読売日響・第494回名曲シリーズ

昨日のコンサートは読売日響の名曲シリーズ、本来のサントリーホールに帰っての開催です。
今期からこのシリーズも会員登録したのですがサントリーは初めて、芸劇と同じ辺りの席かと思ったら、随分前の方。前から6列目の中央やや右、チョッと戸惑いました。

第494回名曲シリーズ サントリーホール
シューマン/交響曲第4番
~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第10番
指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
コンサートマスター/藤原浜雄
フォアシュピーラー/鈴木理恵子

ズバリ交響曲2曲、スクロヴァチェフスキの至芸を聴く会です。
私がこのポーランドの巨匠を知ったのは、多分マーキュリーのショスタコーヴィチ第5のレコードで、その切れ味に感心したものです。
ナマでははるか昔、この読売日響の定期初登場でした。記録をひっくり返してみると1978年6月の上野、30年前ですね。音楽がどうだったかはほとんど覚えていませんが、何故かステージの光景だけは記憶に残っています。当時から独特な雰囲気があったのでしょう。

ミスターS再発見は、N響に初登場した時。1996年2月、テレビ放送で聴きました。3回の定期を振ったのですが、特別に強烈な印象を残してくれたのがシューマンの第4でした。この衝撃は大変なもので、この晦渋なシンフォニーをかくも面白く、かつ感動的に聴かせる指揮者は只者ではない。そういう直感がありましたね。以来、スクロヴァチェフスキは“出来る限り聴くべき指揮者”になりました。
今日は思い出のシューマン、それをナマで聴けるのです。

もちろん良かったですね。いや、凄かったですね。最初の二短調の和音からして響きが違うんです。音が生まれ成長していく予感、とでも言ったら良いんでしょうか。とにかく推進力がある。響きが豊か。色彩にも事欠かない。
例えば序奏、旋律線を支える対位法のラインが目に見えるように浮かんでくる。

第1楽章提示部の繰り返しを終え、マエストロはオーケストラ全体を見渡すような呼吸を置いてからタクトを振り下ろす。やや長目に響かせる展開部の第一声。アレッ、と思いましたね。でもねここ、楽譜には繰り返した後にはフェルマータが書いてあるんですね。こういう箇所、スクロヴァチェフスキは絶対に見落とさない。展開部に入ると景色が変わる。こういう演奏は素晴らしいに決まってるんです。長年の経験。

第2楽章のオーボエとチェロのデュオ。これ美しかったなぁ。このチェロ・パートは2部に分かれるように書いてあるんですが、ソロ、とまでの指定は無いんですね。マエストロはソロを採択しました。今日は毛利伯郎。そうそう、今日もチェロを内側、ヴィオラを外側に出す配置でした。明らかにスクロヴァチェフスキの指示でしょう。
で、オーボエは蠣崎耕三。私の席からは毛利氏と蠣崎氏が一つのラインとして繋がって見えたのです。チェロ-オーボエ・ライン。なぁぁぁるほどォォォ。
ということで、シューマンは大満足。これだけのシューマンを聴ける機会はそうあるものではないでしょうね。

後半のショスタコーヴィチ。これまた凄かったですよ。物理的な音量はもちろんですが、楽譜の読みの深さ。これに尽きますね。
第10は数年おきに聴いているようです。この前は同じ読響、上岡敏之の指揮でしたが、記録によると2004年3月。同じような席で聴いた定期でした。
このときは始まって直ぐ上岡氏が指揮棒を折ってしまい、最後まで棒なしで振ったこと位しか覚えていません。上岡ファンには申し訳ないけれど、これの前に聴いた名演を凌駕するまでには至らなかったですね。

その名演というのは2000年7月、広上淳一と日本フィルの定期でした。これはこれまでの第10観を完全に覆してしまう圧倒的な体験だったのですが、もう7年も昔、さすがに記憶は薄れてしまっています。
そして今回のスクロヴァチェフスキ。

思うに、第10の難関は第1楽章ですね。何しろ長い。ブツブツと暗いし、形が難解で“まだあるのかぁ、いつまでやっとるんじゃ”という事に、どうしてもなってしまうんです。
昨日のスクロヴァ翁が凄かったのは、この第1楽章の構成と音の持つ意味を全て明らかにして見せてくれた(私にはそう感じられました)ことです。

これ、何のことはなく、A-B-A-B-Aなんですね。マエストロはAとBとを明確に振り分けます。特に似非ワルツみたいなBに鏤められている装飾的な音符。例えばアクセント、ピチカート、クレッシェンド、ディミヌエンド。それらを時に短いタクトで、時に左手で、時に目による睨みで、まるで自分もスコアを見ながら聴いているかの如くに描き分けていくのです。もちろんスクロヴァ翁は暗譜。ただの暗譜じゃなく、完璧に読み込んだ結果としての暗譜。だから全ての音に意味が篭められている。
エリミーラ嬢を暗示する第3楽章のホルン・ソロ(山岸博)、第4楽章序奏部のオーボエ・ソロ(またしても蠣崎耕三)は見事、読売日響を支える名人芸も光ります。
(おぉ、オーボエ定期じゃ、と思ったくらい)

後半はホール一杯にレミドシが鳴り捲り、普通言われるようなショスタコーヴィチの暗さ、などという迷信を完全に吹き飛ばし、嗤い飛ばし、ブッ飛ばしてしまう快演。客席も大喝采でマエストロの至芸を称えたのでありました。
今やスクロヴァチェフスキは“一回も聴き逃せない指揮者”であります。

 

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