ドビュッシーの日
競馬ネタじゃありません、作曲家ドビュッシーです。
クラシック音楽の世界では、8月はいわゆる夏休み。定期的に演奏会を催している各オーケストラも8月は定期演奏会を行いません(京都市響だけは例外ですが)。
オーケストラ以外もめぼしいものはほとんどなく、音楽会の主役は避暑地の音楽祭に移ってしまうのが恒例でした。
そこで、というわけでもないでしょうが、近年は都会でも夏場の音楽会を見直す動きも出てきているようです。
東京では以前から「東京の夏」という音楽祭をやっていましたが、ここ数年は各ホールが自主的に様々な企画で夏場勝負に出ているような気がします。
ミューザ川崎の「フェスタ・サマー・ミューザ」、サントリーホールの現代音楽を集中的に演奏する「サマーフェスティヴァル」などが好例でしょう。
上野の東京文化会館もその例に洩れず。以前からあったのか今年からの催しかは未確認ですが、この8月22日から「夏@東京文化会館」と題する音楽三昧の10日間という企画が始まっています。
柱は5本。
①夏休み子ども音楽会2009
②夏の音楽浴Ⅰ シエナ・ウインド・クラシックス
③夏の音楽浴Ⅱ 小川典子 ドビュッシーの日
④夏休みモーニングコンサート(3日間)
⑤第7回東京音楽コンクール本選(4日間)
8月22日から31日までの毎日、10日間の連続音楽会。何より入場料が廉く設定されているのがありがたいところでしょう。
残暑が厳しい時期、適度に空調が利いたホールで快適な時間を過ごすのも避暑の一手かも知れません。
前置きは以上。
昨日はその一つ、③を楽しんできました。企画制作はもちろん東京文化会館、小川典子本人とカジモトの企画協力によるプログラムです。
コンサートそのものは三部構成。1日に3回のハーフ・コンサートを用意し、ドビュッシーのピアノ作品を展望する企画です。
第1回は13時から、第2回が16時から、そして最終第3回は19時からというもの。
3回通しで楽しむのが本来でしょうが、1回づつのチケットも発売されていました。
私が聴いたのは第3回、最後の部だけ。
プログラムを通して見たとき、“あ、これはドビュッシーの初級、中級、上級だな” と瞬間的に思いました。
私が第3回だけにしたのは、別に自分が上級リスナーだと思っている訳ではなく、1日に3回通して聴くのが多少辛いと感じたことと、コンサートの間の各2時間の時間潰しに苦労しそうだ、と考えたためです。
それに24日から3日間コンサート通いが続くということの配慮も働いたから。
またしても前置きになってしまいましたが、「小川典子 ドビュッシーの日」第3部のプログラムは、「幾何学模様」と副題が付いた、12の練習曲の全曲演奏です。
第1巻は、
5本の指のために ~チェルニー氏にならって
3度のために
4度のために
6度のために
オクターヴのために
8本の指のために
第2巻が、
半音階のために
装飾音のために
反復音のために
対比的な響きのために
アルペジオのために
和音のために
小川は各曲の簡単な解説とエピソードに触れ、全曲を一気に弾き切りました。
これはそのように演奏しなければならないほど集中力を必要とする作品群。それは演奏家にとってだけでなく、聴き手にも必要な努力なのです。
この日の小川の集中力は物凄く、凡そ考えられる最高のドビュッシー・ワールドを堪能させて貰いました。
特に「8本の指のために」は、両手の親指を使わない正統的演奏。ドビュッシー自身が、親指を使うと反って指使いが不自然になる、と注意書きしている一品ですね。
そもそもドビュッシーは練習曲に一切の指使いを支持せず、フィンガリングは演奏者自身の創意工夫に委ねている作品です。「創意工夫」に欠いたピアニストには、そもそも演奏不可能な作品。聴きどころ、見どころは正にそこにある、と申せましょう。
練習曲集は最晩年のドビュッシーが、自身の音楽観に何の装飾も施さず、エッセンスだけを楽譜に書き付けたもの。とかくドビュッシーに有り勝ちなロマンティシズムやポエジーを寄せ付けない厳しさがあります。
それだけに、演奏家はピアノ演奏に拘わるあらゆるテクニックを必要とし、「音楽そのもの」に集中しなければならない世界。現代のピアニストで、これを完璧に演奏できるのは小川以外には考えられないでしょう。
息を吐くのも忘れさせるほどの集中を解きほぐすように、前奏曲集第1巻の「ミンストレル」とベルガマスク組曲の「月の光」をアンコール。
聴き慣れたドビュッシーの世界で「ドビュッシーの日」を締め括りました。
