黒猫コンサート
昨日の日曜日、一風変わったコンサートを聴いてきました。日記のタイトルにそのまんま掲げた「黒猫コンサート」というもの。会場は溝の口にある洗足学園音楽大学のビッグマウスという空間です。
御存知のように今年はドビュッシーの生誕150年の記念の年。ドビュッシーのスペシャリストである小川典子が企画した記念のコンサートが、これ。本来ならミューザ川崎シンフォニーホールで行われるはずでしたが、1年前の震災でホールが閉鎖の止む無きに至ったのは広く知られていることでしょう。
溝の口という地域は、私の子供時代の感覚では遠くて行き難い所というイメージでしたが、チラシの情報では最寄駅の大井町から直通で行けるんですね。東急大井町線に急行が導入されたの伴い、終着駅が溝の口に延長されたというワケ。なぁ~んだ近いんジャン、ということでチケットをゲットしました。全席自由席でした。
なるほど乗って見ると溝の口はあっという間。初めて降り立つ異郷に目をキョロキョロさせます。良く見知った顔にも出会ったりして、一遍にアット・ホームな気分に。
ここは東急とJRが乗り入れているため駅の周辺はゴチャゴチャしていますが、南口を目指せば目的地はシンプルです。徒歩8分(チラシによる)で洗足学園エリアに到着しますし、途中には楽器工房があったりして雰囲気は中々音楽的でした。
但し学園の構内が結構広く、ビッグマウスなるスペースまでは参道を歩かなければなりません。これが面倒という人もいるかも、ね。家内に聞いたところでは「のだめ」で有名になった場所だそうで、音痴なのは私だけみたい。
さて、黒猫コンサートの由来。言うまでもなくドビュッシーが足繁く通い、詩人や画家たちと交流を深めたパリの「クラブ・黒猫」(シャ・ノワール)に由来します。小川自身の挨拶では、今回が3回目なのだそうな。これからも続くかもしれません。
ドビュッシーのピアノ作品を詩の朗読と共に鑑賞する会で、「世紀末デカダン(退廃)ムード」が醸し出されると言う趣向。
「クラブ・黒猫」は誰が名付けたのか知りませんが、エドガー・アラン・ポーからの連想が働いたのかも知れません。英国好きのドビュッシーはそこを擽られたのかも。(ドビュッシーには未完のオペラ「アッシャー家の崩壊」もあります)
ビッグマウス(「マウス」って、mouse それとも mouth ?)というスペースはホールと言うよりはスタジオの佇まいで、急拵えの客席が階段状に組み立てられていました。140席ほどが用意されていたようです。
舞台上手に今回の朗読を受け持つ声優・森田樹優が座るテーブルが据えられ、下手にスタインウェイのピアノが設置されていました。両者が斜めに向かうように、ピアノも客席からは斜に構える形。
照明は控えめで、舞台にはクラブのポスターも見えます。語りのテーブルには酒瓶やワイングラスなども置かれてパリの雰囲気。
(朗読の森田は私には初めてでしたが、丁度一年前に小川との共演があり、再演を期していた由)
コンサートは休憩を挟んでの二部構成、前半は前奏曲集第1巻の全曲が弾かれ、後半はベルガマスク組曲から「月の光」、版画の全曲、最後に「喜びの島」という内容です。ピアノ演奏の前に、夫々の作品に関連のある詩が朗読されるスタイル。
冒頭、小川一人が登場して簡単にコンサートの主旨と進行に関する挨拶がありました。改めて出演者二人が登場、コンサートが始まります。
小川の衣裳が黒猫風だったのも笑えましたネ。
次に、作品の前に選ばれた詩作を纏めて対比させておきましょう。誰が選別したかのアナウンスはありませんでしたが、恐らくプログラムに「協力」として名前が掲載されていた島松和正氏の著作が参考になっていると思われます。あるいは島松氏のアドバイスがあったのかも。
(島松氏は九州大学を卒業された医学博士で、小説家・エッセイストでもあるという博学氏。氏には「沈める寺への誘い」や「ベルガマスク」という著作もあって、ドビュッシー研究家と言う側面もあるようです)
前奏曲集第1巻は、
第1曲「デルフィの舞姫」 (ギリシャ神話より)
第2曲「ヴェール(帆)」 (ヴェルレーヌ「やさしい歌」より)
第3曲「野を渡る風」 (ヴェルレーヌ「忘れられた小曲」より)
第4曲「夕べの大気に漂う音と香り」 (ボードレール「夕べの調べ」より)
第5曲「アナカプリの丘」 (アンリ・ド・レニエ「ヴェネチア風物詩」より)
第6曲「雪の上の足跡」 (芭蕉俳句、ロンデル「死のやすらぎに」)
第7曲「西風の見たもの」 (アンデルセン童話「楽園の庭」より)
第8曲「亜麻色の髪の乙女」 (ルコンド・ド・リール「亜麻色の髪の乙女」)
第9曲「とだえたセレナード」 (ヴェルレーヌ「マンドリン」)
第10曲「沈める寺」 (エルネスト・ルナン「幼年時代青年時代のおもいで」)
第11曲「パックの踊り」 (シェイクスピア「真夏の夜の夢」より)
第12曲「ミンストレル」 (シェイクスピア「真夏の夜の夢」より)
後半のプログラムは、
月の光 (ヴェルレーヌ「月の光」より)
版画 (ヴェルレーヌ「版画」より)
喜びの島 (ヴェルレーヌ「歌垣歌宴」より)
以上、選ばれたものの多くはドビュッシーの先輩や仲間たちの詩で、もちろん日本語訳で朗読されます。
