日本フィル・第619回東京定期演奏会

昨日(4月2日)の金曜日、東京はソメイヨシノが満開。4月最初のコンサートは、正に「聖金曜日」の当日でもありました。
プログラムもこれを意識したような素晴らしい選曲。生涯忘れられないコンサートになったことは間違いないでしょう。

メンデルスゾーン/交響曲第5番「宗教改革」
     ~休憩~
ワーグナー/楽劇「パルシファル」第1幕への前奏曲
ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
 指揮/上岡敏之
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/江口有香

ドイツはヴッパータール市の音楽監督を務める上岡敏之は、日本フィルには初登場です。日本のオーケストラではN響、読響、新日本フィルに続いて4団体目のはず。
主兵ヴッパタール響との2007年の来日は大変な反響を呼んだそうですし、この日配られたプログラムにも10月公演のチラシが挟み込まれていました。
今回の演奏で上岡ファンも一気に増えたはず、名声と実力が一致した名指揮者の今後が大いに楽しみです。

日本フィルにも早くから「カミオカ」の名前は届いていました。かなり以前から客演の要望が本人の下に送られていたのですが、何文にも多忙の身。スケジュールが合わずに共演は延び延びになっていました。

業を煮やしたか否かは知る由もありませんが、団を代表してトロンボーンの中根幹太がドイツに飛び、マネージメントの堅いガードを撃破して上岡本人に接触、漸くの事で実現した客演なのです。
この辺りの経緯については、日本フィルのホームページにあるポッド・キャストの中で新井・中根両氏の対談で詳しく触れられています。興味のある方はそちらを視聴して下さい。

さてこうして実現した共演で選ばれたプログラム。クラシック音楽ファンならずとも注目せざるを得ない見事なものじゃありませんか。

多少なりともキリスト教に関心がある方なら、春と言えば復活祭を連想するでしょ。復活祭は天体の運行とも関係があるので、年によって日が変わります。
東方教会と西方教会では計算が違うそうですが、今年はどちらも4月4日が復活祭の当日です。

つまり、復活祭は春分から数えて最初の満月の日の次に来る日曜日。今年の場合は春分(3月22日)以後の最初の満月は3月30日(火)でしたから、4月4日が復活祭。この3日前、キリストが亡くなった金曜日が「聖金曜日」に相当するのですね。

聖金曜日と言えば、ワーグナーの「パルシファル」の重要なテーマ。そこに使われる「ドレスデン・アーメン」は、メンデルスゾーンが1830年の宗教改革300年祭のために作曲した第5交響曲でも用いたモチーフ。
このコンサートの拘りはここにあるのです。
もちろん上岡自身の選曲だそうですが、最終的にこの組み合わせになったのはオーケストラ側のアドヴァイスもあった由。両者のコラボレーションは、聖金曜日当日の演奏と言う偶然(だと、私は思うのですが)にも助けられて聴き手に強烈なインパクトを与えたのは間違いないでしょう。

メンデルスゾーンとワーグナーと言えば、後に政治的にも利用されたほどの犬猿の仲。更に「指揮者」という存在が歴史的に重要度を増した原点とも言える存在でもありましょう。
二人は指揮者としても正反対のタイプだったらしく、極端な結論を言えば、メンデルスゾーンはトスカニーニ・タイプ、ワーグナーはフルトヴェングラー・タイプの祖なのかもしれません。
(この辺りはワーグナー自身が「指揮について」という論文を残しています)

さて上岡の指揮。これは実に独特なもので、ドイツ音楽の伝統云々よりマエストロ自身の個性がなせる技としか言いようのないものですね。
あくまでもピアニシモの美しさ、密やかさを追求し、その音楽はフォルテでも決して吠えない、喚かない。
そしてどんな部分にも「歌」が溢れている。トレモロもゴリゴリと弾くのではなく、心の微かなる鼓動を反映する。

そのテンポは自由自在に変化し、基本的には遅い部分は徹底して遅く、速い部分は相当なスピード感で進められます。
とはいってもギア・チェンジが唐突という印象は与えず、自然にアッチェレランドして行くので自然に音楽の流れに身を委ねることが出来るのでしょう。
オーケストラにも聴き手にも緊張感が走りますが、何とも心地よい緊張とワクワク感。

例えばメンデルスゾーンでは、序奏で二度、再現部直前で一度出現する「ドレスデン・アーメン」の扱い。そのピアニシモの絶妙で、響きの柔らかかったこと!!

トリスタンの出だしも息を呑むほどの弱音。これほど神経の細やかな、聴こえるか聴こえないかのギリギリを追求した出だしを、私はかつて聴いたことはありません。

恐らく上岡のオーケストラに対する要求は相当に高度なものだったと想像されますが、それを実現したオーケストラが如何に指揮者の意図に納得し、高いモチヴェーションで取り組んだかの証拠がここにあると申せましょう。

そもそも名指揮者とは、楽員のモチヴェーションを高めて「その気にさせる」ことが出来る指揮者のこと。上岡はその点でズバ抜けた存在でしょうし、日本人とかドイツ人というレヴェルを超えた稀有な才能と認めざるを得ません。

メンデルスゾーンもワーグナーも決して大きな音を立てず、音楽は歌と表現に満ち、まるで泡雪のように心に響き、儚い夢であったかの如く消えてゆく。

上岡はスコアを知り尽くし、オペラには深い造詣を持っているマエストロです。今回のトリスタンは歌無しのバージョンですが、もしソプラノが参加してもそのまま歌えるほどの絶妙なバランス。
オケがピットに入った時の響きを舞台に乗っても実現させるのは、彼の耳の優秀さの証明でもありましょう。

そして、あたかもドビュッシーの牧神を聴いているような、繊細で豊かなピアニシモでコンサートを閉じる心憎いばかりのエンディング。

もう少し聴きたい、また聴きたい、という次への期待を膨らませる様な演奏会こそ、聴き手に最も幸福な時間を与えてくれるのではないでしょうか。腹八分目の快感。

金曜日の聴衆は素晴らしい反応。指揮者が棒を下ろしてなお一呼吸を置いての拍手は、3曲に共通していました。
この客席にもブラヴォ~を捧げようではありませんか。

実際に演奏を聴く前は、上岡の音楽性と日本フィルの方向が一致するかと言う懸念も持っていましたが、聴き終えた現在では、上岡敏之の音楽を最も的確に捉えていたのは日本フィルではなかろうか、という感想すら覚えました。
少なくとも私にとって、今回の演奏で上岡のベストを聴いたというのが正直な気持ちですね。

これを一期一会の機会に終わらせてはもったいない。たとえ間隔がどれだけ開いても、再演の道、ひいては繰り返し日本フィルの指揮台に立って貰うような筋道を拓いて欲しいと思うものです。

最後に蛇足を一つ。

今回のプログラムの冒頭、演奏曲目が並んでいるページに「演奏時間は“Orchestral Music”David DANIELS 第4版より」という小さな活字を見つけました。
この書物は私自身も参考にしているもので、現にこの日も出掛けに当該ページを開いて標準演奏時間を確認したほど。
どのオケに限らずプログラムでこの書名を見たのは初めて。やっぱりプロはこれを使っているんだぁ~、という満足感は些かマニアックかしら、ね。

もちろん上岡/日本フィルは標準演奏時間よりほんの少し長く掛けて演奏していましたがね。

 

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