2011クラシック馬のプロフィール(7)

今回はエプサム競馬場のオークスを見事に逃げ切ったタンシング・レイン Dancing Rain の血統を取り上げます。

ダンシング・レインは、父デインヒル・ダンサー Danehill Dancer 、母レイン・フラワー Rain Flower 、母の父インディアン・リッジ Indian Ridge という血統。
父のデインヒル・ダンサーも、母の父インディアン・リッジもスタミナよりはスピードを連想する種牡馬ですから、一見するとオークスに勝つだけのスタミナには疑問を感じますが、牝系を少し詳しく見ていきましょう。

先ず母のレイン・フラワー(1997年、栗毛)は未出走馬。競走馬としての記録はありません。今年のオークス馬は、彼女の7番仔に当たります。
最初にレイン・フラワーの繁殖記録を列記しておきましょう。

2002 スモラ Sumora 鹿毛、牝、父デインヒル Danehill
2003 ダブル・レインボウ Double Rainbow 牡、父サドラーズ・ウェルズ Sadler’s Wells
2004 フリーティング・シャドウ Fleeting Shadow 鹿毛、牡、父デインヒル
2005 ミハイル・フォーキン Mikhail Fokin 牡、父サドラーズ・ウェルズ
2006 キャプテン・ダンサー Captain Dancer 栗毛、せん、父デインヒル・ダンサー
2007 不明
2008 ダンシング・レイン

初仔こそ牝馬でしたが、その後はずっと牡馬が続き、ダンシング・レインは久し振りの娘となります。
長姉スモラはイギリスで12戦2勝。ニューバリー競馬場のリステッド戦(セント・ヒューズ・ステークス、5ハロン)に勝って繁殖に上がりました。彼女の娘ラックビーレディトゥナイト Luckbeladytonight はレイン・フラワーと同期で、現役の競走馬です(マーク・ジョンストン厩舎)。

3番仔フリーティング・シャドウはアイルランドでデビューしましたが、その後サウジアラビアに転売された馬。26戦(恐らく)1勝が通算成績で、1勝はアイルランド時代、デルモット・ウェルド厩舎に所属していた時にゴルウェイ競馬場で上げた7ハロン戦でのもの。愛2000ギニーにも挑戦しましたが、10着に終わっています。

4番仔のミハイル・フォーキンもアイルランドで走った馬ですが、こちらはエイダン・オブライエン師が管理していた馬。8戦1勝の勝鞍は同じくゴールウェイ競馬場でのものですが、こちらは12ハロンのレース。愛セントレジャーと仏セントレジャーにも出走し、僚友イェーツ Yeats のペースメーカーを務めたステイヤーでした。

ダンシング・レインの全兄にあたるキャプテン・ダンサーは、今年も現役で現在まで13戦2勝。ニューマーケットのメドン戦(7ハロン)とヘイドックのハンデ戦(8ハロン)に勝ったハンデキャッパー。バリー・ヒルズ厩舎から今年はバーンズ厩舎に転厩しています。

以上、ダンシング・レインの兄弟姉妹はスプリンターからステイヤーまで様々。もちろん配合する父馬の影響もあるでしょうが、そればかりとも言えないのが血統の不思議なところ、更に遡って見ましょう。

2代母はローズ・オブ・ジェリコ Rose of Jericho (1984年、鹿毛、父アレッジド Alleged)。ローズ・オブ・ジェリコと聞いて“アッ”と声をあげる人は、余程の競馬通、血統通ですね。
そう、ローズ・オブ・ジェリコはダービー馬ドクター・デヴィアス Dr Devious (栗毛、牡、父アホヌーラ Ahonoora)の母であり、我がシンコウキング(1991年、鹿毛、牡、父フェアリー・キング Fairy King)の母でもあるからです。

ローズ・オブ・ジェリコの繁殖成績も極めてヴァラエティーに富んでおり、ダービー馬からスプリンターまで、その距離特性は一概には断定できないところがあります。
代表的なものを簡単に紹介すると、
初仔アーチウエイ Archway (1988年、栗毛、牡、父ザッチング Thatching)は父の影響を受けたスプリンターで、9戦3勝。パターン・レースはグリーンランズ・ステークス(GⅢ)に勝っただけですが、短距離のキングズ・スタンド・ステークス3着、アベイ・ド・ロンシャン賞4着のスピード馬でした。

