英国競馬1962(6)
今から半世紀前、1962年の英国クラシック・レースを紹介してきましたが、最後に落穂拾いとしてその他のトピックスを取り上げておきましょう。英国に留まらず海外競馬として話題になったものをいくつか。
先ずイギリスの古馬戦線で最も賞金が高いのがキング・ジョージⅥ世クィーン・エリザベス・ステークス。この年の1着賞金は23、515ポンドで、英愛を通じても5番目に高額賞金のレースでした。その後の経済成長や為替変動を考えれば隔世の感がありますが・・・。
(因みに、第1位は愛ダービー、第2位ダービー、第3位2000ギニー、第4位セントレジャーの順。1着賞金が1万ポンドを超えたのは、ハンデ戦の数鞍を除けば、タイムフォーム・ゴールド・カップ、1000ギニー、オークス、アスコット・ゴールド・カップ、エクリプス・ステークス、チャンピオン・ステークスの6鞍のみです)
この年のキング・ジョージは11頭立てで行われ、フランスのマッチ3世 Match Ⅲ が優勝、前年のセントレジャー馬オーレリアス Aurelius が2着に入りました。いずれも4歳馬です。
3歳クラシック世代で最先着(3着)したのはアイルランド産、同国でジョン・オックス師が調教したのアークティック・ストーム Arctic Storm で、愛2000ギニーを制し、愛ダービーが短頭差の2着だった馬。キング・ジョージの後はチャンピオン・ステークスでヘザーセット Hethersett プリヴィー・カウンシラー Privy Councillor の両クラシック馬を破って圧勝し、この年の最強3歳馬に選出されました。
一方マッチ3世はフランソワ・デュプレ氏の自家生産馬でフランソワ・マテ師が調教、騎手は若手のイヴ・サン=マルタンが騎乗していました。3歳時に仏セントレジャーに勝った馬で、キング・ジョージの前にサン=クルー大賞典を制し、秋には渡米してローレル・インターナショナル(やはりサン=マルタン騎乗)も制しています。
この国際的な活躍が認められ、20人の競馬ジャーナリストの投票で決まる英国の年度代表馬にも選ばれました。因みにこの投票で最強3歳牝馬に選出されたのは、オークスとヴェルメイユ賞を制したモナード Monade で、英国の賞でありながら主要なタイトルは外国勢が選ばれる結果になっています。
マイラー部門のチャンピオンに選ばれたロムルス Romulus は、既に2000ギニーとダービーでも紹介済。タイムフォームの創設者で「レースホース」で知られるフィリップ・ブル氏が生産した馬で、ダービー落馬後はマイル戦線に転じ、サセックス・ステークス、クィーン・エリザベスⅡ世ステークス、ムーラン・ド・ロンシャン賞を制覇してマイル・チャンピオンに輝きました。
他に主だった大レースでは、エクリプス・ステークスに勝ったのはヘンリー・ザ・セヴンス Henry the Seventh 。3歳時まではハンデキャップ・クラスで走っていた馬ですが、4歳でブレイクし、エクリプス優勝で頂点に上り詰めました。あくまでも10ハロンまでを得意としたスピード馬です。
長距離の頂点に立ったのは、ゴールド・カップに勝ったバルト Balto (把瑠都じゃありませんヨ)。この馬もフランス産馬でフランスで調教され、3歳時にはパリ大賞典に勝って仏セントレジャーで2着したステイヤー。4歳時にゴールド・カップを制したほか、カドラン賞(2着)、グッドウッド・カップ(3着)でも好走しています。
さて、1962年はアイルランド・ダービーの優勝賞金が大幅に加算され(1着賞金は50,027ポンド)、イギリスとアイルランドを通じて最高賞金のレースになった記念の年でもあります。前年までアイルランドのクラシックは単なるローカルの重賞に過ぎない存在でしたが、丁度50年前から一躍世界の大レースとして注目されるようになります。
その記念の年は、既に紹介したようにタンバリン2世 Tambourine Ⅱ の制するところとなります。これまたフランス産馬で、調教したのはフランスのエチエンヌ・ポレ師。2歳時は未出走でしたがデビュー以来2連勝で仏ダービーに挑戦して4着、僅か4戦目で最高賞金のクラシックを手にしました。ダービー組のラークスパー Larkspur 、セブリング Sebring に続き、前記アークティック・ストームと並ぶ15対2の3番人気からの勝利です。
タンバリン2世はこのあとキング・ジョージ、セントレジャーをいずれも取り消して凱旋門賞のトライアル戦(シャンティー賞)に臨みますが、2着敗退。その後脚部不安が発生してそのまま引退してしまいました。
フランスに目を向けると、1962年は何と言ってもサン=マルタン騎手の活躍に目が行きます。イギリスでオークス、コロネーション・カップ、キング・ジョージを制した若者は、地元フランスでは仏1000ギニーと仏2000ギニーに加えて仏オークスも制覇、クラシック5レースの内3レースを手にします。
フランス・ダービーを制したのは、後に種牡馬としても大成功するヴァル・ド・ロワール Val de Loir 。3歳シーズンは4連勝で頂点に立ったヴァル・ド・ロワールでしたが、その後は調子が下降、パリ大賞典5着、キング・ジョージ4着同着、オレンジ公賞3着と勝利から遠のきます。
凱旋門賞では回復の兆しが見える3着でしたが、ローレル・インターナショナルを目指して渡米したアメリカでマンノーウォー・ステークスに出走し、着外に敗れシーズンを終えます。
その凱旋門賞、1962年は40対1の馬が勝つ大波乱になりました。勝ったのはソルチコフ Soltikoff 。本番1週間前のアンリ・ドラマール賞で漸く未勝利を脱したばかりの馬でしたから、人気が無かったのも頷けましょう。
1馬身差2着にオークス馬モナード、首差3着ヴァル・ド・ロワール、短頭差4着のスノッブ Snob までが全て3歳馬で、古馬勢ではキング・ジョージ馬マッチ3世の5着が最高でした。
凱旋門賞で3歳馬の後塵を拝したマッチ3世でしたが、この後アメリカに渡って臨んだローレル競馬場のワシントンDCインターナショナルでは地元の強豪ケルソ Kelso とキャリー・バック Carry Back 、ロシアのザベック Zabeg などを抑えて快勝、世界最強馬のタイトルを獲得します。
なおこの年のインターナショナルには日本からタカマガハラが参戦、野平祐二騎手とのコンビで世界に挑戦しましたが、14頭立ての着外に終わりました。(公式に発表された着順は9着まで。タカマガハラは10着以降と記載されています)
最後に日本についても少し触れておきましょうか。ブラッドストック・ブリーダーズ・レヴューの1962年版には、日本の競馬が3ページに亘って紹介されています。
この年のダービーはフェアーウインが優勝、有馬記念は春の天皇賞も制したオンスロートが勝って年度代表馬に選ばれています。オンスロートは同期のタカマガハラ同様地方競馬の出身で、天皇賞はタカマガハラに先を越されていた晩成型の名馬でした。
この年のリーディング・サイアーはヒンドスタン Hindostan で、第2位がライジング・フレーム Rising Flame 。今や懐かしい昭和の高度成長期を彩った競馬シーンです。
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