東京交響楽団・第59回名曲全集
昨日は川崎のマチネーに出掛けました。ミューザ川崎シンフォニーホールの企画、東京交響楽団の名曲全集です。
川崎は拙宅からドア・トゥー・ドアで30分、最も気軽に出かけられる立地ですし、ホールの音響も首都圏では最高なのですが、何故か最近では足が遠のいています。今年二度目のミューザ、今年最初の東京交響楽団。個人的には、これで今年は在京プロ8団体の全てを聴いたことになります。
ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番
~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第3番
指揮/広上淳一
ヴァイオリン/大谷康子
コンサートマスター/高木和弘
出演者の顔触れを見れば分かるように、これはマエストロ広上を聴くコンサート。しかもベートーヴェンのエロイカは久しぶりなので、大いに期待が高まります。
このプログラムは「ドイツ音楽」がテーマのようですが、選曲はオーケストラ側からの提案なのでしょうか、それとも指揮者からの要望なのか。いずれにしても、東響のカラーに良く合ったチョイスだと思います。
一見すれば何でもない名曲全集のようですが、ウェーバーとベートーヴェンにはホルン繋がりという視点もありますし、ウェーバーとブルッフには共に英国で指揮者として活動したという経歴の共通性もあります。その辺も聴きどころ。
私には東京のオーケストラで最も縁が薄いのが東響ですが、冒頭のウェーバーを聴いていて学生時代を思い出しました。
実は私が通っていた高校の音楽教師は東響のホルン奏者だった人で、音楽の授業でウェーバーの序曲のホルン四重奏についてさんざん講釈されたことがあります。折しも当時のテレビ(TBS)で東響の放送があり、正にこの序曲を吹く先生の姿をブラウン管で確認したことがありましたっけ。
(ここのゲシュトップ、難しいんだゾ。お前ら良く聴いておけ。なぁ~んてね)
そのなことを考えているうちに序曲終了。
今回1回券でゲットした席は、2階LA。オーケストラを横から見下ろす位置で、プレイヤーの様子や指揮者の表情が良く見える場所です。その代りオケの音を正面から直接には聴けませんが、このホールはバランスが極めて良いので、音響的な不満は全くありません。
2曲目の協奏曲も、作品の細部に適切な指示を出していく広上の指揮振りが手に取るように分かります。改めてマエストロの「伴奏モノ」の見事さに舌を巻きました。
ソロの大谷康子は、言わずと知れた東響のコンサートマスターの一人。単にソロ・パートを受け持つだけではなく、第1楽章のオーケストラだけによる長い経過句ではつかつかとオケの中に歩み入り、メンバーと一緒に第1ヴァイオリンのパートを合奏する珍しいシーンも見られました。コンサートマスターの性でしょうか。
これによってソリストはもちろん、指揮者もオーケストラもノリノリ度が倍増するのは当然です。
喝采に応えて弾かれたアンコールは、クライスラーが書いた無伴奏ヴァイオリンのための難曲。作品6の「レシタティーヴォとスケルツォ・カプリース」。1708年製のグァリネリウスが唸ります。
メインのエロイカ。これを聴いていると、如何に広上淳一がベートーヴェンに適した指揮者であるかが分かるというもの。古楽奏法などの小賢しい誤魔化しは一切無く、ケレン味を利かせた態とらしさも皆無。
テンポの良さも特筆もので、推進力に溢れていながら、突っ走る個所はありません。往年の名指揮者たちが敢えて加えてきた加筆や変更(第1楽章のトランペット、第2楽章のホルンによるユニゾン箇所など)をそのまま受け継ぎ、正に正統中の正統ベートーヴェン。私が聴きたいのは、正にこういうベートーヴェンなのです。
広上のベートーヴェン、今年だけでも京響との第4、日フィルとの第8と第3ピアノ協奏曲、N響とのヴァイオリン協奏曲。そして今回の東響との第3。どれも音楽表現にブレはありません。
ところでマエストロ、どこのオーケストラでも良いですから、そろそろベートーヴェン・ツィクルスを振ってくれませんかねぇ~。一晩で全交響曲などという馬鹿な試みではなく、じっくり時間をかけて掘り起こすようなベートーヴェン・ツィクルスを。もちろんシンフォニーだけじゃなく、協奏曲や序曲、それにミサ・ソレムニスも加えた全集を、ね。
当然ながらアンコールもありました。バッハの管弦楽組曲第3番のアリア。なるほどこれで今年のキーワード? 3大Bですな。最後のBはブラームスでもブルックナーでもなく、ブルッフですけどね。如何にも広上らしい。
いわゆるG線上のアリア、故人を偲んで葬儀風に演奏される傾向がありますが、マエストロのアリアはあくまでも作品の本質であるムジチーレン。そう、音楽することの喜び。
主旋律を彩る様々な対旋律が微妙に浮き上がり、音の織物の間を泳ぐような指揮ぶりに、広上淳一をタップリ堪能した午後でした。
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