東京フィル・第811回定期演奏会

昨日は、漸く春めいた気候の中、軽々とサントリーホールへ。創立100周年シーズンを迎えている東京フィルハーモニー交響楽団のサントリー定期です。
「日本の力」を終結した2月定期は、親子鷹・尾高ファミリーの音楽。次のプログラム。因縁を感じるコンサートでもありました。

尾高惇忠/オーケストラのための肖像
尾高尚忠/フルート小協奏曲
     ~休憩~
チャイコフスキー/交響曲第5番
 指揮/尾高忠明
 フルート/高木綾子
 コンサートマスター/三浦章宏

最初に個人的な話ですが、今年の初め所用があって銀座に出た際、ヤマハに立ち寄りました。楽譜売り場で邦人作品の棚を物色していて、尾高惇忠氏の「オーケストラのためのイマージュ」を発見。以前からCDで聴いて気になっていた作品で、何かの縁とゲットしました。
このときに氏の「オーケストラのための肖像」を近く東フィルで聴く予定で、最近は広上淳一が同曲を京都や群馬でも取り上げていることでもあり、こちらは店頭に無かったので発注した上で入手することが出来ました。
「肖像」は音源が手元に無いので、楽譜を眺めて自分流に想像しながらこの日を迎えたのであります。

さて身支度を整え、家を出る前の時間潰しにテレビのスイッチを入れると、5時のNHKニュースで“今年の尾高賞に尾高惇忠氏の交響曲「時の彼方へ」が受賞した”ことを知りました。何という因縁。氏の記者会見の映像も流れていましたね。
(このホットニュースは以下の記事で↓)

http://www.nhkso.or.jp/archive/award/otaka.html

確か尾高氏の受賞は二度目で、前回は「オーケストラのためのイマージュ」でした。これも先日スコアを手に入れたばかりで、何ともタイミングの良いこと。
多分今日はご本人も出席されるだろうと思いつつ会場でチケットを提示すると、私の前で入場されたのが何と当の惇忠氏ではありませんか。思わず声を掛けそうになったのを無面識なので我慢し、偶然を不思議に思いながらプログラムを開きました。

そのプログラム、前半の尾高作品はいずれも惇忠氏が曲目解説を書かれていました。読み進むと、やや、ここにも「因縁」の二文字が。一部引用すると、
“(肖像は)1993年8月12日、京響第357回定期演奏会で弟の指揮で初演されたが、そのときのプログラムが「オーケストラのための肖像」、父の「フルート小協奏曲」、そしてラフマニノフの「交響曲第2番」だった。今回は後半がチャイコフスキーの「交響曲第5番」だが、メインがロシア物であることなど、偶然とはいえ、何か因縁めいたものを感じる”と。
そう言えば、去年5月に広上が京響第546回定期でこの曲を再演した際もメインはラフマニノフの第2交響曲でしたし、同氏が先週群響第479回定期で演奏した時の組み合わせもロシア物(シェエラザード)でしたっけ。ま、京都は広上が意識的に組んだのでしょうが、いつもロシア物とのカップリングになるのは因縁なのかもしれません。

更に付け加えれば、今月のプログラム誌には片山杜秀氏の「尾高忠明の導いた成熟の時代」という一文が掲載されています。ここには尾高家の遺伝子として渋沢栄一との繋がりが紹介されていました。
渋沢家と尾高家の因縁については、我が祖父著『左傾児とその父』に詳しく書かれていることもあって、ここにも「因縁」めいたものを感じずにはおられませんでした。

前置きが長くなりましたが、どうも私はこの演奏会は聴くべくして聴いたという感じがしてなりません。そして演奏会も100%、いや120%満足するものでした。

期待の「肖像」。楽譜以外では初体験でしたが、真に構成力に優れ、推進力に満ちた名曲と聴きました。様々に鏤められた動機作法の練達していること、トムトムの強打がもたらす緊迫感、コーダの misterioso でクラリネットに登場する「小人の踊り」の謎めいたユーモア等々、一度聴いたら忘れられない印象を残します。

父君のフルート小協奏曲。これは以前に吉田雅夫氏の録音で繰り返し楽しんだ作品で、日本が産んだ名曲の一つでしょう。昭和期のややレトロな雰囲気が懐かしく思い出されますが、現在聴いてもその美しさには惹かれるものがあります。
この曲には後に2管編成に改訂された版もありますが、この日は弦とハープ、ホルン2本によって伴奏されるオリジナル版。改訂は弦楽パートの難しさを緩和するための処置だったそうですが、現代の日本のオケには全く問題にならないレヴェルです。

オリジナル版は、近年になって全音楽譜出版社からポケット・スコアが出版されました。このスコアの序文には、出版を機に原典版による演奏機会が増えることを期待する旨が書かれていますが、全く同感。この曲に限らず、日本人作曲家による優れた作品の再演機会はもっと頻繁にあるべきだと痛感したコンサートでもありました。

最後のチャイコフスキー。尾高忠明の近年の充実と、東フィルの絶好調とを如実に証明する見事な演奏でした。
私は、尾高は音楽を小奇麗に纏めるものの、作品の本質を鋭く描くには大人し過ぎるという印象を持っていました。しかし指揮者は60歳からとは良く言ったもの。正に60歳を迎えるころから尾高の音楽は変わってきました。

今回のチャイコフスキーにしても、以前の「管弦楽と一緒に歌い、楽曲を楽しむ非常にドメスチックな芸風」を基礎に置きながら、時にはアグレッシヴと思われるほど積極的に作曲家の真実に迫ろうとする意欲が感じられるようになっているのです。正に「マエストロ」と呼ばれるに相応しい円熟と評すべきでしょう。
例を挙げれば、第1楽章コーダに突入する個所(練習記号X)のホルンの強奏。譜面は f ながら、音を割るほどに強烈に吹かせました。最後の和音3発も髪を逆立てたライオンの如し。

またオーケストラもレヴェルを上げてきました。以前の東フィルは、特に管楽器には怪しい場面も時折見られたものでしたが、最近は奏者の若返りが進んだ所為か、安心して聴いていられます。いや、聴いていてスリリングな興奮が伝わってくるほど、か。
私は会員なって日が浅いので名前と顔が一致しませんが、ホルン・ソロは完璧でしたし、トランペット群の音程の確かさにも舌を巻きます。耳の良さでは世界でも屈指の尾高マエストロ、その相乗効果は素晴らしいものがありました。

何度も呼び出されるマエストロ、最後はお馴染みになったジェスチャーで、“もう時間も遅くなりました。皆さん、お寝みなさい”で、お開きに。
スッカリ定着した終了の合図ですが、これもマエストロの証でしょう。あのジェスチャーが出るまでは拍手喝采、最後はドッと沸いて、それが一夜の満足に繋がる。そういうものでしょ。

因みにこの演奏会はNHKが音声収録していて、後日NHK-FMでオンエアされる予定だそうです。私にはFMを聴く手段が無いので、今シーズンの邦人作品の演奏だけでも纏めてCD化してくれないものでしょうか。

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