2011クラシック馬のプロフィール(8)

昨日に続いてエプサム競馬場のクラシックを制覇した馬のプロフィール、今日はオークスとは逆にダービーを最後方から差し切ったプール・モア Pour Moi の血統です。
フランス調教馬の勝利は1976年のアンペリー(またはエンペリー) Empery 以来ですが、アンペリーはエジプト人のモーリス・ジルバー師がフランス「で」調教していた馬ですから、厳密にフランス人調教師という意味では1965年のシーバード Sea-Bird 以来のことでした。

プール・モアは、父モンジュー Montjeu 、母グイン Gwynn 、母の父ダルシャーン Darshaan という血統。
オークス馬とは逆に、父も母の父も仏ダービー馬(未だ距離が2400メートルだったころの)ですから、一目でダービー狙いの配合と言えるでしょう。

先ず母グイン(1997年、鹿毛)は今年のオークス馬同様に未出走馬で、競走成績はありません。早速その繁殖成績を見てみましょう。

2004 メイ・キールセイ May Kiersey 牝、父サドラーズ・ウェルズ Sadler’s Wells
2005 ギャノア Gagnoa 鹿毛、牝、父サドラーズ・ウェルズ
2006 ランデヴー Rendezvou 鹿毛、牡、父サドラーズ・ウェルズ
2007 不明
2008 プール・モア

最初の3年間は全てサドラーズ・ウェルズとの配合。4年目は記録が見当たりませんでしたが、4番仔か5番仔にあたるプール・モアの父はサドラーズ・ウェルズの仔モンジューですから、血統的には極めて近い兄妹となります。

グインの初仔メイ・キールセイは母と同じく未出走馬。その初産駒はデューク・オブ・マーマレイド Duke of Marmalade を父に持つプール・モアと同期の馬ですが、未だ競走実績はないようです。

2番仔ギャノアは堂々たるパターン・レース勝馬。プール・モアと同じアンドレ・ファーブル厩舎に所属して10戦3勝、2歳時(2歳まではイヴ・ド・ニコライ厩舎)にはレゼルヴォアール賞(GⅢ、1600メートル)に勝ち、ファーブル厩舎に転じた3歳時にはペネロープ賞(GⅢ、2100メートル)に勝ってクラシックに乗ります。
仏牝馬クラシック戦線はサン=タラリ賞2着、仏オークス2着(優勝はザルカヴァ Zarkava、3着はゴールディコヴァ Goldikova !!)、愛オークスにも遠征して3着とニアミス。秋は調子を落としてヴェルメイユ賞とロワイアリュー賞では着外に敗れています。

3番仔のランデヴーは5戦1勝。勝鞍はシャンティー競馬場の1600メートル戦でのもの。

2代母はヴィクトレス Victoress (1984年、鹿毛、父コンキスタドール・シエロ Conquistador Cielo)。この馬の競走成績を探しましたが、どこにも見当たりません。やはり未出走馬だったと思われます。
しかしその繁殖成績を調べると、日本にもかなり深い関係があることが判ります。主な産駒を列記すると、

1989 フェルモイ Fermoy 鹿毛、牝、父アイリッシュ・リヴァー Irish River
1992 ヴィクトリア・デイ Victoria Day 鹿毛、牝、父リファレンス・ポイント Reference Point
1993 ケイパビリティー Capability 栗毛、牝、父ナシュワン Nashwan
1995 ハイエスト・アコレード Highest Accolade 鹿毛、牝、父シャーリー・ハイツ Shirley Heights

以上は全てグインの姉たちですが、どれも錚々たるステイヤー種牡馬との配合であることに注目。ヴィクトリア・デイは未勝利馬でしたが、障害戦にも走ったスタミナ馬。その仔ヴィクトリア・ナイト Victoria Night は2勝馬で、その一つは障害レースでのものです。
また最後に挙げたハイエスト・アコレードは3戦1勝。勝鞍はリングフィールド競馬場の10ハロン戦で、決して短距離馬とは言えません。

