サルビアホール クァルテット・シリーズ第10回
室内楽ファンのみならず、今や全クラシック音楽ファンにとって聴き逃せない企画に成長しつつある鶴見はサルビアホールのSQS、シーズン4がスタートしました。
3回セットの第一弾は「難曲に挑戦し続ける真の実力派」モルゴーア・クァルテット。実は私が彼等を聴くのは晴海のショスタコーヴィチ全曲シリーズ以来のこと。例の3日間で全曲という無謀なチャレンジでしたね。(その前に時間をかけて開催されたSQWのシリーズも大半を聴いています)
失礼ながら私はモルゴーアの定期演奏会には一度も接しておらず、今回はやや意外なプログラムに半信半疑のまま出かけたものです。へぇ~、ショスタコーヴィチだけじゃないんだ、古典もやるんだァ~。で、こんなプロ。
ハイドン/弦楽四重奏曲第62(77)番ハ長調作品76-3「皇帝」
シェーンベルク/弦楽四重奏曲第2番嬰へ短調作品10
~休憩~
シューベルト/弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810「死と乙女」
モルゴーア・クァルテット
メゾ・ソプラノ/波多野睦美
ブログでは初めて紹介すると思うので、最初にメンバーから。
第1ヴァイオリンは東フィルのコンサートマスター、荒井英治。セカンドが東京シティ・フィルのコンマス、戸澤哲夫。ヴィオラがN響の小野富士(おの・ひさし)、チェロもやはりN響から藤森亮一。
結成は1992年ですから、今年が20年の節目の年。当初セカンドはN響の青木高志でした。結成の理由はショスタコーヴィチの全弦楽四重奏曲を演奏するため、というのですから、モルゴーア=ショスタコーヴィチという私の認識も満更的外れではありますまい。
要するに全員がオーケストラの重要なポストを占めている名人たちですから、技術的に高いのは当たり前。ただ本職も忙しいメンバーたちですから、クァルテットとしての活動に時間の制限があるのは致し方ないでしょう。それを克服しての、いや楽しんでの室内楽ということかと思慮します。
やや皮肉を込めて古典もやるんだ、と書き始めましたが、オーケストラ・プレイヤーとしてウィーン音楽は躰に染みついている4人。何の違和感もありません。
それでも冒頭ハイドンの第1楽章が始まった時、私の耳は若干の抵抗を示すのです。何処となく急ぎ過ぎているようなアレグロ、しっくり耳に馴染まない合奏。恐らく黄金週間でナマ音楽から離れていたことが原因でしょう。久し振りの音楽にこちらが戸惑ったのかも。
有名な変奏曲が始まると、漸くこちらの耳もモルゴーアに馴染んできました。そうそう、彼らのショスタコーヴィチもこんな音がしていたっけ。
こんな音、というのは、モルゴーアはオケのメンバーで構成されているということ。如何にもオーケストラ的な原語で語るハイドンであり、シェーンベルクであり、シューベルトなのです。
巧く表現できませんが、彼等は所謂室内楽的な遊びに乏しく、何処までもストレート勝負。男っぽい演奏と言うか、色気が無い音楽と言うか。もちろんそれが悪いと言う意味ではなく、これがモルゴーアの特色なのです。
仮に室内楽には余り興味の無いオーケストラ・ファンが初めて弦楽四重奏を聴くとき、モルゴーアの演奏はクァルテット入門には最適なのだろう、と思われるのですね。彼らを水先案内人として室内楽ファンが増えるとすれば、こんなに喜ばしいことはありません。
もちろん最高レヴェルのプロフェッショナルによるウィーンの音楽、新しい発見もたくさんありました。
アンコールを始める前に荒井氏がスピーチされましたが(私が知っている限りではアンコール前の荒井スピーチは最高の聞きモノの一つ)、今回のプログラムはウィーンの古典から現代まで、しかも作曲された当時は聴き手に受け入れ難いほどの斬新さ、改革精神に満ちた音楽だったという共通点がある、ということ。
例えばハイドン。フィナーレに入ると突然音楽のスタイルが豹変し、チェロとヴィオラが狂ったような3連音を突き付ける。チェロのドローン上でハンガリーの民俗音楽が姿を現す様は、恰も19世紀のバルトークの如し。
しかしこの夜の圧巻はシェーンベルク。初演が大スキャンダルだったという話が伝わっていますが、今日の耳には最早古典に大幅に近付いてしまったシェーンベルク。モルゴーアは、ハイドンにしてもシューベルトにしても、もちろんシェーンベルクも初演当時の斬新さを踏まえた上で演奏していることが良く判りました。正にプロフェッショナルの仕事と言うべきでしょう。
例を挙げれば第3楽章、ここからメゾ・ソプラノがシュテファン・ゲオルゲの詩を歌うという四重奏としては異例の展開になるのですが、波多野の歌詞が明瞭に聴き取れる配慮。もちろんホールの空気感を伴った音響が素晴らしいからこそ可能なのですが、練習番号70の4小節前にあるクライマックス、声の高いfff のC音が突然2オクターヴ以上下がって p に急変する個所があります。
この歌詞は die Liebe なのですが、直前の fff にも拘わらず最後の「be」(弱音)がハッキリと聴き手に確認できるのでした。ドイツ語に限らず、「愛」は大切。「愛を取り払って平安のみを与えよ」という意味の詩ですが、細かい点に配慮を欠かさないモルゴーア/波多野の名演は貴重な体験でした。
終楽章はシェーンベルクが最初に無調に到達した作品と言われる個所ですが、後の「ピエロ」を連想させるような不気味な音世界も見事に表出されていたと思います。
アンコールは再び波多野を舞台に呼び戻し、シューベルトの歌曲から「夜と夢」が取り上げられました。以前は作品43の2と呼ばれていたもので、ドイッチェ番号は827。コリンの詩につけたもので、四重奏曲「死と乙女」の前年に書かれたもの。
もちろん伴奏を弦楽四重奏にアレンジしたもので、全員が弱音器を付けて奏でる不思議な音色はシェーンベルクにも通ずるような感じがしました。
帰路、大森駅に着いて東の空を見上げると赤黄色の不気味な満月が雲にかかり、まるでサロメが踊り出すような雰囲気。狂った春の夜に相応しいコンサートでしたね。、
まとめtyaiました【サルビアホール クァルテット・シリーズ第10回】
室内楽ファンのみならず、今や全クラシック音楽ファンにとって聴き逃せない企画に成長しつつある鶴見はサルビアホールのSQS、シーズン4がスタートしました。3回セットの第一弾…