復刻版・読響聴きどころ(25)

ミクシィのコミュニティに書いてきた読響の聴きどころ紹介、過去のものを復刻してきたシリーズもいよいよ終わりに近づきました。2008年2月からは当ブログにも同時掲載してきたので、2008年1月が復刻最終月となります。今回は名曲シリーズ。

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1月の名曲シリーズは、新春に相応しくモーツァルト特集です。取り上げられる作品は3曲、メインの「ジュピター」交響曲は演奏回数も極めて多い作品ですが、他の2曲はナマではあまり聴く機会がありません。その意味でも今回の演奏が楽しみです。

プログラムは最初と最後が交響曲、真ん中にピアノ協奏曲が挟まっています。交響曲はどちらもハ長調で、なかなかよく考えられていると思います。まず2曲の交響曲から。

最初のハ長調、K200の日本初演は調べがつきませんでした。ただ、日本のオーケストラ定期で取り上げられた最初は、何と我が読売日響なんですねぇ。読響小史・3に登場する第25回定期、1966年1月18日に東京文化会館で行われたものです。指揮はハンス・ヘルナー。

次に楽器編成ですが、これは少し複雑な事情があります。そのこと自体が聴きどころの一つでしょうか。
旧モーツァルト全集では、交響曲第28番の編成は、オーボエ2、ホルン2、トランペット2、弦5部というもの。

さて、ハ長調という調性は極めて祝祭的なものです。ハイドンにしてもモーツァルトにしても、ハ長調の交響曲を作曲する場合は、特別な祝祭に合わせたものがほとんどですね。ハイドンの「マリア・テレジア」交響曲がその良い例です。この場合に必ず使われるのが、トランペットとティンパニでした。

ところで28番にはトランペットは登場するものの、ティンパニが使われていません。実は本来、モーツァルトはティンパニを使っていたのですね。現在この作品の自筆譜はウィーン在住の某博士の個人蔵だそうです。この自筆にはティンパニが欠けているのです。
しかし史実によると、1929年まではティンパニ・パートが存在していました。転売されていくうちに失われてしまったのですね。従って、旧モーツァルト全集に採用されたのは、このティンパニなしバージョンだったのです。これはファゴット・パートについても同じ。

ところがその後、モデナでオリジナルから写譜したものと思われる譜面が発見されたのです(年代は調べがつきませんでした)。この結果、新モーツァルト全集にはティンパニとファゴットが復刻されているようです。(私は新全集を見ていませんので、確認はしていません)

レコード録音でも、例えばブルーノ・ワルターのモノラル盤にはティンパニが入っていませんし、ずっと後のネヴィル・マリナーとアカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズによる演奏も同じでした。
手元に無いので確認は出来ませんが、ジョージ・セルが指揮したものにはティンパニが入っていたような記憶があります。だとすれば、これは新全集ということではなく、セルの見識と判断で追加したものでしょう。
最新のレコーディングでは新全集、即ちティンパニ入りの楽譜が使われているものと思われます。
今回読響を指揮するヒュー・ウルフ、どういう譜面を使うか、ということにも注目したいと思います。

作品はいかにもモーツァルト、ギャラントな性格の作品で、普通の4楽章構成です。第2楽章の第1・第2ヴァイオリンが終始弱音器を付けたままで演奏されるのも、ジュピターと共通したところ。

続いて大ハ長調、交響曲第41番「ジュピター」です。日本初演は以下のもの。
1918年(大正7年)11月30日 奏楽堂 G・クローン指揮の東京音楽学校。
因みに、日本のオケ定期初登場は、1928年3月24日 日本青年館における新交響楽団の定期で、近衛秀麿が指揮しています。
序に読響定期初登場は、意外にも1978年3月18日の第140回定期、セルジウ・チェリビダッケの指揮でした。もちろん他のシリーズで演奏されていたのは間違いないと思います。

楽器編成はK200よりはるかに大きく、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部です。

「ジュピター」という愛称は、もちろんモーツァルト自身の命名ではなく、後世が勝手に付けたもの。何の目的で、何時付けられたものかは明確ではありません。
ただ、最初にこのニックネームが使用されたのは、1821年3月26日にロンドンで行われたコンサートでのことだったようです。モーツァルトの息子、フランツ・クサヴァーによると、命名者はハイドンのロンドン旅行をプロモートしたザロモンであった、ということがオックスフォードの音楽辞典に記されています。