ところで日本に関係が深いのは、初仔フェルモイと4番仔のケイパビリティー。
フェルモイは5戦2勝、ウインザー競馬場とヤーマス競馬場のいずれも10ハロン戦に勝って日本で繁殖入り。GⅢのフェアリー・ステークス(中山6ハロン)に勝ったフェリシア(2002年、牝、父グラスワンダー)を出しています。
フェルモイの重賞勝馬はフェリシアだけですが、現地で種付けしたアバンダンメント(1995年、牝、父カーリアン Caerleon)からはマッチメイト、メッサーシュミット、パリスドールと3頭の特別戦勝馬が出ています。特別勝がどれも6ハロンというのが目を惹きますね。

その他フェルモイには牝馬の産駒が多く、フェレット、スイートクレセント、フェルヴォーレ、先のフェリシアがいずれも現役の繁殖牝馬として活躍中。いつの日か東京優駿を目指す馬が出てくる可能性を残していると言えましょう。

一方のケイパビリティーは未勝利。現在はオーストラリアに輸出されてしまいましたが、フェルモイ同様に日本で繁殖にあがりました。彼女からは目立った馬が出ていませんが、その娘グラスオードリーとトーセンフィーネが繁殖に上がり、この牝系を日本に伝える役割を果たしています。

暫く日本に立ち寄りましたが、プール・モアの直系ファミリーに戻りましょう。

3代母はロイヤル・スタテュート Royal Statute (1969年、鹿毛、父ノーザン・ダンサー Northern Dancer)。カナダ産の1勝馬ですが、繁殖成績には目覚ましいものがあります。
ここでは代表的な馬だけを紹介しますが、1000ギニー2着のコナファ Konafa はハイクラスのスプリンター、プロスコナ Proskona の母となり、その娘コルヴェイヤ Korveya は、ヘクター・プロテクター Hector Protector (仏2000ギニー)、シャンハイ Shanghai (仏2000ギニー)、ボスラ・シャム Bosra Sham (1000ギニー)と3頭のクラシック馬の母となる競馬史上稀にみる快挙を達成しています。

バックパサー Buckpasser を父に持つアークレイリ Akureyri はGⅠのファウンテン・オブ・ユース・ステークスの勝馬でフロリダ・ダービーの2着馬。

そして決定打は、ダービー馬スノー・ナイト Snow Knight を父に持つアワージフ Awaasif 。1982年英国の最強3歳牝馬で、ヨークシャー・オークスやイタリアのジョッキー・クラブ大賞典に勝ち、凱旋門賞で3着に入った名牝。

アワージフも繁殖牝馬として成功、ステークス勝馬を何頭も出しましたが、中でもスノー・ブライド Snow Bride は記録上とは言えオークス馬。この年のオークスはアリーサ Aliysa が勝ったのですが、その後の薬物検査で失格、結果としてスノー・ブライドが勝者として記録されることになりました。
(この裁決を不服として、アリーサの馬主アガ・カーンは英国競馬から撤退してしまったのは有名な話)

そのスノー・ブライドが産んだのが、1995年のダービー馬ラムタラ Lammtarra 。ラムタラがゴール前で見せた豪脚は、どことなくプール・モアの劇的な追い込みを思い出させるものがあります。
ラムタラは父ニジンスキー Nijinsky の3頭目の(そして最後の)ダービー馬。
プール・モアもまた父モンジューの3頭目のダービー馬でもあることも、ラムタラとの共通点。(2005年モティヴェイター、2007年オーソライズド Authorized)

この他、このファミリーからはセント・ジェームス・パレス・ステークスのブリーフ・トラス Brief Truce 、伊2000ギニー馬アゲン・トゥモロー Again Tomorrow も出ており、「名門」と言って良いでしょう。

ファミリー・ナンバーは、22-b 。

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