後まで合わず、ジッと我慢の40分でした。
これに“ブラボォ~”はないでしょ。
後半の家庭交響曲。これは流石に読響という力演でした。指揮者も練達。
ただ途中で“何か変だな”と気が付きます。
家庭交響曲は先月、沼尻竜典と日本フィルでも聴いたばかりですが、どうも響きが違う。
そうです、あるべきはずのサクソフォンが使われていません。
確かにライブラリアン向けの「オーケストラ」にはサクソフォンはオプションと書いてあります。
(オイレンブルクではサクソフォンにオプションという指示はありません。この辺の事情に詳しい人いませんかね。例によってプログラムには何も書かれていません)
でもね、沼尻/日フィルはサクソフォンを4本(ソプラノ、アルト、バリトン、バス)使っていました。沼尻はマエストロサロンで特にバス・サックスの入手に苦労したことも披露していましたよね。
指揮者が、どうせ鳴らしても聴こえないからサックス無し版でやりましょうと言ったのか、オケ側がカネが掛かるからエキストラは雇えませんと言ったのか。
それにしては8本のホルンと4本のトランペットにはアシを一人づつ付けていました。(トランペット長谷川首席に、アシは田島首席!)
オーケストラは上手ければ良い、デカイ音が出れば良い、というものではないと思うのです。
こういう事実に目が行ってしまうと、どうも私は素直に演奏を楽しむことが出来ない天邪鬼なんですわ。
終了後のブラボォ大合唱が高まれば高まるほど、釈然としないメリーウイロウでした。
文句の言い序でにもう一言。
読響の最近のプログラムは充実していると思っていましたが、また元に戻ってしまったようですね。
例えば町人貴族。これは「リゴレット」や「ラインの黄金」のパクリが出てくるのが聴き所の一つなんですが、解説には何も書いてありません。いくらなんでもこれは具合が悪いのじゃないでしょうか。
それに家庭交響曲は・・・。いや、止めておきましょう。
例のサックス、私なら「音は聴こえなくてもバス・サックスという異様な楽器の姿をジックリ観察するのも見所の一つでしょう」などと書くところでした。
以前は読響コミュニティで聴き所を書いていましたが、止めてよかった。とんだ赤っ恥を搔くところでしたよ。

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