強者弱者(88)
クローバー
和蘭碎米菜(苜蓿)は明治の初め先ず東京市に移植せられ、鉄道工事の進捗と共に今や軌道の沿線到る処に其花を見んとす。春の初めより咲き初めて夏の半ばに至る。山村僻地の人は東京に出で、必ず一度は碎米菜に似て碎米菜にあらざる苜蓿の花に怪訝の眉を顰むる事ある可し。市内に在りては昔日比谷の原、三菱の原、帝国大学、第一高等学校の構内、千駄木太田の原等に繁殖して雑草を征服したりしが、都市の発達と共に太田の原は家屋櫛比し、三菱原も警視庁、帝国劇場、中央停車場等の建築と共に、遠からず其根絶を見るに至る可く、今は日比谷公園の一部に於いて纔かに其名残を止むるのみ。
赤苜蓿はひとり大崎停車場の構外に在り。軍用線の堤防に沿うて其花を見るべし。
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「和蘭碎米菜」には「クローバー」とルビが振られています。
「苜蓿」も難しい漢字ですが、これは「うまごやし」。
クローバー、現在の正式な和名はシロツメクサですね。一般的には江戸時代にオランダからガラス器を送ってきた際にクッション材として詰められ来たのが始まりとされています。それで「詰め草」。
クローバーは牧草として世界的に栽培されていましたから、日本でも先ず東京から牧草として移植された、ということでしょう。
俗名である「うまごやし」は正に馬肥やし。それが一部で雑草化して鉄道沿線に蔓延っている情景を描いた文章です。
地方の人が東京に出てきて先ず目に入ったのがクローバーというのは、面白い指摘ですね。
クローバーが多かった地名がいろいろ挙がっていますが、現在では見る影もありません。
当時は普通に見慣れた光景でも、こうして何処に何があったかを記録した文章は貴重な資料だと思慮します。
三菱の原、千駄木太田の原が現在のどの辺りか詳しくは判りませんが、私には極めて興味ある記述です。
「櫛比」は「しっぴ」。櫛の歯のように隙間なく並んでいる状態を言います。
「纔かに」は現在ではほとんど忘れられてしまいましたが、「わずかに」と読みます。僅かに、と同じことですが、読める人はまずいないでしょうね。
「赤苜蓿」は言うまでもなくレッドクローバー。現在言うムラサキツメクサ(別名・アカツメクサ)のことで、シロツメクサとは別種です。
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