強者弱者(6)

朝顔の花、漸く小し

 街頭、漸く夏帽子の数を減じ、唐物屋の店頭冬帽子の売行、甚だ盛んなるを見る。銀座の大徳など若き紳士の連れ立ちて其品評に余念なきを見る。
 歌舞伎座、市村座、東京座、明治座、本郷座、新富座、など何れも競うて十月興行の外題、役者の顔振れなど吹聴す。十月は興行もの復活の時なり。
 萩の花名残なく散りしきてカンナ亦痩せたり。郊外の家、破れたる垣に近く自ら生ひ出でたる朝顔の花、指頭の大きさに充たぬも哀れ深し。
 冷気頓に加はる。蟋蟀床上に鳴いて夜気転た凄愴。

          **********

唐物屋というのは耳慣れない言葉ですが、広辞苑によれば「唐物」とは中国または他の諸外国から渡来した品物のこと。舶来品ですな。その唐物を商うのが唐物屋で、洋品店という感覚でしょう。現在なら輸入雑貨店か。
銀座の「大徳」という店が例に挙がっていますが、現在はどうなっているのでしょう。

歌舞伎については詳しくないので良く判りませんが、100年前の明治末年は現在より盛んだったでしょう。
挙げられている六座のうち、歌舞伎座と明治座はもちろん健在。
市村座は江戸三座の一つで歴史は古く、この当時は現在の台東区にあったようです。1932年焼失。
新富座も江戸三座の一つで、新富町に移ってから近代化した私設が評判だった由。1923年の関東大震災で焼失。

調べるのに手間取ったのが本郷座と東京座。
本郷座は本郷の春木町にあったそうで、明治6年開業。関東大震災で焼失した後は常設映画館として再建されたものの、昭和20年の東京大空襲で再度焼失し、その後再建されていない由です。

東京座は明治33年(1900年)に開場した、当時では新しい劇場で、神田にあったらしいですね。現在のニチレイ水道橋ビルがその跡地だそうです。
100年前、神田は東京芝居のメッカと呼ばれていたとのこと。

いずれにしても10月は各芝居小屋のシーズン開幕。歌舞伎だけではなく、後には映画館としても、オペラ座としても機能していた文化の中心でした。もちろん明治期には風俗取締りの対象になったことも事実ですが・・・。

最後の「転た」は「うたた」と読みます。もちろん漢字は昔の難しい方が使われています。
ある状態が続いて一層激しくなること、の意味で、「転た寝」(うたたね)と言えば、“あぁ、そうか” となるでしょ。
今の季節、転た寝すると風邪をひきまっせ。

 

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください