フェスタサマーミューザ2009(3)

今年のフェスタサマーミューザで私が選択したのは3公演だけ。その最後が昨夜行われた東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の演奏会です。
プログラム紹介は一行で済みますね。飯守泰次郎の指揮するブルックナーの交響曲第7番だけ。正味1時間10分ほどのコンサートです。
プログラム誌にはノヴァーク版と表記されていましたが、第7には事実上ノヴァークもハースもなく、異稿も存在しません。ただ第2楽章にシンバルとトライアングルを加えるか否かだけ。
マエストロの選択は、シンバルとトライアングルを加えるエディションでした。
事前にプレトークがありました。今年のフェスタでプレトークを行ったのは(事前にプレトークが予定されていたのは)読売日響、日本フィル、東京シティ・フィルの3公演だけ。偶然ながら私は全てのプレトークも聞いたことになります。
これは3者3様のスタイルがあって面白かったですね。昨夜の飯守は氏の人柄が全て出ていました。
要するにマエストロの関心は音楽だけ、ということ。ブルックナーとその作品をピアノを弾きながら丹念に説き進めるスタイルで、これまでのドイツ音楽の歴史を概観する定期シリーズで続けてこられたものと同じ。
氏の調性に関する解説は独自のもので、語り出したら限が無いという性格のものでしょう。
今回のブルックナーも飯守の拘りが全て、と言えましょうか。恐らくマエストロの音楽に対する姿勢が最も適合しているのが、ブルックナーその人。
それは作品を面白おかしく聴かせるという態度とは正反対のもので、司祭の執り行う宗教行為にも喩えられるでしょうか。
此の場合、オーケストラのヴィルトゥオージティなどは全く問題にならず、聴衆は只管ブルックナーの描いた音楽の深みに沈潜して行けば良い。
飯守を常任指揮者に戴く東京シティ・フィルは、親分の音楽をそのまま現実に響かせる楽器と化した感があります。
プレトークが終って演奏が開始されるまでの10分ほど。8人のコントラバス奏者だけがステージに乗って入念なチューニングを繰り返していたことに気がつかれた方、いらっしゃいますか?
重低音を基礎に和声を構築していくブルックナーのオルガン風オーケストレーション。そのことを最も強く意識している指揮者とオーケストラの共同作業。これこそが聴き所なのです。
最後のカーテン・コールの微笑ましくも丁寧なこと。当夜の音楽を象徴するような光景でした。
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