ムズカシイはおもしろい!! バルトーク編(1)
首都圏を掠めた台風15号が去って急速に秋めいた東京、昨日は上野で弦楽四重奏を楽しんできました。去年からスタートした古典四重奏団の新シリーズ、「ムズカシイはおもしろい!!」バルトーク全曲演奏会の第1回です。プログラムは以下のもの。
レクチャー“ドビュッシーとバルトーク”
~休憩~
バルトーク/弦楽四重奏曲第1番
~休憩~
バルトーク/弦楽四重奏曲第2番
バルトーク/弦楽四重奏曲第3番
古典四重奏団
見てお解りの通り、コンサート本編の前に30分ほどのレクチャーがあります。去年のベートーヴェンと同じスタイル。
「クラシック音楽」というジャンルは日本の一般的な社会ではマイナーな存在、中でも室内楽、特に弦楽四重奏というスタイルは少数派の中の少数派という位置付けでしょう。この分野で活躍している音楽家は、少しでも敷居を低くしようと努力を重ねているのが現実。古典四重奏団も敢えて「ムズカシイ」を掲げ、それを少しでも「おもしろく」楽しんで貰うべく企画したのがこのシリーズです。
それでも東京文化会館の小ホールは空席が目立ち、聴衆も固定化してきているのは残念な限りですね。パンダ舎の前に群れる何人かが間違って入場してくれれば、大熊猫より遥かにおもしろい時間が過ごせるのに・・・ですな。
私が古典四重奏団のバルトーク・ツィクルスを聴くのは今回が二回目。最初の体験(2005年の第一生命ホール)で受けた衝撃と感動は、一生忘れられるものではありません。
そのときの感想文を探しましたが、未だブログを開設する以前のコンサート。6年前の記憶を辿れば、私がこれまで体験した最高のバルトーク演奏だったと言えるでしょうか。欧米の団体でもバルトーク全曲を聴きましたが、古典のそれは別の次元と言っても宜しい。
6年前にも演奏会とは別にレクチャーがありました。今回はコンサートの前、二回にわたって田崎氏の解説が入りますが、晴海の時とは別の内容になっています(定かではありませんが、と思います)。
それはプログラム誌も同じ。物置をガサゴソと引っ掻き回して前回のプログラムを探し出し、比較してみました。
書き手はどちらも碩学であるファーストの川原千真。どちらも優れたバルトーク論になっていて、前回は楽曲解説のほかに「バルトークと弦楽四重奏曲」、「民謡収集研究家」、「自然観察家」の三段で論じていました。
今回の解説は、「ハンガリーとバルトーク」、「創造の種子」、「バルトークと音楽家達」の三段構え。もちろん書かれている内容に共通点も多いのですが、文章は全く別のもの。例えば、どちらも黄金分割やフィナボッチ数列についての記述がありますが、「松ぼっくり」の図は別のものが使用されています。
6年の時間を経て書かれたものでしょうが、バルトーク紹介のコンセプトに変化はありません。今流行の言いまわして表現すれば、「ぶれない」ということでしょうね。
演奏も当然ながら「ぶれ」はありません。この(演奏する側にとっては)難曲を全て暗譜で弾き通す姿勢に変化はありませんし、全曲の演奏順序も全く同じです。
(前回は9月28日と10月12日だったのに対し、今回は9月25日と11月8日。秋のバルトークは偶然かも知れませんが、個人的には季節もピッタリだと思いますね)
各作品の感想については一々触れません。
レクチャーでも若干触れられていましたが、所謂クラシック音楽を乱暴に「聖音楽」と「俗音楽」に大別すれば、バルトークは明らかに「俗」でしょう。
また同様に「西洋音楽」と「東洋音楽」に分類すれば、バルトークは東洋。これを言い出すと目くじらを立てる人がいるのでここまでにしますが、私見では、バルトークこそ「クラシック音楽=西洋音楽」という法則をブチ壊した張本人ではないでしょうか。
私が子供の頃から叩き込まれてきた「クラシック音楽=西洋音楽」という図式は、西洋人が言い出した、極言すればカトリックの教義で創り出された幻想に過ぎません。
その意味では、西洋人にとってバルトークはムズカシイのですが、我々日本人にとっては決して難解じゃありません。むしろその逆で、バルトークは面白くて時間が経つのを忘れさせてくれるほど。
西洋古典音楽こそクラシック音楽の精髄と考えているクラシック・ファンにはバルトークを楽しむのに解説が必要かもしれませんが、クラシック音楽に余り馴染の無い子供たちや、他のジャンルを楽しんでいる聴き手にとってバルトークは難しくないでしょう。
東洋を代表する団体が演奏する演奏こそ、バルトークの真価を伝えられる。古典四重奏団のバルトーク全曲演奏会は、そのことに気付かせてくれる絶好の機会なのです。
これを聴かなければ一生を悔いることになりますよ。クラシックおたくの皆さん。
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