さて聴きどころですが、極めて有名な作品、何を取り上げてよいか迷ってしまいます。そこで以前、某クラシック音楽の掲示板に「ジュピター主題」に関する話題が上ったことがありますので、その時落書きしたものの一部を紹介することで代えようと思います。
第4楽章の“ド・レ・ファ・ミ”のことですね。これがグレゴリオ聖歌からの引用である、という説。いろいろ調べましたが、具体的にどのグレゴリオ聖歌であるかは特定できませんでした。その辺についての考証にも続編があるのですが、聴きどころとは何の関係もありませんので、割愛します。

ピアノ協奏曲については、別途書き込みいたしますので、暫くお待ち下さい。

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ジュピター主題はグレゴリアン・チャントから採ったものであるという解釈は、ほぼ事実だろうと思います。

モーツァルトが「ジュピター」交響曲に用いた定旋律はグレゴリアン・チャントのクレドだそうで、その音型はド-レ-ファ-ミ-ラ-ソ-ファ-ミ-レ-ドの10の音からなっています。モーツァルトは最初の四つの音だけでなく、10の音全てを使用しており、第4楽章だけでなく全部の楽章にこの定旋律を散りばめているのです。というよりこの定旋律から交響曲全体を創造したのでした。
第1楽章の二つの主題は共に定旋律から派生していますし、第2楽章の主題もそう。メヌエット楽章のトリオにも明瞭に出ますし、メヌエット主部には定旋律の逆行形すら登場するのです。
驚くべきことに、モーツァルトは前作である交響曲第40番の第2楽章も ド-レ-ファ-ミ で始めていますね。

このアナリーゼはヨハン・ネポムーク・ダヴィド(Johann Nepomuk David 1895-1977)という作曲家が試みたもので、中央公論社「モーツァルト探求」(海老沢敏編)の中に収められています(高野紀子訳)。譜例をふんだんに使った論文で、バッハの使用例(平均律第1部第1番のフーガ)も参考にし、各楽章の細部に亘って分析がなされています。是非お読みになってください。朝比奈氏の解説も、恐らくこの論文などを参考にされていると思います。

ただしグレゴリアン・チャントのクレドといっても漠然としていて、この論文ではその点は明確にされていません。グレゴリアン・チャントについて詳しく触れる余裕はありませんが、ミサ通常文に限ってもヴァチカンが公認したものだけで18組もあるのです。グレゴリアンのミサ通常文はキリエ・グローリア・サンクトゥス・アニュスデイ・イテミサエストの五部からなり、クレドは含まれません。
クレドは別に6種類の旋律があって18組のミサに適宜組み合わせて歌われることになっています。更に、クレドは10種あるけれども通常の聖歌普及本には4種類しか記載されていないとする文献もありまして、残念ながら具体的なクレドを特定することは出来ませんでした。

ド-レ-ファ-ミ は昔からよく使われておりまして、パレストリーナやアレッサンドロ・スカルラッティのミサにも使用例があるようです(具体的な曲名までは知りません)。
モーツァルトも皆様ご指摘の通り何度も使っておりますが、正にクレドとして用いたミサ曲へ長調K.192を落とすわけにはいきません。
更に「ジュピター」交響曲に繋がる重要な使用例として、ハイドンの交響曲第13番二長調の終楽章を挙げておきます。この交響曲のフィナーレはフーガとソナタ形式を巧みに統一したもので、正に「ジュピター」のお手本となった作品です。モーツァルトがこれを意識しなかった筈はないのです。
「ジュピター」交響曲を聴いたハイドンはモーツァルトの天才に改めて驚愕し、「ジュピター」の緩徐楽章を自身の交響曲第98番の緩徐楽章に、フィナーレを交響曲第95番のフィナーレに応用してモーツァルトに敬意を表したのでした。
モーツァルト以後も、例えばシューベルトのミサ曲へ長調D.105、ブラームスのピアノ・ソナタ第3番のアンダンテ楽章などに登場します。

