強者弱者(166)

木場の秋

 二十八日、深川不動の祭礼。富岡町より折れて不動に詣づ。門前の茶屋、軒を並べて客をまつ。中形の浴衣に二番の丸髷、元服したる女房が供なる女に娘をつれてやすらひたるもよし。
 不動に詣でて堂の裏より渡しを渡り和倉町に出づるも一興なり。和倉町を右にたどれば大和町に出づ。木場一帯の水廓、深川の特色は此のあたりに尽きたり。大和町、鶴歩町、数矢町、島田町、木場町五歩に一桟十歩に一橋。橋の畔は平地より高く橋を渡るといふよりも寧ろ橋に上るといふ方ふさはしきに似たり。歩は一歩より木の香高く、木場町に至りては宛として材木の隧道を行くが如し。此あたり街衢昼もなほ寂寞として静謐なる空気、古くゆたかなる材木屋のあきなひ振りも偲ばれてゆかし。紀文大儘のことども思ひいづれば、静謐のうちにかへって大なる活動を想望すべし。帳場格子の奥くらきにも『白旗動かず兵営静かなり』といふ語連想さる。
 晩春初夏の夕、木場のほとりを散歩して材木小屋の背戸より青き眞菰の風にそよげるを見たるもよし。夏の夜などひとり橋の欄干によりて潮の色に海の近きを思ひたるもよし。秋の日大なる材木の上に腰うちかけて釣を垂れ、白き雲の静かなる水面に映るを見るもよし。

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100年前の深川界隈の風景です。

深川不動の祭礼は、江戸三大祭りの一つ。

かつて深川は水路の町でしたから、界隈には小さな渡船場がいくつもありました。「不動に詣でて堂の裏より渡しを渡り和倉町に出づるも一興」という行は、当時を知る人には懐かしい文章だと思います。

「大和町、鶴歩町、数矢町、島田町、木場町」と、現在では無くなってしまった町名がいくつも出てきますが、そもそも徳川家康が江戸に入府して最初に行ったインフラ工事がこの辺りの運河開削だったはず。明治末年にはその雰囲気が色濃く残っていたことが偲ばれます。
(大正時代の古地図で深川を検索すると、これらの町名は未だしっかり現役で記載されていました。)

「街衢」(がいく)は、区画で区切られた町のこと。運河が碁盤の目のように走っているこの辺りは、正に街衢と呼ぶに相応しい街造りだと思います。

「紀文大儘」(きぶんたいじん)は、知らなくても想像が付くでしょう。そう、紀國屋文左衛門のことですね。

『白旗動かず兵営静かなり』とは、頼山陽の詩か。(白旗不動兵営静)

「眞菰」(まこも)は、沼に群生する大型のイネ科植物。深川には多かったことが判ります。若芽は食用になるし、葉は筵(むしろ)として利用しました。自然が生活に密着していた事例の一つです。

「欄干」は「おばしま」と読みます。シリーズ(111)にも登場しましたが、そのまま「らんかん」と読めば現代でも通ずるでしょうか。

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