クァルテット・エクセルシオ第19回東京定期演奏会
遅れ気味だった梅雨入りも秒読み段階に入った昨日の日曜日、上野の文化会館小ホールで行われたクァルテット・エクセルシオの定期演奏会を聴いてきました。
10日前に第3回札幌定期演奏会として開催されたコンサートと同じプログラムです。
モーツァルト/弦楽四重奏曲第5番ヘ長調K.158
ヤナーチェク/弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130
通称「エク」の定期では、毎回プログラム誌に「エク通信」という瓦版が挟まれています。各メンバーが肩の凝らないエピソードなどを紹介してくれる楽しい読み物ですが、その冒頭に、今年は定期演奏会を始めて10周年である旨の挨拶が置かれていました。
エクは年に二回の定期を敢行していますから、今年の秋で区切りの第20回を迎えるわけ。エク通信も定期と同じ第19号とありますから、初志を貫徹して10年ということになります。
その挨拶に続いて、巌本真理弦楽四重奏団が10年ほどの間、毎年8回の定期を行っていたことが引用されていました。私も学生の頃に一度か二度覗いたことがありますが、当時は高度成長期で、音楽界もある種の熱気に憑かれていた時代だったような気がします。
通称「マリカル」は100回近い定期を、12年間であっという間に駆け抜けて行きました。
エクの活動をマリカルのそれと同じ物差しで比較することはできません。時代の熱気が違うのです。エクは回数こそ20回ながら、10年という歳月を着実に積み重ねて来ました。
次の10年を目指し一つ一つを大事に積み重ねていくという姿勢こそ、エクの真骨頂じゃないでしょうか。今日の3曲も、そんなエクらしさが良く出た素晴らしいコンサートでした。
これに先立って行われた試演会でも同じプログラムに接しましたが、やはりサロンとホールとでは印象が違ってきます。
この日は特にヤナーチェクが素晴らしいと感じました。何と言うか、作品の底に流れている暗い哀しみの感覚が実に良く出ているのです。全4楽章を通じて曖昧なところが無く、解釈そのものに対する自信が感じられる演奏でした。
冒頭のモーツァルトは、大友氏が述べたように色々なオードブルとして楽しめばよいのでしょう。
全3楽章の何処を取っても、モーツァルト特有の流れるような刻むアレグロが無いのが、この作品の異色作たる所以なのでしょうか。
メインのベートーヴェンは、終楽章に大フーガを置かない版での演奏です。その終楽章のズッチャッ、ズッチャッ、という刻みが快く、ユーモアさえ感じさせます。これが、フワフワ、ってことでしょうかね。
もちろんこれに先立つカヴァティーナの美しさは、試演会で感動した時と寸分も違いません。サロンでは弦の震動が直接心臓を震わせるのに対し、ホールでは四つの弦がまるで一つの楽器として語っているという差はあるものの・・・。
良心的なことに、プログラムには使用楽譜が明記してありました。
モーツァルトは2000年出版のベーレンライター版、ヤナーチェクは1925年出版のベーレンライター/プラハ版、ベートーヴェンは2007年出版のヘンレ版の由。
もう一つプログラムで気付いたこと。
ヤナーチェクの解説の中で、“副題を正確に記せば、「ヤナーチェクの『クロイツェル・ソナタ』を読んで」なのである” とありましたが、何となく変でしょ。正確に言えば、「トルストイの『クロイツェル・ソナタ』を読んで」でしょうね。いや、「読んで」というより「触発されて」という方が作品の本質に近いかも知れません。
別に粗探しをした訳じゃないんですよ。優勝候補のサッカーチームだってミスをするんですから、これは弘法の筆が滑っただけのこと。
わあああ、ご指摘、有り難うございます。こういうミスって、あるんですよねぇ…ごくたまに。
あの原稿は、エク内印刷物担当者が編集し、他のメンバーも目を通し、やっとOKが出るもので、ものすごく沢山の直しが入ります。今回は校正終了後にミスが見つかって直しを入れたり、バタバタしました。ここだけの話、校正担当者の身内の方に不幸があったり、小生が日本にいないときにやらねばならなかったりで、ミスがある条件は揃ってたとはいえ、ここまでスルーになるとは。いやはやです。
なお、次回をもって小生は曲解をやめます。もういい加減に別の人にやらせるべきだ、とずっと言っていたんですけど、10年までは、とエクに言われていました。来年以降をご期待下さい。
かえすがえす、ありがとうございました。