強者弱者(142)
蝉の声
蝉の声焼くが如し。
東京には小蝉、日ぐらし、糸とり蝉、油蝉、寒蝉の五種を産す。小蝉は七月の初より生ず、日ぐらし之に次ぎ、糸とり蝉、油蝉続いて出づ。
梅雨晴れて小蝉の鳴くを聞く。声油を炒るが如く単調にして長く、抑揚極めて緩慢なり。曇りて蒸し暑き日など殆ど堪え難き心地す。人多く此蝉の声を悪む。
日ぐらしは朝と、晩と、夕立の前とに鳴く。其声清明鉦の如く、婉にして雅なり。深山に在りて鶯の日ぐらしと声を競ふを聞くは最も妙なり。近國に在りては箱根、日光、伊香保に此自然の合奏を聴く可し。市人朝来爐中の苦みに悩める日、雲起り、雷轟き、風楼上に満ちて驟雨未だ至らざるに、日ぐらしの声突如として庭前の梧葉に生じたる、涼しとも涼し。
地方に在りて日ぐらしは平地に鳴かず。深山幽谷の境にのみ之を聴く可し。唯東京市が到る処に此自然の音楽師を有するは、慥に其特色の一として数ふ可し。静岡以西の人は日ぐらしを知らず。東京に出でて始めて此声を聴き鳥の声と誤り思ふもの多し。
関西地方には日ぐらしの代りにくま蝉と称するものあり。大さ、東京に生ずる五種の中、何れよりも大なり。四翅透明にして腹部の鳴器宛も柿の種の如く、声噪高にして濁れり。山中に之を聴けば、遠く大瀑布の音をきくが如し。東京には絶えて此蝉なし。
糸とり蝉は、其声糸を繰るに似たるを以て名あり。形くま蝉に似て小なり。糸とり蝉に次いで油蝉出づ。褐色にして其声調馬の嘶くが如く噪高にして短急なり。此蝉、往々にして下町の坪庭に生じ、車馬雑踏の巷を恐れず、電柱に鳴きしきるを見ることあり。一幅の俳画、情趣真に此都市に固有の特色なり。油蝉にはたまたま独立ち後れて、秋風の空に鳴くものあり。寒蝉(法師蝉)すら絶えて声なき今日此頃、あはれ其配偶を何処に求めんとはすらんと思ふに落伍者のあはれ身に沁みてそぞろなり。
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蝉に関する一文。東京に産する5種のセミが上がっていますが、現在とは表記が異なるものもあります。
ヒグラシとアブラゼミは良いとして、小蝉はニイニイゼミのこと。糸とり蝉はミンミンゼミで、寒蝉はツクツクホウシのことでしょう。
この中で最も鳴き出すのが早いのがニイニイゼミ。今年の場合で言うと、私が初鳴きを聞いたのは東京で梅雨明け宣言があった7月17日でした。
また19日にはミンミンゼミを聞きましたし、昨日20日にはアブラゼミも。鳴き出す順番は100年前と変わりがないようです。
ただ、昨今は23区内でヒグラシを聞くことはほとんどなくなりました。子供の頃はここに書かれているように、朝夕と夕立の前に“カナカナカナ・・・”という涼やかな声を聞いたものですが・・・。
ヒグラシが関西には産しない、というのは本当でしょうか。明治時代までの関西は知らないので何とも言えませんが、ヒグラシの声は京都に似合うような気もします。
逆に東京には絶えてなし、とされているクマゼミを聞くことが多くなりました。今年は未だ聞いていませんが、これも地球温暖化の影響でしょうか。
秀湖の別の著作によると、関東大震災の直前にクマゼミの声を聞いた由。このとき何か不吉なものを感じたと言います。
「朝来」(ちょうらい)は、文字通り「朝から」ということ。
「爐中」(ろちゅう)は、爐(いろり)の中にいるような感じ。つまり、朝から猛暑の中で苦しんでいるということです。
「梧葉」(ごよう)は、「青桐」の葉。
「慥に」は最近使われなくなりましたが、「たしかに」。確かに、と同じことです。
「坪庭」(つぼにわ)は、屋敷内の庭園のこと。
確かにアブラゼミは秋になって鳴くものがあります。最近の現象かと思っていましたが、100年前にも観察されていた事実なのですね。
これを「落伍者のあはれ」に譬えるところが秀湖ならでは。
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