読売日響・第508回定期演奏会

10月の読日定期は、正指揮者・下野が得意とするレアものを並べたプログラム。以下の内容です。

ジョン・アダムス/ドクター・アトミック・シンフォニー(日本初演)
     ~休憩~
團伊玖磨/交響曲第6番「HIROSHIMA」
 指揮/下野竜也
 能管・篠笛/一噌幸弘(いっそ・ゆきひろ)
 ソプラノ/天羽明恵
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

演奏に先立ってマエストロ下野と評論家・奥田佳道によるプレトークがありました。今回のプログラムに寄せるメッセージ、ということでしょうが、鑑賞の助けになったとは思えません。
却ってプログラムの曲目解説をジックリ読む時間が無くなってしまい、プレトークは余分だったのでは、という感想です。

正直に申し上げて、感想の書き様がありません。第一に、アダムスも團も私が最も苦手なタイプの作曲家であること。第二には、両曲ともスコアが入手できず、目から入る情報が何もないこと。
定期会員でなければパスしたコンサートだったでしょう。

アダムス作品については、歌劇「ドクター・アトミック」をメットのライヴ・ビューイングで見て歌劇本体は体験しましたが、これを素材にしたシンフォニーは初体験です。今回が日本初演なのですから。

全体は25分ほど。歌劇の進行とは無関係に「研究所」「パニック」「トリニティ(三位一体)」の3部分から成る単一楽章の交響曲で、最後にトランペット独奏が第1幕の最後でオッペンハイマー博士が歌うアリアを奏でます。
オペラそのものは私には抵抗がありましたが、このような形で演奏されれば、一昔前の現代音楽としてそれなりに楽しめます。むしろオペラを見ない方がスンナリと受容できる音楽。
私の嫌いなミニマル・ミュージックの要素はほとんどなく、如何にもアメリカ音楽の容貌を備えた陳腐なシンフォニーという感じに聴こえました。

一方の團、大御所を前に大変申し訳ないのですが、私は彼の作品を聴いて感心したことは一度もありません。私には作曲家としての際立った個性が感じられないのが最大の要因。
(もちろん、「ぞうさん」や「花の街」は大好きですけどね)
今回の長大な交響曲も力作であることは理解できますが、邦楽器や声楽を使う必然性は感じられませんでした。

これも3楽章構成。第1楽章は明白なソナタ形式で、能管は点描風。
第2楽章も聴いて直ぐに判るスケルツォ。トリオでファゴットに出るのは「鞆の浦大漁節」で、篠笛が奏するのは「音戸の舟歌」の由。
第3楽章は緩徐楽章とフィナーレを一つに纏めたもので、オルガン席の下でソプラノが英詩人エドムンド・ブランデンの「HIROSHIMA,A Song for August 6, 1949」を英語で歌います。

特に第1・3楽章が長大で、全体は1時間にも及ぶ長大なもの。この長さには辟易してしまいました。私の席からはソプラノが遠く、何語で歌っているかも聴き取れません。また最後にはP席に据えられたチューブラーベルも連打されますが、態々離れた場所で鳴らす意味があったのでしょうか。2階席なら効果的に響いたのかも知れません。
音楽そのものも斬新な発想はほとんど感じられず、「西洋音楽」の美味しい所を繋ぎ合わせた感じ。マーラー、シュトラウス、プッチーニ風の響きが延々と続くもの。形式も古めかしく、最後まで作曲家の「顔」が見えてこないのです。

ただしソロの能管と篠笛は楽しめました。私は邦楽器には全く知識がありませんが、第2楽章で片足を上げて吹くシーンに興味津々。低い音を出すテクニックなのか、音量を穿いている袴で抑えるためなのか、これこそ解説が欲しいと思いました。

ということで、意欲的なプログラムであることは理解できますが、一晩の音楽会を楽しめたかと言われれば、否、と答えざるを得ません。

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