日本フィル・第637回東京定期演奏会
翌日は大寒という冬真っ盛りの昨日、サントリーホールで日フィルの1月定期を聴いてきました。この日都心は初雪が舞い、外に出るのも億劫という寒さのせいか、会場にも空席が目立っていたようです。
今回は、日本では未だ余り馴染の無い中国人指揮者ラン・シュイの定期初登場。特に明記はされていませんでしたが、日本フィルが横浜定期で継続している「アジア星」シリーズの番外編と見て良いのかも知れません。もちろん私もそのナマ演奏に接するのは初めてです。
実はシュイはCDでは度々聴いている人で、スウェーデンのレーベルであるBISが集中的に録音してきたチェレプニンの管弦楽作品集を任されてきた指揮者。そのピアノ協奏曲全集では我が小川典子が共演していて、名前だけは知っているファンも多いでしょう。このレコーディングは音楽監督を務めているシンガポール交響楽団との成果でもあります。
今回のプログラムにはチェレプニンは無く、ドイツ・ロマン派の正道。ソリストも小川ではなく、彼女の親友でもある田部京子が迎えられました。以下のもの。
メンデルスゾーン/序曲「美しきメルジーネの物語」
シューマン/ピアノ協奏曲
~休憩~
ブラームス/交響曲第1番
指揮/ラン・シュイ
ピアノ/田部京子
コンサートマスター/扇谷泰朋
フォアシュピーラー/江口有香
ソロ・チェロ/菊地知也
颯爽と登場したシュイ、体格は中肉中背で指揮棒を使い、若いだけあってエネルギッシュで大きな身振りでオケをコントロールするタイプです。ブラームスのみ暗譜で振っていました。
冒頭は、如何にもメンデルスゾーンらしいロマンティックで且つ形式的に整った佳曲。先ずこれがナマで聴けたのが収穫でした。
曲目解説には書かれていませんでしたが、オペラの台本を書いたグリルパルツァーが最初はベートーヴェンと作曲交渉を持ったもの。結局は別の作曲家が歌劇化したものの失敗、偶々それを観劇したメンデルスゾーンが興味を抱いて作曲したという経緯があったはずです。
ワーグナーが「ラインの黄金」の波の動機にパクッたというクラリネットのテーマで始まる美しい音楽で、もっと頻繁に演奏されてよい一品でしょう。
シュイはやや速目のテンポ。オーケストラの澄んだ音色が、指揮者の耳の良さを感じさせます。
2曲目はメンデルスゾーンとの繋がりも深い、ロマン派の極致とも言うべきシューマン。ここからブラームスに引き継がれる流れは極めて自然で、名曲に集中した嫌いはあるものの中々に芯の通ったプログラムですね。
そして白眉はやはりシューマンでした。何と言っても田部京子が素晴らしい。
決然とした中にも気品を湛えた出だしのあと、田部はメイン・テーマをゆっくりと、慈しむように奏でます。この何とも言えずロマンティックな雰囲気がシューマンの真骨頂で、やはり田部はシューマンの人だと感服しました。
第3楽章の速いパッセージも一音一音が大切に弾かれ、オケもソロを邪魔することなく、ピアノの音が粒立ち良くホールに満たされていくのでした。
純粋に東洋人によるドイツ音楽でしたが、そこには何の違和感もありません。ブラインドで聴けば、日本のオケとソリスト、中国人指揮者の演奏とは気が付かないでしょう。
私にとって今一つ良く判らなかったのはブラームス。
音楽は自然ですし、ヴァイオリン出身の指揮者だけあってメロディーを良く歌わせるのですが、何となくブラームスらしくないのですね。これだけは完璧なドイツ語と言う訳にはいかなかった様子。
先入観だ、と言われればそれまでですが、ブラームス作曲タン・ドゥン編曲という感じ。何となく中国語を連想してしまうフレーズ創りなのです。
第4楽章がかなりの快速で、特にコーダは突っ走る勢い。これが最初から意図したテンポなのか、興に乗って勢い余っての結果なのかは判断できませんでした。
ということで旧知のラン・シュイを初めてナマ体験したコンサートでしたが、これ1回で云々は避けましょう。
プログラム掲載のプロフィール冒頭でアメリカン・レコード・ガイドの批評を引用し、「ラン・シュイがシンガポールで達成した事はセル(クリーヴランド)、ラトル(バーミンガム)と同じくらいの価値がある」と紹介されていましたが、私はそれほどの印象は受けなかった、というのが正直な感想です。
ところで今回のプログラム、何故か楽団の英語表記から「JAPAN」が漏れていました。うっかりミスでしょうが、チェック体制の綻びを指摘されても仕方ないのじゃなかろうか。
珍しいプログラムとして将来値が出るか? (んなこと、あるわけないか)
些細なことに目が留まってしまうのはメリーウイロウの悪い癖ですが、敢えて指摘してしまいました。
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