サルビアホール クァルテット・シリーズ第8回
いやぁ~、参ったまいった! 凄いものを聴いちゃいました。昨日の鶴見での一コマです。
初めて聴く、その団体名すら初めて聞いたシューマン・クァルテットの演奏会。最新事情に疎い私は、シューマンQの名前を見て、“あ、ローベルト・シューマンの名前を戴いた団体ね。ヤナーチェクQとか、ベートーヴェンQみたいに・・・”と思いましたよ。ところが違うんですね。取り敢えずこういう曲目が取り上げられました。
ハイドン/弦楽四重奏曲第66(81)番ト長調 作品77-1
ヤナーチェク/弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル」
~休憩~
シューベルト/弦楽四重奏曲第14番ニ短調D.810「死と乙女」
シューマン・クァルテット
何から行きましょうか。
今回はサルビアホールで始まったクァルテット・シリーズの第8回に当たります。3回でセットとなるシリーズのシーズン3、その2回目。
最近は都心の演奏会でもチラシが配られるようになりましたが、開場して未だ1年にも満たないサルビアホールは、既に「弦楽四重奏の殿堂」としてステイタスを獲得した、と私は勝手に思っています。
先ずは、そのチラシに注目しなければいけません。
演奏会のチラシは、出来るだけお客さんを集めるために大袈裟に宣伝するものでしょ。“神童現る”とか“世界が注目”とかね。だから眉に唾を付けて読むのが当たり前の世界ですが、サルビアのチラシは信用して良い、と私は保証しておきましょう。今回のシューマン、私もチラシの内容に期待して出掛けました。
「俊英エリック率いる天才集団、日本デビュー」という見出しで始まる4行には、11年春の大阪国際コンクールでは第2位に、パオロ・ボルチアーニ国際コンクールでもセミ・ファイナルに進出し、早くも3年後の大本命と目されている、とありました。
これ、聴いて納得です。彼らが3年後にどうなっているか、これはもう実に楽しみですね。
更に手渡されたプログラムによれば、つい先日、2月8日から16日にオーストリアのグラーツで行われた「シューベルト&現代音楽」国際コンクールの弦楽四重奏部門でも優勝したとのこと。今回は、奇しくもグラーツ制覇の凱旋公演になったことになります。
もちろん今回のプログラムはコンクール以前に決まっていたものですから、図らずも最も旬なシューベルトを聴ける機会ともなったワケ。
結成は、2007年ケルン。メンバーは、ファーストがエリック・シューマン、セカンドはケン・シューマン、アルトは日本人で後藤彩子、チェロがマーク・シューマンという面々。ヴィオラ以外はシューマン家の3兄弟で、ファーストが既にソリストとしても有名なエリック。セカンドのケンはエリックのすぐ下の弟で、チェロが三男のマーク。ヴィオラの後藤はケルン国立音大の仲間だそうです。
各個人の経歴も錚々たるもですが、これは省略。ただ、後藤は千葉県出身で参加は09年から、マークの使用する楽器はドイツの財団から貸与されている1780年製のガダニーニであることだけを付記しておきましょう。何と良く鳴るチェロであることよ。
これでメンバーの構成が判り、団体名は200年ほど前に生まれた作曲家ローベルト・シューマンから採ったのではなく、メンバーを構成するファミリーの名前だった、ということが判明しました。だから日本デビューのプログラムにシューマンの曲が無いのですね。
その「日本デビュー」は、正式には誤りでしょうか。だって大阪のコンクールで2位になっているんですから、「シューマン・クァルテット」として既に日本で音を出しているわけだし、熱心なファンなら大阪に駆け付けて聴いているはずでしょ。
ということで、今回は関東デビューが正しい表記のようですし、プロの団体として、キチンと入場料を支払った聴衆に聴いてもらうコンサートとしては日本デビューということになるかと思われます。今回のスケジュールは良く知りませんが、どうも武蔵野でも聴けるみたい。ただ武蔵野は特別な所で、固定的な聴き手だけに限定されていますから、いきなり行っても入れませんよね、確か。
男性は黒づくめ、女性も白と黒という極めて地味な衣装で登場した4人、ヴィオラが右端に座る位置で着席しました。つまりシューマン・ブラザースは歳の順に左から右に並びます。
登場した途端、隣に座った家内の眼が輝き、サッと背筋を伸ばして身を乗り出しました。つまり、イケメンなんですな。最年長のエリックでさえ1982年生まれ、次兄86年、三男88年ですから、未だ20台の若者たち。女とは何歳になっても正直ですワ、思わず苦笑。
しかし音楽が鳴り出したら、後は驚きの連続、あっという間の2時間でした。
今回の曲目は、ナマでも何度も聴いてきた弦楽四重奏の定番と言うべきものばかりですが、全体を通して感じられたのは、どれもこれまで聴いてきた演奏とは次元の違う、全く別の音楽を聴いてるような錯覚に捉われたこと。エッ、これがハイドン? クロイツェルってこういう作品だったのか!
