東京交響楽団・第37回名曲全集

東京交響楽団がミューザ川崎シンフォニーホールで開催している名曲全集、2008年シーズンの5月例会を聴いてきました。
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番
     ~休憩~
リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」
 指揮/広上淳一
 ヴァイオリン/鈴木愛理
 コンサートマスター/高木和弘
東京交響楽団、毎度書きますが、定期的に聴いているオーケストラではありません。もちろん広上淳一の指揮が聴きたかったら出掛けた会。
広上はアメリカのコロンバス交響楽団の音楽監督に就任、確か2年目が終わる頃だと思いますが、どうしても海外での活動が多くなっています。国内にしても、今年の4月から京都市交響楽団の首席を引き受け、これからは関西方面での活動が多くなるでしょう。
コロンバスは財政問題で活動休止に追い込まれる危機の最中、向こうでの苦労と獅子奮迅の活動の様子が漏れ伝わってきますが、どちらにしても東京で広上を聴ける機会は激減しているように感じます。
現代の指揮者の中で、あらゆる世代を通じて “広上こそ、世界最高のマエストロ” と応援している私としては、こういうチャンスを逃すわけにはいきません。たとえ演奏する作品がシェエラザードであってもです。
しかしこのシェエラザード、改めて広上の実力に舌を巻きました。“シェエラザードって、こんな凄い曲だっけ”。
今日のコンサートマスターは高木和弘。端正な美女、というよりは妖艶なシェエラザード姫で、そそるが如くシャリアール王に語りかけます。
第1楽章では大人しく姫の話に耳を傾けていた王、第2楽章のアレグロ・モルト(練習番号D)に入ったところから、俄然身を乗り出します。
ヴァイオリンの辺りを払うかのようなトレモロに乗って、第2トロンボーンとトランペットがアドリブでソロの応唱。広上の指揮も俄に活気を帯びてきます。
ファゴットやクラリネットの絶妙な語り口、オーケストラも絶好調のようで、リムスキー=コルサコフの管弦楽法の見事さが手に取るように解ります。
広上の語り口が最も良く発揮されたのは、第3楽章かもしれませんね。
冒頭のヴァイオリンの美しいメロディー、ここで広上が弦セクションに細やかな指示を与えたのは、アーティキュレーションの微妙な変化。音に託す感情の機微。これまでただボーッと聴いていたメロディーが、まるで生き物のように活気を帯びてくる魔術。
最初D線で始めた旋律は、途中からG線に移動します。これはただのメロディーではなく、若き王子と王女の会話であり、台詞そのもの。音の一つ一つに言葉が付けられているような生々しさ。ここ、楽譜通りに演奏したのでは、どうにもならない、ということに改めて気が付きました。正に目から鱗のシェエラザード。
この20小節の唖然とするほど見事な表現を可能にしてしまえば、後は音楽が自然に軽やかで華やかな踊りを展開していくのでした。
第4楽章の圧倒的なスリルと壮絶なクライマックスにノックアウトされたのは言うまでもありますまい。
東京交響楽団は、決して私好みの音色ではありません。どこか音が重い。しかしこの日はまるで音が変わっていました。弦の切れの良さ、管楽器の名人芸、そして何よりミューザ・シンフォニーホールの音響の素晴らしさ。
このオーケストラをここまで変身させたのは、最近ではゲルギエフと広上だけじやないでしょうか。いや、いつも聴いているわけではありませんので確信はありませんが、今日は間違いなく音が輝き、いつもの東響とは二味もも三味も違いました。
最初のショスタコーヴィチ。これも見事な演奏でした。ソロの鈴木愛理(すずき・あいり)はまだつづ(19歳)という若手で、この春、桐朋女子高等学校音楽科を首席で卒業したばかり。現在は同大学音楽学部に特待生として在籍している由。
こんな若い人がショスタコーヴィチに挑むのか、という不安がありましたが、どうして素晴らしいソロを披露してくれました。もちろん、この曲を大得意にしている広上と、東京交響楽団の伝統あるショスタコーヴィチの響きが見事なバックを付けていたことを忘れてはいけません。
次々に才能ある若手が出てくる日本のヴァイオリン界、この先どうなるのかしら・・・。
今日のデザート。チャイコフスキーの弦楽セレナードから「ワルツ」。満腹の聴衆にも爽やかな後味を残す、素敵なプレゼントでした。

 

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