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ピアノ協奏曲第22番K482は、何故かあまり取り上げられません。私には不思議でしょうがないほど素晴らしい作品だと思うのですが、ナマで何時聴いたか、ほとんど記憶にありません。そもそも聴いたことがあるのか・・・。

例の如く日本初演は、
1905年(明治38年)10月28日 奏楽堂 H.ハイドリッヒのピアノ、東京音楽学校。指揮者についての記録がありませんので、あるいは弾き振りだったのでしょうか、単なる記録漏れなのか。

楽器編成も注目点です。フルート1、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部です。つまり、クラリネットが使われていることが特徴。モーツァルトがピアノ協奏曲というジャンルでクラリネットを用いたのは、この曲が最初でした。もちろん変ホ長調ですからB管のクラリネットですが、特に第2楽章では2本が対等に絡み合います。私の手元にあるオイレンブルク版のスコアでは、第2楽章のクラリネット・パートは2段になっておりまして、いかにこの楽器が重要な位置付けになっているかが解るのです。

変ホ長調という調性に注目すると、この調のピアノ協奏曲は4曲。順に、
第9番 K271 「ジュノム」
第10番 K365 (2台ピアノ用)
第14番 K449
第22番 K482
となります。

更に、この482は、モーツァルトが書いたピアノ協奏曲では最も長い曲じゃないでしょうか。演奏時間はテンポによってかなり変わりますが、恐らくこれが規模としては最も大きいと思います。ここも聴きどころですよね。

もう一つマニアックな注目点を挙げます。それは第1楽章について。オイレンブルク版では、第1楽章全体は381小節で出来ています。ところが、これには異稿があって、383小節の版も存在するのですね。
何故かというと、ソナタ形式の再現部にあたる第282小節のあと、追加に2小節演奏することがあるのです。
これは提示部にある2小節(第19小節と20小節)に辻褄を合わせるための処置なのでが、オイレンブルク版の他、ブライトコプフ版やカーマス版にはこの2小節は印刷されていません。私が知っている限りでは、ベーレンライター版が2小節追加版で、レコードでもこれを使用しているものが結構多いのじゃないでしょうか。私が所有しているブレンデルもぺライアもベーレンライター版による演奏でした。
シーララとウルフがどの版によって演奏するか、マニアックな方は注意して聴かれるのも一興でしょう。尤もこれに気が付くのは相当なモーツァルトオタク、いや、楽譜オタクと申せましょうが・・・。

肝心の聴きどころ。私は何と言っても第2楽章を挙げたいですね。ここはハ短調、ピアノと弦楽器が悲痛な告白をします。これに対し、木管楽器(フルート、クラリネット2本、ファゴット2本、ホルン2本)がまるで慰めるように明るく、温かい対話で返します。30小節近い木管だけの会話,この音楽の素晴らしさを是非味わっていただきたいと思います。
後半にはフルートとファゴットによる技巧的なソロも登場、読響の見事な演奏を楽しみましょう。

ハイドンは、敢えて音楽作品に人間の悲しみや苦しみを描こうとはしませんでした。人生そのものが悲しみと苦しみの連続であり、音楽にはそういうものを持ち込むべきでない、と考えていたからです。
しかしモーツァルトは違いました。K482の第2楽章の切々たる悲しみ、これこそモーツァルトですね。そしてそれに釣合うだけの明るさと楽しさ、それが何とも言えず聴く人に慰めを与える。

この第2楽章は、男と女の会話とも取れますし、傷ついた息子の慟哭を母親が慰める場面とも聴くことができましょう。
ブルク劇場での初演の時、この楽章がアンコールされたのも大いに頷かれることではありませんか。

そして第3楽章。明るいロンドですが、途中に3拍子のアンダンティーノ・カンタービレが挟まれます。またしても木管を中心にした対話。この趣向は同じ変ホ長調の前作、「ジュノーム」でも聴かれるのですが、これこそ「赦し」の音楽。モーツァルトは当時、歌劇「フィガロの結婚」にかかりきりでした。
この第3楽章のエピソードに、アルマヴィーヴァ伯爵を赦すロジーナ伯爵夫人の姿を重ねて見ても、間違いはないのじゃないでしょうか。

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