読売日響・第517回名曲シリーズ
昨日は久し振りに読響の名曲シリーズに足を運びました。現在はこのシリーズも会員なのですが、6月と7月は都合により欠席しました。
名曲シリーズは8月も演奏会があり、年間12回。シリーズ券は定期演奏会と同じ値段ですから、1回分徳用になっています。
正直なところ、今月も一つ気乗りがしなかったもの。そもそもマーラーはあまり好きではないし、最近の読響重厚路線には辟易感も覚えていたからです。
しかしこれは素晴らしいコンサートでした。行って良かった、聴いて大正解。プログラムは、
ヘンデル/組曲「王宮の花火の音楽」(ホグウッド校訂による新版2008)
~休憩~
マーラー/交響曲第5番
指揮/高関健
コンサートマスター/藤原浜雄
フォアシュピーラー/小森谷巧
8月のマエストロ・高関健は、これまで広島、大阪、群馬、札幌などで重要なポストに就いてきました。優れた才能であることは認識していても、東京では案外に聴く機会が少なかった人。態々地方まで出掛けて聴くような機会もありませんでした。
今回の読響登場が、今後の大ブレイクに繋がることを切に望んで止みません。
冒頭のヘンデル。昨今の大編成オーケストラのプログラムに登場する機会が激減しているバロック音楽ですが、久し振りにモダン楽器による堂々たるヘンデルを堪能しました。先ずこの選択に拍手。
高関自身がプログラムに書いていましたが、学生時代にヴァイオリンを学んでいた頃はバッハやヘンデルに多数取り組んでいた由。今後も引き続き取り組みたいと意欲を示しています。
今回の演奏はホグウッドが改訂した版によるもの。予期に反してモダン楽器による堂々たるアレンジで、小太鼓2人、コントラファゴットにチューバも登場する豪華なアレンジです。いや、チューバじゃないな。もっと管が細く、オフィクレイドのようなイメージ。
プログラムに何の解説も無いのは、流石に読売日響です。
指揮台の替りにチェンバロが置かれ、指揮者は立ったまま鍵盤楽器も受け持ちます。
ただし音量的にはフル・オーケストラに埋没し、これは視覚的なアピールに止まっていました。
圧巻はメインのマーラー。
自身のメッセージには、“どちらの作品も(ヘンデルもマーラーも、の意)現時点で最新の研究成果を取り入れた楽譜により演奏” と書かれていましたが、指揮台に置かれていたのは通常のカーマス版のようにも見えました。
恐らく研究成果そのものを咀嚼し、完全に納得した上で採用したのでしょう。スコアの読みの深さがハッキリと認識できる名演でした。
高関のマーラーの特徴は、足が地に着いているとでも言いましょうか、浮ついたところが全く無い点にあります。
とは言いながらスコアを唯ぶっきら棒に音にするのではなく、マーラーが書き込んだ細部を疎かにせず、むしろ積極的に表現することを目指しています。
それでいて音楽が散漫にならないのは、楽曲の構成をしっかり把握しているので、現在演奏している箇所が作品全体の中で何処に位置しているかが常に意識されているため。
大曲にも拘わらず決して長さを感じさせず、繊細且つ手に汗を握るほどのスリリングなマーラー。
この第5は、恐らく私がこれまでに接した最高のマーラーと断言しても良いでしょう。
苦手なマーラーも、高関の指揮でなら全曲をツィクルスで聴いてみたい、そんなマーラー。正に眼から鱗でした。
聴き古したスコアから様々に初めて聴くような響きがしていましたが、これこそ指揮者が優れていることの証ですぞ、諸君!
