日本フィル・第603回東京定期演奏会
日本フィルの新シーズンがスタートしました。サントリーホールの改修工事期間を巧みに利用し、シーズン開始を9月に変えての2シーズン目になります。
私は新体制を土曜日会員でスタートしたのですが、土曜日はいろいろと予定が重なることもあり、今シーズンから金曜会員に鞍替えしました。従って、初めての定席。もう少し後ろの席が好ましいのですが、どうやら金曜日の方が会員数が多いようです。昨日も8割程度の入り。
プログラムは以下のもの。
シューベルト/交響曲第7番ロ短調「未完成」
~休憩~
ブルックナー/交響曲第9番ニ短調
指揮/ハルトムート・ヘンヒェン
コンサートマスター/木野雅之
フォアシュピーラー/江口有香
見ての通り、未完成プログラム。このプロはかつて日本フィルでも取り上げたことがあります。その時はギュンター・へルビヒの指揮でした。
ヘンヒェンはドレスデンの指揮者、日本フィルには3度目の客演です。これまではマーラー専門家として指揮台に立ちましたが、今回はシューベルトとブルックナー、どちらも日本フィルとは初めての作曲家です。
マエストロはどちらかと言えば学者タイプ、ブルックナーへのアプローチにしても、時系列で勉強・研究してきた人で、楽譜にもこだわりがあるそうです。今回の演奏譜もオーケストラ所有のものではなく、ヘンヒェン自らが持参したパート譜を使用した由。シューベルトもブルックナーも・・・。
それだけの成果がある、見事な演奏でした。マーラーも様々な工夫があって面白い印象が残っていましたが、今回はヘンヒェンの実力を目の当たりにした感じ。
シューベルトは、普通に演奏されるものとはアクセントの付け方などが独特で、マエストロのスタイルが反映されています。もちろんシューベルトのオリジナルに添った解釈。
全体の見通し、構成感のシッカリ見える演奏です。ネザーランド室内管弦楽団との経験を活かした、極めて室内楽的なシューベルト像を描き出したと言えましょうか。
もちろん古楽器の演奏スタイルとは無縁で、あくまでも現代的アプローチ、いかにも「ドレスデン」を連想させる響きを感じたのは、私の先入観だけではないと思います。
圧巻は何と言ってもブルックナーでした。日本フィルの持つ透明な響きに、ズシリと腹に応えるバスや金管の重厚な響きをブレンドし、ホール一杯にブルックナー・サウンドが鳴り渡ります。
この日のホルン、ワーグナー・チューバも絶好調。ホルンのトップ・福川伸陽、ワーグナー・チューバのトップ(5番ホルン兼用)・伊藤恒男は日本フィルの顔。その重責を見事に務めました。このホルンチームに最大のブラヴィ!
ヘンヒェンの解釈、これはマエストロサロンの解説を参考にすると極めて明快です。その最大の場面は第3楽章の後半にあります。
ヘンヒェンによれば、第3楽章の後半で神が降臨します。ここから最後のコーダまでは、ブルックナーが書いた最も美しく、人間の苦悩や悲しみを全て飲み込み、その死を超越した世界が展開するのです。
正に「神の降臨」の箇所、スコアの練習記号「L」で、ヘンヒェンはそれまで使っていた指揮棒を静かに置き、最後まで指揮棒無しでオーケストラをリードして行きます。
そして fff による息を呑むばかりの不協和音。このフィナーレ、学者の顔はいつしか音楽家の顔へと変貌し、全身全霊でブルックナーに、いや神に捧げた演奏が成就します。
最後の金管の和音が鳴り止んでなお暫く、指揮者が手を降ろしてからも数呼吸、ホールを静寂が満たしたのも感動的でした。
カーテンコールの何度目か、ヘンヒェンにガッツポーズが見られたのは、このマエストロがこれからも日本フィルの指揮台に立つであろうことを予感させる瞬間でした。
ヘンヒェンのブルックナーは、例えばスクロヴァチェフスキの鋭利かつ分析的なアプローチとは大分趣が異なります。彼のは、いわばドイツ伝統のブルックナー演奏。表面的な激しさを避け、ジワジワと感動を引き出すタイプの、人の温もりを感じさせるブルックナー。
これほどの名曲になれば、解釈は様々あって当然のこと。これもまた素晴らしいブルックナーの世界と言えましょう。
その結果、見えてきたのはブルックナーの凄さ、大きさであり、シューベルト→ブルックナーと継承されて行くロマン派大交響曲の広大な世界なのでした。
9月に入って充実したコンサートが続く東京の音楽界。このままでは身体が保ちそうにありません。どこかでリラックス・コンサートに触れないと。。。
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