読売日響・第513回定期演奏会

読響2011-2012シーズンの掉尾を飾る3月定期は、桂冠名誉指揮者スクロヴァチェフスキ登場です。全部で3つのプログラムを5回公演、その最初に当たる3月定期を聴いてきました。
(全て聴きたい気持ちは山山ですが、当方は二人分のチケットが必要なので財布が空っぽ。それに人気の読響じゃ良い席は入手困難ですからね、泣く泣く諦めました)

ショスタコーヴィチ/交響曲第1番
     ~休憩~
ブルックナー/交響曲第3番
 指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
 コンサートマスター/小森谷巧
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

今回はショスタコーヴィチとブルックナー、どちらもスクロヴァ翁がかつて紹介してくれた作品で、プログラムの面からは新鮮さに乏しいと思って出掛けたのですが・・・。

最近はページ数が減ってきた感のある月刊オーケストラ3月号を開くと、驚くべき曲目解説が目に飛び込んできます。それは、ミスターSが、“日本の音楽誌のインタビューで、「ショスタコーヴィチは20世紀のブルックナー」と断言した。” というもの。
音楽雑誌に目を通す習慣は遥か昔に捨て去ってしまったので、これは初めて知った事実です。ショスタコーヴィチはマーラーの後継者というのが通説でしょうが、ブルックナーとの関連付けは目から鱗でしたね。
そう思って聴くと、なるほど、と膝を打つほどに説得力のあるコンサートでした。またしてもスクロヴァチェフスキに脱帽させられます。

自分のブログで検索すると、ショスタコーヴィチは2008年9月の第474回定期で取り上げられていました。3年半前のことで、そのときはブラームス第3とシマノフスキのヴァイオリン協奏曲が前半に置かれ、ショスタコーヴィチが後半のメインでした。
感想を読み返してみると、テンポの速さ、楽章間の休止、第4楽章の緻密な表現などが印象に残ったようですが、全体としては“今一つピンと来ない”という記憶しか残っていません。

人間の記憶と言うものはいい加減なもので、あのとき私は一体何を聴いていたのか、と思い知らされましたね。今回はショスタコーヴィチが圧巻、まるでこの曲を初めて聴くような衝撃に襲われました。
速いテンポ、第1・2楽章の間にほとんど休止を入れないことは前回と同じですが、作品のスケール感は前回に増して大きさを加えていたように感じられます。特に第3楽章の濃密な音空間から、小太鼓のクレッシェンドを普通より長く・大きく盛り上げてフィナーレに突入するスリルは、私にとっては新発見。
そのフィナーレの序奏部、pp から ff までの幅広いダイナミックスの中に、フルート+オーボエの音色とオーボエ+クラリネットの音色を鮮やかに対比させるマエストロの耳の良さ、ティンパニのソロを恰もカデンツァの如く奏させた衝撃、そのあとの6連音符がクレッシェンドして突入するフィナーレの高揚感など、正にマエストロが言う「20世紀のブルックナー」という視点から生み出された名演と評すべきでしょう。

第4楽章にはタムタムが二度弱音で鳴らされるように書かれていますが、スクロヴァチェフスキはその後の ff でもタムタムを強打させるアイディアを付加しているように聴き取れました。
日本流に言えば米寿、今年88歳の巨匠は老いてなお進化している。そう思いませんか?

ショスタコーヴィチに比べれば、後半のブルックナーはこれまでの延長とも聴かれます。特にサプライズは見出せませんでしたが、例によってブルックナー独特の「重さ」とは無縁の颯爽たる演奏。重さを金科玉条とする一部のブルックナー・ヲタクには受け入れられないかもしれません。
前回同様「1889年稿に拠るノヴァーク最終版をもとにして、スクロヴァチェフスキが自身のアイディアを盛り込む」解釈で、耳を凝らして聴いていましたが、自身のアイディアが何処なのかは判りませんでした。バスにトロンボーンを重ねて線を明瞭にしていたかも、とも思われましたが・・・。
マエストロのショスタコーヴィチ論から推して考えれば「ブルックナーは19世紀のショスタコーヴィチ」でもあるわけで、スクロヴァチェフスキのブルックナー演奏は、何処までも現代からクリティカルに見たブルックナーということでしょう。

巨匠の高齢に配慮してオケの雛壇を撤去してあったのは毎度のこと。今回はスコアを置いて指揮していましたが、一度も譜面を見ることはありませんでした。リスクを想定しての処置だったと思われます。
例によって最後の客席はスクロヴァ教の儀式と化しましたが、これには私は余り感心しません。

ところでプログラムにはソロ・コンサートマスターを務めてきた藤原浜雄氏と、ソロ・ヴィオラの生沼晴嗣氏との3月一杯での退団が報じられていました。両氏とも読響の看板を背負ってきた名プレイヤー、彼らの勇退にもスタンディング・オーヴェイションを捧げたいと思います。
藤原氏は3月20日の公演、生沼氏が3月13日が団員としての最後の出演の由。これらの公演を聴かれる方は、スクロヴァチェフスキにも増しての声援を送って下さいな。

個人的には藤原氏は“読響は世界でも五指に入るオケ”と言い続けてきた方、世間は信用しませんでしたが、私は氏に完全に同感していました。
また生沼氏はかつてマリカルのヴィオラを担当していた室内楽プレイヤー、「どうせ2,3年でやめるよ」と言われながらも“20年続いた”と述懐されています。現在の読響のステイタスを代弁していると思いました。

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