2番仔のドクター・デヴィアスは上記の通りダービーに勝ち、愛チャンピオン・ステークス、デューハースト・ステークスと3つのGⅠを制し、愛ダービーでも2着したステイヤー。
実はドクター・デヴィアスの父はスプリンターで、ダービー馬としてはハード・リドン Hard Ridden 以来のスプリンターを父に持つダービー馬と言われたものです。
ドクター・デヴィアスは直ぐに社台ファームが購入し日本で数年間供用されましたが、ヴィクトリーバンクやアグネスハヤテオーなどのステイヤーを出す一方で、タケイチケントウ(小倉3歳ステークス、6ハロン)やロンドンブリッジ(ファンタジー・ステークス、7ハロン)のようなスピード馬に重賞勝馬が出たのも事実。真底ステイヤーという訳ではなかったと考えられます。

ローズ・オブ・ジェリコの産駒は日本にも縁が深く、上記の通り1991年生まれのシンコウキングは27戦8勝。何と言っても高松宮杯(GⅠ、6ハロン)に勝った名スプリンターとして記憶に残っている方も多いでしょう。ただシンコウキングは9ハロンの富士ステークスにも勝っているように、単純なスプリンターではなかったことにも注意が肝心です。
シンコウキングも種牡馬となり、南半球との間でシャトルとして活躍していますが、日本での産駒にはやはりスプリンターが多かったようです。

日本との関係はシンコウキングだけに留まらず、シンコウキングの全妹に当たるローズオブスズカ(1992年、鹿毛、牝、父フェアリー・キング)も日本に輸入された馬。彼女は未出走でしたが、その産駒スズカフェニックス(2002年、栗毛、牡、父サンデー・サイレンス Sunday Silence)がG戦に3勝。叔父と同じ高松宮杯を制してスプリンターとしての素質を開花させました。彼もまた阪神カップ(7ハロン)や東京新聞杯(8ハロン)でより長い距離にも適性があることを証明しています。

その他ローズ・オブ・ジェリコの産駒にはオーモンド・ステークスに勝ったロイヤル・コート Royal Court (1993年、鹿毛、牡、父サドラーズ・ウェルズ)というステイヤーの名も見られます。

因みに、シンコウキングとローズオブスズカの父フェアリー・キングは、競走馬としての実績は無いもののサトラーズ・ウェルズの全兄弟という血統を買われて種牡馬入りした馬。

2代母までかなり詳しく見てきましたが、この牝系は5代母がデューハースト・ステークスに勝ったトルペラ Torbella 、トルペラはサセックス・ステークスの覇者カールモン Carlemont の母であり、仏1000ギニー2着のボレアール Boreale の2代母でもあるという具合。
ボレアールの娘では、少なくともサクラエトワールとリピエールボレアールが日本に輸入され、先のローズオブスズカと共に同牝系を我が国に伝えています。いずれ優駿牝馬や東京優駿の活躍馬を出す可能性があるとも言えましょう。

3代母ローズ・ベッド Rose Bed (1979年、栗毛、父ノーザン・ダンサー Northern Dancer)にしても、4代母カンブリエンヌ Cambrienne (1969年、鹿毛、父シカンブル Sicambre)にしても、夫々に第一線で活躍した競走馬の母として実績を残してきた繁殖牝馬たちです。

最後に、ダンシング・レインの母とドクター・デヴィアスが極めて近い配合にあることを指摘しておきましょう。
即ちドクター・デヴィアスの父はスプリンターのアホヌーラですが、レイン・フラワー(ダンシング・レインの母)の父インディアン・リッジはアホヌーラの産駒で、これまたスプリンターだったこと。
競走馬の距離適性を、単に父や母の父だけで判断してはいけない、ということの実例でもあります。それにしても血統は奥が深く、難しいものですね。

ファミリー・ナンバーは、1-t。

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