強者弱者(124)

月見草

 総武鉄道の沿線、相模の海岸に月見草多し。画家の、名に拘みて此草に必ず月を添ふるは以て愚の極となすべし。月見草は宵暗に咲きて匂ひあり。其色黄白にして純なり。花萎みて赤味を添へ、褐色に変ず。
 月見草に二種あり。葉の細くして茎の華奢なるは、矮生にして海辺に多し。葉の広くして茎の太きは、丈高くして雄々し。東京市に在りて、青山射朶に生ずるものは前者に属し、品川御殿山の裾に咲くものは後者に属す。前者は広尾行市街電車の窓より、後者は山手線の窓より共に之を見る可し。

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月見草は俗称で、正式にはマツヨイグサですね。ところが所謂マツヨイグサにはいくつか種類があって、マツヨイグサ、オオマツヨイグサ、メマツヨイグサなど。どの種類も日本に自生していたものではなく、全て江戸時代から明治時代に帰化したものです。

花が萎むと赤くなる、と説明されているのはマツヨイグサ。オオマツヨイグサもメマツヨイグサも赤くなりません。

「拘みて」は、「なづみて」と読みます。拘って、という意味。

秀湖の解説による2種は正確には判りませんが、「葉の細くして茎の華奢なる」とあるのは恐らくマツヨイグサでしょう。チリ原産で、この仲間では最も早く渡来しています。確かに海辺に多く野生化していますね。

一方の「葉の広くして茎の太き」は、雄々しいと表現していますから恐らくオオマツヨイグサでしょう。これは北米原産のものをヨーロッパで園芸種として開発したものだそうです。こちらは明治の初めに渡来した由。

「青山射朶」(あおやましゃだ)は、旧陸軍の青山射撃場。現在の青山公園辺りで、青山墓地に面しています。

また、「広尾行市街電車」は東京電気鉄道、俗に言う外濠線のことだと思われます。明治末年には東京電車鉄道(東鉄)、東京市街鉄道(街鉄)と、外濠の三本が東京市内を走っていました。

面白いことに明治38年10月に「電車唱歌」なるものが発表されてます。石原和三郎作詞、田村虎蔵作曲。
歌詞は52番まであり、その29番は“青山行は乗り換えて 赤坂見附 一つ木を すぎて東宮御所の前 電車は行くなり四丁目へ” となっています。
また30番は、“青山墓地へは三丁目 渋谷氷川の病院を 訪わんとならば四丁目に おりてゆくべし左へと” とありますから、マツヨイグサはこの電車の車窓からよく見えたのでしょう。

因みに竹久夢二の「宵待草」は、単なる書き間違えから生じたもの。マツヨイグサにとってはとんだ迷惑ですな。

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