サルビアホール クァルテット・シリーズ第3回

横浜楽友会主催のサルビアホール・クァルテット・シリーズ(SQS)の第3回を聴いてきました。昨日(7月4日の月曜日)のこと。鶴見に新装なった室内楽専門の小ホールです。

このシリーズは3回が一組になっていて、第1回のエクセルシオ、第2回パシフィカと続いて今回が最終回。当初はスイスからルガーノ・クァルテットが来ることになっていましたが、福島原発事故の影響で来日中止、代わって日本の若い団体であるクァルテット・アルモニコが出演することになりました。
これに伴って予めセット券を購入していた聴き手には代金の一部が払い戻しされることになり、関係者はいろいろと苦労があったようです。先ずはピンチヒッターを引き受けてくれたアルモニコに敬意を表しましょう。プログラムは以下の内容。

ハイドン/弦楽四重奏曲第39番ハ長調作品33-3「鳥」
ツェムリンスキー/弦楽四重奏曲第4番作品25
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2」
 クァルテット・アルモニコ(第1ヴァイオリン/菅谷早葉、第2ヴァイオリン/生田絵美、ヴィオラ/阪本奈津子、チェロ/富田牧子)

この団体は、私は初めて聴きました。女性ばかり4人、1995年に東京藝術大学の学生によって結成されたのだそうで、2000年に大学院を卒業してからウィーンで研鑽を積んだ由。
コンクールの受賞歴も豊富で、海外公演も数多く行っているようです。2006年にチェリストが交替し、翌年からトッパンホールで定期演奏会をスタートさせているそうな。藝大とウィーン国立大の共同プロジェクトであるハイドン全曲録音にも参加しているそうですが、その録音も聴いたことはありません。

初めて聴いた経験だけで断言は出来ませんが、残念ながら私にはピンと来ませんでした。
そもそも個人ブログに書かれる印象ほどアテにならないものはありません。これも偏屈親父のロクでもない感想と思っていただければよいので、もし関係者が読まれたのであれば、笑って聞き流してくださいな。

と予防線を張っておいて、先ずアルモニコは音が軽いというのが第一印象。それに、ホールを意識したのか音量も控え目。今回はドイツ音楽によるプログラムですが、彼の国の音楽は低音を基礎に和声を積み上げるものがほとんどなので、ズシッと腹の底に響く安定感に欠けているのです。

第二には音楽がサラサラと流れ過ぎる。テクニックは充分なので速いパッセージも苦も無く克服するのですが、出てくる音楽にメリハリが無い。
メインのベートーヴェン、最初の2小節を聴いたところで、“あれ、こういうベートーヴェン、何処かで聴いたなぁ~” と思いましたが、先日の読響定期で聴いた辻井伸行のベートーヴェンと同じスタイルであることに気付きました。詳しくはそちらを読んで頂くこととして、ドイツ音楽の特徴である(と、私は信じている)拍の強弱が全く無いために、「音」の流れはスムースながら、「音楽」に推進力が産まれてこないのですね。

私のベートーヴェンに対する考え方が古いのかも知れませんが、もう少しここに深入りすると、最近は交響楽の分野ではベートーヴェンの演奏頻度が極端に落ちてきていますね。現代はベートーヴェンのような古典の精神主義が飽きられ、もっと気楽に、感覚的に楽しめる音楽に人々の嗜好が変化してきているのでしょう。
ムード的な音楽、緊張とは縁のない音楽を好む傾向が、バロック音楽やマーラー、リヒャルト・シュトラウスのブームを生み、古典音楽についてはノン・ヴィブラートによる古楽スタイルの流行に繋がる。確か故柴田南雄氏がこの説を何処かに書かれていたと記憶しますが、私も全く同感です。

私に言わせれば、辻井やアルモニコのベートーヴェンは“ベートーヴェンじゃない” ということになるのですが、それは私の方が古いので、最早時代は彼等のようなベートーヴェンが受け入れられるように変化してきたのでしょう。そう考えなければ、辻井に対する拍手喝采は理解できません。

チョッと話が逸れましたが、ハイドンもベートーヴェンも、私には違和感が付き纏うアルモニコの演奏でした。

今回のプログラムで、私が最も楽しんだのはツェムリンスキーです。一時は世間から全く忘れられてしまったツェムリンスキーでしたが、近年は様々な指揮者や団体の尽力によってツェムリンスキー・ルネサンスなるものが世界的に起きているようです。
お蔭で私も4曲あるツェムリンスキーの弦楽四重奏曲、今回で3作品目をナマで体験することが出来ました。これはアルモニコに絶賛の拍手を贈りましょう。
(ブログには些細なことでも記録しておくもので、自分のブログを検索してエルデーディの第2、エクセルシオの第1を思い出すことが出来ました)

ベートーヴェンには感心しなかったもののツェムリンスキーは面白かった。それこそベートーヴェンについて前述したことが当て嵌まるようです。

即ち、ツェムリンスキーの第4は全部で6楽章。ツェムリンスキー自身が括弧書きしているように、これは「組曲」でもあります。構成が緩・急・緩・急・緩・急となっているのは如何にもバロック風じゃありませんか。
更に言えば、ツェムリンスキーの師はマーラーで、正に古典派の精神主義とは対極を成す感覚派の音楽。第4四重奏曲には、弟子であるシェーンベルク(浄められた夜)の引用があったり、同士ベルクの抒情組曲を模したような構成でもある。6楽章と言えば、マーラーの「大地の歌」も同じ。

ツェムリンスキーの第4は、ブルレスク(第2楽章)、アダージェット(第3楽章)、インテルメッツォ(第4楽章)、バルカローレ(第5楽章)、二重フーガ(第6楽章)など、タイトルからしてバロック的であり、音楽自体は極めて詩的で感覚的な世界。
「主題と変奏」と題されてもいる第5楽章では、危ない程に美しいメロディーも出現したりして、正に現代の音楽趣味にピッタリだと感じ入った次第です。

以上、初体験のクァルテット・アルモニコには辛口の感想になってしまいました。

第1ヴァイオリンの挨拶の後、アンコールにモーツァルトのK387からアンダンテ・カンタービレが演奏されましたが、例のタリラタリラタリラという6連音符など、正にベートーヴェンで感じたことと全く同じ。真に流れの良い古典音楽を創っていました。

もし次に聴く機会があれば、ウィーン古典派ではなく、バルトークやロシア音楽など、より感覚的な音楽で楽しみたいと思う団体です。

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