最後にはアンコールまで準備されていて、「子供の領分」から「小さな羊飼い」。詩はウイリアム・ブレイクの羊飼いに関するものが選ばれました。
感想を纏めるのは難しいので、時間を共有しながら思い浮かべたことを並べておきましょう。
音楽を朗読と共に楽しむという試みは決して新しいことではないでしょう。演劇の中にナマ演奏の音楽を付けるというスタイルはモーツァルトやベートーヴェンの時代からありましたからね。
特にフランスでは伝統があるようで、ベルリオーズの「レリオ」などもそうでしょ。ドビュッシー自身も「聖セバスチャンの殉教」という大作を残していますし、そのピアノ作品と詩の朗読と言うスタイルにも違和感は感じられないハズ。
ドビュッシーのあともプーランク(小象ババール)やオネゲル(ジャンヌ・ダルク)に受け継がれていますし、ドビュッシーの影響を受けた武満にも語りと音楽という作品(系図)がありましたっけ。
音楽と他の芸術とのコラボレーションという試みも近年は増えているようです。
美術館でコンサートを開くというのも良く見かけますし、音楽を聴きながら「書」を披露したり、ヴィオラ独奏と版画制作の同時進行などという試みもあったやに聞いています。
これに限らず、演奏家はコンサートホールを出て、様々なスペースでジャンルを超えた「共演」にチャレンジするというのが今後の主流になるかも知れません。アウトリーチだって一種の音楽出前、小川はその活動にも熱心に取り組んできました。
とは言いながら、今回のコンサートは更なる発展の余地があったかも。使用された会場の音響がかなりデッドで、特に人声にはもう少し潤いが欲しい、とも感じられました。
また、選ばれた作品はオリジナルのピアノ曲(当たり前か)で、朗読を前提にはしていません。特に前奏曲集の作品タイトルは、各曲の最後に括弧書きで暗示されているもの。特定の詩の後に弾かれると、どうしても音楽の「内容」に先入観が入ってしまうのでした。少なくとも私には、前奏曲集はピアノだけによる演奏が好ましいと思われます。
敢えて詩を付けるなら、意味が解る日本語ではなく、純粋に言葉の響きを楽しむだけのフランス語による方が楽しめたかも。
小川典子のピアノは久し振りに聴いたので、とても懐かしく感じられました。改めて、小川はドビュッシーの人だ、と確信。特に今回は、3曲を続けて弾いた版画が圧巻。もちろん「喜びの島」も。
最後の作品は朗読も見事で、これには完全に納得です。
彼女のピアニズムの特色は、シンフォニックな構成と多彩な音色。今回もピアノでありながらオーケストラを聴いているような錯覚に陥りました。
それで気が付いたのは、ドビュッシーのピアノ曲には管弦楽編曲が多いこと。オーケストレーションを手掛けた人も、ラヴェル、ビュセール、キャプレ、アンセルメ、ガイヤールなど実に多い。
恐らくドビュッシー自身のピアノ演奏がオーケストラを連想させるものだったのでしょうし、そのようにピアノを響かせることがドビュッシー演奏の真髄だとも言えましょう。その意味でも、実に説得力のある演奏でした。
つらつら思うに、ドビュッシーは数字の「3」に拘っていたのではないでしょうか。3曲で一纏め、あるいは3の倍数で一つのセットにすることが多いと思いませんか。
前奏曲集は二巻とも3×4の12曲構成だし、版画は3曲構成。映像も1・2巻とも3曲だし、「ピアノのために」もそう。子供の領分だって3の2倍の6曲からなる組曲。
歌にも「3つのビリティスの歌」、「フランソワ=ヴィヨンの3つのバラード」、「マラルメの3つの詩」と3尽くしだし、「艶なる宴」の二つの曲集もぜぇ~んぶ3曲。
結局は全曲完成を果たせなかった室内楽の「ソナタ集」も構想は6曲だったし、完成は皮肉にも3曲。
管弦楽に目を転ずれば、「海」も「夜想曲」も3楽章だし、管弦楽のための映像も3曲。ご丁寧に真ん中の「イベリア」も3曲で出来てますし、ね。
そう考えてくると、「黒猫コンサート」の後半も3曲で構成されていましたし、真ん中の版画は3曲続けて演奏されました。
アッ、そうか。後半の「月の光」→版画→喜びの島は、「ジーグ」→「イベリア」→「春のロンド」に擬えているんだ。さすが小川典子、ここまで練り込んだプログラムなんですな。
突き詰めれば、ドビュッシーは「3」に行き着く。ドビュッシスト・小川典子の面目躍如ということでしょう。
やはり演奏会には何かの「メッセージ」が必要でしょう。黒猫コンサートには明らかに企画者からのメッセージが籠められていましたし、それが伝わってくるパフォーマンスでした。
一言で言えば、優れた音楽会ということ。
実は小川典子は英国(マンチェスター)でも「ドビュッシーの反映 Reflections on Debussy 」という連続コンサートを企画、進行していて、音楽と他の芸術とのコラボレーションが行われる予定。
そこには日本の伝統文化である「お花」や「お茶」というジャンルを超えた試みも準備されているようです。「ファッション」というサプライズがあるかも知れませんし、ね。
マンチェスターに気軽に行ける方は、是非足を運んでみては如何でしょう。今現在、チケットは完売したかも知れませんが・・・。
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