音楽の現在・2009

8月21日から8月31日まで行われているサントリー音楽財団が企画するサマーフェスティヴァル2009から、「音楽の現在」と題するオーケストラ・コンサートを聴いてきました。
同財団の創設40周年に当る記念の企画でもあります。
プログラムは以下のもの。
シャリーノ/リコーダーとオーケストラのための4つのアダージョ(2008)
トーマス/ヴァイオリン協奏曲第3番「楽園の曲芸師」(2008)
     ~休憩~
ベッドフォード/オーケストラのための「花輪」(2007)
エトヴェシュ/2台ピアノとオーケストラのための協奏曲
 管弦楽/東京都交響楽団
 指揮/沼尻竜典
 リコーダー/鈴木俊哉
 ヴァイオリン/千々岩英一
 ピアノ/瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオ
残暑が一息つき、サントリー・ホールへの行き帰りもいくらか楽になってきました。
楽音を聴き取る耳の良さではピカイチの俊英・沼尻の指揮に期待を抱いて出掛けたのですが・・・。
この日取り上げられた作品は全てが日本初演。初演であろうとなかろうと、産まれて間もない作品を評価する程の耳は持ち合わせていませんから、ざっくばらんな感想になります。
今年選ばれたのは、大家・中堅作曲家の2007年から2008年にかけて作曲された新作。国籍もイタリア・アメリカ・イギリス・ハンガリーと国際的な顔ぶれになっているのが特徴でしょう。
演奏された曲順に、ポイントだけを簡単に紹介。
サルヴァトーレ・シャリーノ Salvatore Sciarrino (1947- ) はイタリアの作曲家。クワルテット・エクセルシオが世界初録音した第7弦楽四重奏曲で知っている人ですが、2005年のサマーフェスティヴァルでも集中的に取り上げられていますから、現代音楽ファンには馴染みの人でしょう。
4つのアダージョは、リコーダーのソロと管弦楽による一種の協奏曲。ソリストは大小2種類のリコーダーを使い分けながら作品の主人公を務めます。
作曲家自身のプログラム・ノートによれば、“リコーダーは音楽の執事のようにすべてをとりしきる役割”。
リコーダー自体は極めて微弱な音量しか出ませんから、オーケストラも極端に節約された音に終始します。フォルテ、というか大きな音量が響くのはほんの数箇所。
このスタイルはシャリーノの作風なのでしょう。
何故アダージョばかり4つなのかについては、作曲者自身がプログラムに解説しています。
基本的には3管編成ですが、弦は10-8-6-4-4。打楽器は特殊なモノを含めて多数登場し、アルプス交響曲でお馴染みの鉄板(雷鳴)を微かに響かせるのが目を惹きました(第1~第3曲に登場)。
ハープも時折掻き鳴らしますが、聴こえるか聴こえないかギリギリの弱音。
アダージョと微弱音だけで20分は、私には少し長く感じられました。音楽そのものはイタリア人らしく「歌」を意識したもの。
オーガスタ・リード・トーマス Augusta Read Thomas (1964- ) はアメリカの女流?。私は恥ずかしながら初めて聞く名前です。もちろん作品も初めて耳にするもの。
「ヴァイオリン協奏曲第3番」という作品名からしていかにも保守的です。
全体は通して演奏されますが、カデンツァ風な部分も含めて極めて伝統的なコンチェルトのスタイル。
曲の後半でドキッとするほどに美しいハーモニーが鳴り響いたり、最後はソロの高音域による叙情的なムードで閉じられたりと、一瞬時代を遡ってしまったのでは、と錯覚する作品でした。
ヴィルトゥオーゾ協奏曲の21世紀版。
ルーク・ベッドフォード Luke Bedford (1978- ) も個人的には初めて耳にする名前と作品。これぞ、えげれすぅっ、という典型的なイギリスの作曲家です。
この日演奏された唯一のオーケストラだけの作品。自身のプログラム・ノートによれば、初めて書いた12分以上の作品の由。
タイトルの「花輪」は、プログラムによれば“どこか古めかしく朽ちていく性質を持っている”からとか。
本人からあからさまに言われては仕方ありませんが、この日演奏された作品の中では最も古めかしく、陳腐と言われても仕方ないように思いました。
いかにも英国の作品らしく、なだらかな起伏を以って音楽が高まり、静まっていく。これに身を委ねていると、何処かで聴いたことがあるような錯覚に捉われます。
そう、ラフマニノフの交響詩「死の島」。一旦そう思うと、もういけません。単なるパクリじゃないか・・・。
ペーター・エトヴェシュ Peter Eotvos (1944- ) はハンガリーの大家。この人は名前も知っていますし、何かは忘れましたが作品も聴いたことがあります。
この新作はタイトルからも想像されるとおり、バルトークの同名作品へのオマージュです。これまたハンガリーの伝統的音楽語法。
作品そのものは2005年に書かれたものを2台ピアノ用に改訂したものの由。全部で5楽章。第2~3楽章はアタッカで続くため、4楽章のようにも聴こえます。
第1楽章が小太鼓で始まったり(弦チェレ)、“明白な引喩で”オケ・コンに似せた部分もあります。
以上、聴き終わってみれば、どれも「西洋音楽」が培ってきた伝統から脱却するものではなく、「現代音楽」という視点で見ても時代に逆行しているのではないかと錯覚する作品ばかりでした。
演奏も期待を裏切るもの。何よりオーケストラのレヴェルが低すぎます。
全曲が日本初演というのが大変な労苦であることは判りますが、それにしてもアンサンブルがイマイチ。当方は楽譜を見ているわけでもなく、どれも新作ですから断言は出来ませんが、リハーサルを途中で切り上げて本番にしてしまったような消化不良感が残るばかり。
弦楽器は、最初から最後までシャリーノの編成を一歩も出ません。これでは最後の作品など弦楽の響の薄さが致命的。
夏休みを取っている楽員が多いのか、現代音楽アレルギーのメンバーが多いのかは知りませんが、もっと弦を充実させなければ、作品の本質を損なってしまうでしょう。
(コンサートマスターは何と荒井英治氏。彼は確か東フィルのコンマスだったはず。都響に移籍したという話は聞いていません。間違っていたらごめんなさい)
最後のエトヴェシュ、もう少しマシなソリストとオーケストラで演奏すれば、それなりの手応えのある作品でしょう。
その意味でも残念な水準でした。
もう一ついけないのは客席。自らの意思で参加した熱心な聴衆がいたことも確かですが、明らかにタダ券が回ってきたので来た、という客が多過ぎます。
クラシック音楽のコンサートは初めて、サントリーホールも初体験というクラシックおのぼりさんたち。
その中の一人が、エトヴェシュの第4楽章で人を憚らない大クシャミ。その同じ年配の男性が、派手に携帯電話を鳴らすのでした。
これには流石の沼尻も苦笑。当人が携帯電話の音を止めるのを辛抱強く待って、やおらフィナーレを開始しました。
興醒めの極み!!!
(サントリーホールは携帯電話の電波をシャットアウトしていると聞きましたが、あれはウソなんでしょうか)
現代音楽は集客が困難なのは判りますが、無批判に招待状を配る(多分)主催者の態度にも問題がありそうです。
ということで、作品にも演奏にも、特に客席に失望した演奏会でした。
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