読売日響の素晴らしさも、ここに極まった感がありました。
最初のカーテン・コールで、マエストロはホルン(山岸博)とトランペット(長谷川潤)を指名、客席から大歓声が起きました。
彼らがほとんど完璧に吹き切ったのも、高関の棒が的確だったから。
東京の各オーケストラよ、外国の指揮者にばかり媚を売るのでなく、ここにもっと優れた巨匠が控えていることに気が付くべきです。灯台下暗し。
聴衆の諸君、指揮者は容貌でもスタイルでもない。創り出す音楽そのものこそ勝負ですぞ。
高関健、聴く可し。
名曲シリーズは8月も演奏会があり、年間12回。シリーズ券は定期演奏会と同じ値段ですから、1回分徳用になっています。
正直なところ、今月も一つ気乗りがしなかったもの。そもそもマーラーはあまり好きではないし、最近の読響重厚路線には辟易感も覚えていたからです。
しかしこれは素晴らしいコンサートでした。行って良かった、聴いて大正解。プログラムは、
ヘンデル/組曲「王宮の花火の音楽」(ホグウッド校訂による新版2008)
~休憩~
マーラー/交響曲第5番
指揮/高関健
コンサートマスター/藤原浜雄
フォアシュピーラー/小森谷巧
8月のマエストロ・高関健は、これまで広島、大阪、群馬、札幌などで重要なポストに就いてきました。優れた才能であることは認識していても、東京では案外に聴く機会が少なかった人。態々地方まで出掛けて聴くような機会もありませんでした。
今回の読響登場が、今後の大ブレイクに繋がることを切に望んで止みません。
冒頭のヘンデル。昨今の大編成オーケストラのプログラムに登場する機会が激減しているバロック音楽ですが、久し振りにモダン楽器による堂々たるヘンデルを堪能しました。先ずこの選択に拍手。
高関自身がプログラムに書いていましたが、学生時代にヴァイオリンを学んでいた頃はバッハやヘンデルに多数取り組んでいた由。今後も引き続き取り組みたいと意欲を示しています。
今回の演奏はホグウッドが改訂した版によるもの。予期に反してモダン楽器による堂々たるアレンジで、小太鼓2人、コントラファゴットにチューバも登場する豪華なアレンジです。いや、チューバじゃないな。もっと管が細く、オフィクレイドのようなイメージ。
プログラムに何の解説も無いのは、流石に読売日響です。
指揮台の替りにチェンバロが置かれ、指揮者は立ったまま鍵盤楽器も受け持ちます。
ただし音量的にはフル・オーケストラに埋没し、これは視覚的なアピールに止まっていました。
圧巻はメインのマーラー。
自身のメッセージには、“どちらの作品も(ヘンデルもマーラーも、の意)現時点で最新の研究成果を取り入れた楽譜により演奏” と書かれていましたが、指揮台に置かれていたのは通常のカーマス版のようにも見えました。
恐らく研究成果そのものを咀嚼し、完全に納得した上で採用したのでしょう。スコアの読みの深さがハッキリと認識できる名演でした。
高関のマーラーの特徴は、足が地に着いているとでも言いましょうか、浮ついたところが全く無い点にあります。
とは言いながらスコアを唯ぶっきら棒に音にするのではなく、マーラーが書き込んだ細部を疎かにせず、むしろ積極的に表現することを目指しています。
それでいて音楽が散漫にならないのは、楽曲の構成をしっかり把握しているので、現在演奏している箇所が作品全体の中で何処に位置しているかが常に意識されているため。
大曲にも拘わらず決して長さを感じさせず、繊細且つ手に汗を握るほどのスリリングなマーラー。
この第5は、恐らく私がこれまでに接した最高のマーラーと断言しても良いでしょう。
苦手なマーラーも、高関の指揮でなら全曲をツィクルスで聴いてみたい、そんなマーラー。正に眼から鱗でした。
聴き古したスコアから様々に初めて聴くような響きがしていましたが、これこそ指揮者が優れていることの証ですぞ、諸君!
読売日響の素晴らしさも、ここに極まった感がありました。
最初のカーテン・コールで、マエストロはホルン(山岸博)とトランペット(長谷川潤)を指名、客席から大歓声が起きました。
彼らがほとんど完璧に吹き切ったのも、高関の棒が的確だったから。
東京の各オーケストラよ、外国の指揮者にばかり媚を売るのでなく、ここにもっと優れた巨匠が控えていることに気が付くべきです。灯台下暗し。
聴衆の諸君、指揮者は容貌でもスタイルでもない。創り出す音楽そのものこそ勝負ですぞ。
高関健、聴く可し。
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