今年の第9・第二弾

私的第9の第二弾は、昨日のサントリーホール。

読売日響・第533回名曲シリーズ
 ベートーヴェン/交響曲第9番
  指揮/ヒュー・ウルフ
  ソプラノ/木下美穂子
  メゾ・ソプラノ/林美智子
  テノール/高橋淳
  バス/与那城敬
  合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/三澤洋史)
  コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
  フォアシュピーラー/鈴木理恵子

昨日(12月22日)は冬至でしたが、季節外れの暖気に包まれた首都は暦を裏切るかのよう。第9と聞けばコートの襟を立てて演奏会場に向かうのが恒例ですが、昨日ばかりは些か拍子抜けでした。

読売日響の第9はこのところ6回公演が定着しているようで、私が聴いたのは4日目。しかも4日連続の最終日で、このあと2日間の休みを挟んで2公演で〆となる予定です。演奏者にも中々負担がかかるのではないでしょうか。

読響の第9は最も頻繁に接していて、アルブレヒト、スクロヴァチェフスキ、下野、ヴァンスカなどが思い出されます。どれも優れた演奏でしたが、いつも完全に満足したわけではありません。しかしそれは読売日響と名指揮者たちというレヴェルの高さ故であって、意見が辛口になるのも致し方ないのです。

2010年の第9は、歌手陣が大きく入れ替わったのが特徴。去年と共通しているのはメゾ・ソプラノだけという陣容です。私が選んだのも、正に歌手を聴く第9と判断したからでした。
(来年も同じキャストが組まれています)

読響の第9は、これ1曲。恐らく何か方針があるのでしょうが、いつも感じるのは遅れてきた聴衆が楽章の途中で入場する煩わしさですね。

第1楽章が終われば必ず何人かがゴソゴソと入ってくるし、昨日は第2楽章の後でも数多くの人たちが席を探していました。序と言うわけでもないでしょうが、ウルフは第2楽章と第3楽章の間でソリストを入場させます。
(去年のヴァンスカやその前の下野は最初からソリストを舞台に入れていましたし、スクロヴァチェフスキは第4楽章序奏の大音量の間で秘かに登場させたと記憶しています)

第9の演奏時間は70分程度なのですから、前半に短い作品を並べて公演時間に余裕を持たせた方が良いのではないでしょうか。丹念に探せば、読響らしい「1曲」が見つかるはず。

ソリスト登場のタイミングに触れましたから、最初に技術的なこと。

まず合唱団は、日フィルと同様P席ではなく舞台奥。ソリストの位置は合唱団の前ではなく、オーケストラの前。即ち指揮者の横に立って歌うスタイルでした。

オーケストラの配置はいわゆる対抗配置。コントラバスは第1ヴァイオリンの後ろに並べられ、第2楽章冒頭のステレオ効果が満喫できます。ティンパニが舞台上手に座っているので、スケルツォの効果は一層引き立っていたようです。

ウルフは暗譜で振っていたので確認は出来ませんでしたが、プログラムにも記載があったように使用したのはベーレンライター版だったようです。それにしてはベーレンライター臭の薄い演奏で、チョッと意外な気がしたのも事実。

さて感想。

期待した歌手陣については、ほぼ満足したと言えましょう。ただし4人のバランスという点では些か疑問も残るし、歌唱スタイルも統一されていたとは思えません。演奏会が集中する年末の第9の難しい点かも知れませんね。

ウルフの指揮は、意外に平凡な印象。これまで聴いてきた読響のレヴェルから見ても満足度は低かったと言わざるを得ません。
合唱も、例えば Seid umschlungen Millionen の一節ではもっと深みのある表現が望まれるし、このコーラスなら可能なはず。やはり指揮者に力不足を感じてしまうのでした。

思うにベートーヴェンの音楽、特に晩年のそれは、モーツァルト時代と違って人間性の表現に深刻さを加えたことに偉大さがあるのだと思慮します。そのヒューマニティーの表出という意味で、2010年の読響第9は残念ながら物足りなさが残った、というのが私の結論。
ま、こういう年もあるでしょう。

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