クラシック音楽の世界では、8月はいわゆる夏休み。定期的に演奏会を催している各オーケストラも8月は定期演奏会を行いません(京都市響だけは例外ですが)。
オーケストラ以外もめぼしいものはほとんどなく、音楽会の主役は避暑地の音楽祭に移ってしまうのが恒例でした。
そこで、というわけでもないでしょうが、近年は都会でも夏場の音楽会を見直す動きも出てきているようです。
東京では以前から「東京の夏」という音楽祭をやっていましたが、ここ数年は各ホールが自主的に様々な企画で夏場勝負に出ているような気がします。
ミューザ川崎の「フェスタ・サマー・ミューザ」、サントリーホールの現代音楽を集中的に演奏する「サマーフェスティヴァル」などが好例でしょう。
上野の東京文化会館もその例に洩れず。以前からあったのか今年からの催しかは未確認ですが、この8月22日から「夏@東京文化会館」と題する音楽三昧の10日間という企画が始まっています。
柱は5本。
①夏休み子ども音楽会2009
②夏の音楽浴Ⅰ シエナ・ウインド・クラシックス
③夏の音楽浴Ⅱ 小川典子 ドビュッシーの日
④夏休みモーニングコンサート(3日間)
⑤第7回東京音楽コンクール本選(4日間)
8月22日から31日までの毎日、10日間の連続音楽会。何より入場料が廉く設定されているのがありがたいところでしょう。
残暑が厳しい時期、適度に空調が利いたホールで快適な時間を過ごすのも避暑の一手かも知れません。
前置きは以上。
昨日はその一つ、③を楽しんできました。企画制作はもちろん東京文化会館、小川典子本人とカジモトの企画協力によるプログラムです。
コンサートそのものは三部構成。1日に3回のハーフ・コンサートを用意し、ドビュッシーのピアノ作品を展望する企画です。
第1回は13時から、第2回が16時から、そして最終第3回は19時からというもの。
3回通しで楽しむのが本来でしょうが、1回づつのチケットも発売されていました。
私が聴いたのは第3回、最後の部だけ。
プログラムを通して見たとき、“あ、これはドビュッシーの初級、中級、上級だな” と瞬間的に思いました。
私が第3回だけにしたのは、別に自分が上級リスナーだと思っている訳ではなく、1日に3回通して聴くのが多少辛いと感じたことと、コンサートの間の各2時間の時間潰しに苦労しそうだ、と考えたためです。
それに24日から3日間コンサート通いが続くということの配慮も働いたから。
またしても前置きになってしまいましたが、「小川典子 ドビュッシーの日」第3部のプログラムは、「幾何学模様」と副題が付いた、12の練習曲の全曲演奏です。
第1巻は、
5本の指のために ~チェルニー氏にならって
3度のために
4度のために
6度のために
オクターヴのために
8本の指のために
第2巻が、
半音階のために
装飾音のために
反復音のために
対比的な響きのために
アルペジオのために
和音のために
小川は各曲の簡単な解説とエピソードに触れ、全曲を一気に弾き切りました。
これはそのように演奏しなければならないほど集中力を必要とする作品群。それは演奏家にとってだけでなく、聴き手にも必要な努力なのです。
この日の小川の集中力は物凄く、凡そ考えられる最高のドビュッシー・ワールドを堪能させて貰いました。
特に「8本の指のために」は、両手の親指を使わない正統的演奏。ドビュッシー自身が、親指を使うと反って指使いが不自然になる、と注意書きしている一品ですね。
そもそもドビュッシーは練習曲に一切の指使いを支持せず、フィンガリングは演奏者自身の創意工夫に委ねている作品です。「創意工夫」に欠いたピアニストには、そもそも演奏不可能な作品。聴きどころ、見どころは正にそこにある、と申せましょう。
練習曲集は最晩年のドビュッシーが、自身の音楽観に何の装飾も施さず、エッセンスだけを楽譜に書き付けたもの。とかくドビュッシーに有り勝ちなロマンティシズムやポエジーを寄せ付けない厳しさがあります。
それだけに、演奏家はピアノ演奏に拘わるあらゆるテクニックを必要とし、「音楽そのもの」に集中しなければならない世界。現代のピアニストで、これを完璧に演奏できるのは小川以外には考えられないでしょう。
息を吐くのも忘れさせるほどの集中を解きほぐすように、前奏曲集第1巻の「ミンストレル」とベルガマスク組曲の「月の光」をアンコール。
聴き慣れたドビュッシーの世界で「ドビュッシーの日」を締め括りました。
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