強者弱者(34)

除隊兵

 廿五日頃一年志願兵を除きて満期義務兵皆除隊。制服制帽の身に寸分の隙なく塵一つ止めざるは天晴武者振り、特に私費を以てしつらへたりと覚ゆ。古き鞄に土産の絵巻もの、記念撮影の写真など束ねて、茫然と街上に歩を運ぶさま無帯剣とはいへ、昨日の面影また見る可くもあらず。只訝しきは入営の日より待ちわびて夢寐にだも忘れざる除隊の日といふに彼等の歩みの遅々として家路を急ぐ人とも覚えぬことなり。住みなれし営舎に別れを惜むか。ただしは華やかなる都の生活の恋しきか。何れにしても街上に見る除隊兵の茫々然として其行く処を知らざるが如きものあるは何ぞ。

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100年前の日本には徴兵制がありました。明治5年から6年にかけての徴兵令布告が始まりだそうですが、昭和2年に兵役法が公布されてより厳しい制度になったそうです。
秀湖が志願したのは徴兵令の時代。いろいろ問題の種になったことは、故・大江志乃夫氏の「凩の時」にも描かれています。
これは自らの体験も踏まえての世相描写と言えましょう。

一年の義務を終えて心待ちしていたはずの除隊を迎えたのにも拘らず、多くの除隊兵が営舎を離れるのに忍びなかったという様子。兵隊に行っている間は衣食住に困りませんが、世間に放り出されればその日から食うのに困った人もいたのでしょう。

「夢寐」(むび)は、眠って夢を見ること。「夢寐にも忘れぬ」と使うように、除隊のことを忘れない日は一日として無い、という様を表現しています。

 

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