冒頭のハイドンを見ていくと、先ずテンポが違いました。これまでそういうものかと思って聴いてきた作品が、まるで古い絵画を修復して見たように斬新に響くのです。
馬に乗って旅をするような心地良い4分の4拍子のテンポで始まるはずの第1楽章が、恰も2分の2拍子のようにグッと加速。ハイドン新幹線に乗る、というか電気自動車を操って苦も無く発進するというか。
同楽章が展開部に入り、初めて譜面に ff が登場するときの風景の変化。単なる音楽の進行ではなく、作曲者の心象までもが変わっていくドラマが感じられます。
第2楽章冒頭のユニゾン、何とも均質な音色と恐ろしいほどピタリと合った音程。共通のDNAのなせる業か。時折挟まれる休符も、単なる信号待ちじゃない。
圧巻は第3楽章メヌエット。ハイドンの66番(全部で83曲とされていた時代は81番で知られていた作品)は作曲者の最晩年の作品で、最早メヌエットにはプレストと表記されています。トリオには速度指定は無いようですが、慣習としてはトリオはややテンポを落として演奏されますよね。
ところがシューマンQは、そもそも主部を速目に開始するだけでなく、トリオ部では更に加速しての演奏。おっとりとしたトリオが、ベートーヴェンも真っ青になる様なスケルツォに豹変してしまうのでした。これには唖然。
次のヤナーチェクも凄いものでした。一々細部に触れるのは省略しますが、聴き手は一つの楽章が終わるごとに詰めていた息をホッと吐き、続く楽章をまた息を呑んで見つめる。
その連続ですから、演奏側のみならず客席の集中力も尋常ではなく、とにかく前半は聴き通すのに疲れ果てた、という印象。休憩時は自然に立ち上がり、ロビーで一息入れてしまいました。普段、こんなことはないのですが。
後半のシューベルトも、基本的には同じ。どうしても演歌を連想してしまう第2楽章も、クールな眼差しが冴えるヴァリエーションに。これが現代の、21世紀のシューベルト像でしょうか。感傷的で何処かひ弱な作曲者の姿は微塵も感じられません。
前回のボルチアーニ・コンクールではセミ・ファイナルに進出したそうですが、ファイナルまで行けなかった理由がこの辺りにあるのでしょうか。その辺りの機微は知る由もありませんが、シューマンQの「将来の大成」を期待させる余地を感じさせる演奏でもありました。
アンコール。
ヴィオラの後藤が日本語で挨拶。これが彼らの関東デビューであることを確認し、“半分は日本人”という種明かしにも接しました。彼女の言葉で、“もしかするとシューマン兄弟はハーフ?” ということに気が付きました。
そのことを、最後に披露された「浜辺の歌」で確信します。シューマン・ブラザーズには日本の血が流れている。そうでなければ、“あした浜辺をさまよえば”という詞を完全に理解しているしか思えないほど完璧なアンコールにはならなかったと思われます。
これは演奏会終了後、主催のH先生に確認しました。3人は国籍はドイツでも父がドイツ人、母は日本人で、この日もお母様が客席におられた由。あ、あの方かな。つまり、62.5%は日本文化の血が流れている団体なのです。
最後にはサイン会もあってCDも販売されていました。但し盤はエリックのリサイタル盤のみで、シューマンQとしての正式なCDは未だ無いのだそうな。プログラムには2010年にケルン国営放送でメンデルスゾーン(作品12)を録音したと記されていましたが、恐らく放送用の収録なのでしょう。正式CDデビューも時間の問題と思われます。
今後も積極的に支援、応援していきたい若手グループですね。
ところでサルビアホールのSQS、このあとはアミーチ・クァルテットが続きます。その見出しは、「真の友情によって結ばれたスーパー・クァルテット」。これも信じて出掛けましょう。
更に第4シーズンはモルゴーア(難曲に挑戦し続ける実力派)、ブラジャーク(室内楽の国チェコの最高峰)、アマリリス(メルボルン国際コンクール優勝)と続き、第5シリーズの出演団体(上海、アポロ・ムザゲート、ロータス)も決まっています。
何度も紹介してきましたが、会場のサルビアホールの音響についてはいくら褒めても褒め過ぎることにはならいでしょう。恐らく世界を見渡しても、これほど贅沢な室内楽環境は少ない、いや、無いのではないか。
このホールにしても、前回から二重扉の一つを開放して更なる音響の向上を模索しています。(後方座席により開放的な響きを得るための由)
他のホールには申し訳ない話ですが、ここで極上のクァルテットを聴いてしまうと、上野も、晴海も、飯田橋も、銀座も、虎の門も、溜池山王も出掛ける気にはならなくなります。
私がいずれヨボヨボになってコンサートに出かけることに難儀するようになった時、最後の砦として残しておきたいのが、ここ鶴見のサルビアホールでしょう。
ヴェテランから新鋭まで様々な世代の団体をバランス良く提供してくれるクァルテット・シリーズが、いついつまでも継続されることを祈念せずにはおられません。
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