東京交響楽団・第32回名曲全集

月曜に続いて東京交響楽団。ゲルギエフ登場の後、オケはどう変わったか? じゃなくて、ソリスト、ガヴリリュクが目当てで行ったコンサートです。それにメンデルスゾーンを聴ける機会は意外に少ないし。特に第2ピアノ協奏曲はかなりの珍曲、オール・メンデルスゾーンというのも魅力。

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集
メンデルスゾーン/交響曲第5番 ニ長調作品107「宗教改革」
メンデルスゾーン/ピアノ協奏曲第2番 ニ短調作品40
~休憩~
メンデルスゾーン/交響曲第4番 イ長調作品90「イタリア」
指揮/ユベール・スダーン
独奏/アレクサンダー・ガヴリリュク
コンサートマスター/大谷康子

ゲルギエフのとき、東響は2ランク上がった、と感じましたが、今日は見事に元の東京交響楽団に戻っていました。スダーンには申し訳ないけれど、指揮者が違うとこうも違うのか、の典型でしょう。
別にスダーンは悪い指揮者だとは思いませんよ。彼は普通のマエストロ。ゲルギエフって、ヤッパリ特別なんです。いや、彼とて、恐らくいつも振っているオーケストラではマンネリに陥ることもあるでしょう。それが23年ぶりの邂逅とか、様々な環境が特別な結果をもたらした。そう考えるべきでしょうね。

で、スダーンのメンデルスゾーン。月曜日と違うのは、一言で言えば、内的な緊張感の違い。オーケストラも実力をちゃんと出していますし、アンサンブルも決して悪くありません。ですが、何か足りないんです。モヤッとした感じ。特に最初の宗教改革は、全曲を一気に聴き通すだけの集中力に欠け、途中で睡魔が襲ってくるのをどうしようも出来ませんでした。

最後のイタリアはずっと出来が良かったと思います。特に終楽章はメリハリもあり、推進力にも富んだ見事なサルタレルロ。途中で“シーッ、シーッ”という囁きが聞こえるので、客席で私語を注意している人がいるのかと思いましたが、スダーンがオケに向かって音量を落とさせていたんですね。それほどにダイナミックの幅を大きく取って、音楽に立体感を与えようとしてました。
それでも、東響は音が重い、鈍い。私の好みじゃないです。毎度のことで申し訳ない。昨日、日本フィルの快演を聴いたばかりということもあるでしょうが、どうも比較してしまいます。日本フィルの音で育った私には、どうも枕が違う感じ。

さてお目当てのガヴリリュク。これはもう文句なし。素晴らしいピアニストですね。音楽に「喜び」があって、作品全体を見通す視点も大きい。メンデルスゾーンの第2をレパートリーにしているピアニスト、そう多くはないと思いますが、単なる紹介の域をはるかに超えていました。
驚愕したのは最後ですね。曲を閉じる最後の7小節はオーケストラだけの後奏です。ピアノはその前に全て終わっているんです。
ところがガヴリリュクは、オーケストラ・パートをピアノに置き換えて、管弦楽と共に最後のパッセージを駆け上がる。ここ、肝を潰しました。
私はこの曲、ナマ初体験だと思いますが、普通こんなことするんでしょうか。ピアノに詳しい人に教えてもらいたいですよ。

ガヴリリュクというピアニストは、ピアニストである以上に音楽家ですね。私の予想では、ピアノでやりたいことをあらかたやって了ったら、(そんなことあるかどうか知りませんが) 彼は指揮者に転向するでしょうね。彼の才能はピアノには収まり切らない。

それを暗示するようなアンコール。「熊蜂は飛ぶ」。リムスキー=コルサコフの管弦楽曲をジョルジ・シフラがアレンジしたものです。いつだかはメンデルスゾーンの結婚行進曲をアンコールしてました。目は既にオーケストラに向いているんじゃないでしょうか。だからこそ、協奏曲の最後のオーケストラ・パートをピアノにアレンジしてしまう。

協奏曲では、スダーンと東京交響楽団も立派な演奏でソロをサポート。特に第3楽章は、バロック・ティンパニの張り詰めた音色も効果があって、キリッとしたメンデルスゾーン像を描き出すことに成功していたと思います。スダーンもガッツ・ポーズ決めてましたね。

 

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