フェスタ初日・東京交響楽団

昨日からフェスタサマーミューザが行われています。夏の音楽祭の一種類として位置付けていいんでしょう。
初日は東響のブラスによるオープニング・ファンファーレがあったそうですし、3時から公開リハーサルもあったはずです。勤め人としては時間的に無理。本体のコンサートだけ聴いてきました。

オーケストラ・セットを購入したので、まずホール受付で予約券とチケットを交換してもらいます。全部で10枚。
この日はホスト・オケたる東京交響楽団の演奏、指揮はイタリアの若手・二コラ・ルイゾッティという人、名前も顔も初めて見ました。

ヴェルディ/歌劇「運命の力」序曲
チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」
プロコフィエフ/交響曲第5番

一見、ロシアとイタリアの邂逅、でしょうか。
オーケストラが登場すると拍手が起きます。首都圏では珍しい光景。といっても海外のオケが来ればサントリー・ホールでも皆が拍手で迎えますから、東京都の場合は差別待遇と考えるべきでしょうか。
キタラの札響、愛知芸劇の名フィルもオケ登場時の拍手はありました。京都は東京と同じで拍手なし。
好き嫌いは別にして、ミューザは良い習慣だと思いますね。コンサートマスター大谷さん登場で拍手は一段と高くなります。スッカリ川崎の顔になった様子。

さてコンサート、これは面白かったですね。とにかくルイゾッティという人は大振りも大振り、情熱的なパッセージでは身を捩って指揮台で悶えるし、鋭さを要求する場面では空手チョップに回し蹴り、まぁ回し蹴りは冗談ですが、指揮振りを見ているだけで面白い。いゃー、疲れた。
でも彼の表現したいことは良く判ります。オーケストラも次第に乗せられて、東響とは思えないような「動き」に満ちた音楽をやっていました。

私の好みから言えば、東響はやや音色が重くて、指揮者や作品によっては胃もたれするオケの筆頭。この日も金管と木管の間あたりにその空気は多少残っていましたが、あらかたルイゾッティが気合一閃、振り払ってしまいましたね。
この指揮者は今一番上昇気流に乗っている若手の一人だそうで、オーバーな位にアクセントを要求します。冒頭の「運命の力」序曲の弦のパッセージが良い例で、奏者にもアクションを求めている感じ。

それがチャイコフスキーのロメオとジュリエットでは、まだ練り込み不足の印象を与えたとしても、やや強引にオケをドライブするので、オケとしても食いついて行かざるを得ないのです。

後半のプロコフィエフ第5交響曲は面白さの極み、特に速いテンポの第2・4楽章は痛快。オーケストラも楽しみながら演奏している様子がよく判ります。
客席も最初から沸いていました。ヴェルディからしてブラヴォが飛び交っていましたし、ルイゾッティもご機嫌。
大歓声の客席。ルイゾッティ氏、プロコフィエフのスコアを放り出してアンコール曲へ、意外に太いバリトンが“チャイコフスキー~い”。で、エフゲニ・オネーギンのポロネーズ。

この出会いは成功と言っていいでしょう。
ただし個人的には不満もあります。特にプロコフィエフ、これではまるでプロコフィエフらしさがないじゃないですか。第5交響曲は、こんなハッピーな音楽ではなかったはず。
プロコフィエフは、公式には「人間の偉大さ」を描いた、と言っています。しかし私が理解しているのは、もっと暗い、というかシニカルなプロコフィエフなんです。少し前に聴いたラザレフと日本フィルの衝撃は、決して楽天的なプロコフィエフではありませんでした。
あの超名演に比べてしまうと、何とも底の浅い音楽。

だからと言ってルイゾッティを批判しているのではありませんよ。彼は彼の個性でプロコフィエフを読んだ。その結果を正直に音にして見せたのでしょう。更に年齢と経験を積んでいけば、彼にも違った風景が見えてくるに違いありません。いや、見えてこなければ困ります。
東響に繰り返し客演してくれることを期待しましょう。

 

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