強者弱者(20)
天長節
三日 天長節、菊の香と酒の匂と帝都をこめて瑞気八紘に漲るの思ひあり。夜長うして歓楽尽きず。夢の如き音楽の音に送られて、馬車に、自動車に帝国ホテルの門を出づる明眸皓歯の人、香腮紛瞼の人、三更の霧を衝いて日比谷公園の方に去る。色彩や香料や音楽やはげしき官能の刺戟につかれて夢に夢見る心地なり。人籟寂寞として電燈の光のみ煌々と大帝都の暗を照らす。天長節の東京は丸の内の夜のけしきに尽きたり。
観兵式、早朝より拝観者青山練兵場に堵の如し。由来此大典、前日一滴にても雨を見る時は、当日如何に快晴なりとも中止の御沙汰ある可きは従来の例なるに、市民萬一の御催しを希ひ雨を衝いて晴衣の霑ふを顧みざるも頼母し。
雨の天長節、満都荒涼、夜に入りて街上人なく、イルミネーションの光のみ、ひとりあらしの暗に輝きわたれる却々にさみし。(明治43年明治天皇御在世中の作)
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11月3日は現在では「文化の日」ということになっていますが、本来は天長節。四大節の一つで、明治節。明治天皇の誕生日ですね。
「瑞気」(ずいき)は、目出度くも神々しい雰囲気。「八紘」(はっこう)は、四方と四隅のことで、転じて天下を表す言葉。
ここにも美人の表現が出てきますね。「明眸皓歯」(めいぼうこうし)は私も知っていて、実際にそういう美人を見たこと(なおかつ憧れたこと)がありますが、「香腮紛瞼」(こうさいふんけん)という表現は知りません。広辞苑にも出ていませんね。
「三更」(さんこう)は時刻の単位。五更の一つで、子の刻に相当するそうです。即ち午後11時から午前1時頃まで。子供が起きている時間じゃありませんよ。
「人籟」(じんらい)とは、広辞苑によると、人間が吹き鳴らす鳴り物の音のことだそうです。笛や尺八のこと。
「堵の如し」(とのごとし、と読みます)の「堵」とは垣根のことで、垣をめぐらしたように人が多く寄り集まって並ぶことだそうです。これも広辞苑に出ています。
観兵式は、前日に僅かな雨が降っても中止になるという習慣があったと読めますが、それって凄いことですね。
「霑ふ」は「うるおう」と読みます。音は「てん」。
「満都」(まんと)は、都の全て、ということ。
辞書や事典の助けを借りないと読み解けない文章ですが、こういう言い回しがスラスラ出てくる明治時代の文人には感心します。見習わなくちゃ。
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