今日の1枚(33)

今日からベイヌム・セットに戻ります。戦後編ということで。
ナチ占領下のアムステルダムでは、コンセルトへボウ管弦楽団のプログラムにも規制がかけられていました。
メンデルスゾーンやマーラーなどのユダヤ人作曲家はもちろん、ドイツにとって敵国に当たるフランスやロシアの作品も締め出されていました。ドビュッシー、ラヴェル、チャイコフスキー、ストラヴィンスキー等々。
ベイヌム・セット6枚目は、戦争が終了して解禁された作曲家の作品が集められています。

①ドビュッシー/管弦楽のための三つの映像
②ストラヴィンスキー/「火の鳥」組曲第2番
③ラヴェル/「ダフニスとクロエ」第2組曲

演奏日付は、
①1948年12月19日
②1948年5月13日
③1954年10月11日

この解説書によると、これら放送用録音はガラス・ディスクに記録されて来ましたが、1950年以降はテープレコーダーが導入されます。しかし暫くの間は両方のシステムが併用されていた由。
戦後のものについてはテープレコーダーによる録音が増えてくると思われますが、当ディスクの①②は戦前からのガラス録音でしょう。ただしノイズはかなり減った感がしますので、幾分聴き易くはなっています。

①はベイヌムが特に愛着を持っていた作品。後に正規の録音も残しています。
ブックレットによれば、ベイヌム/コンセルトへボウは戦後だけでもこの曲を13回も取り上げている由。第2曲「イベリア」単独では何と32回にも及ぶそうです。
この3曲からなるセットは本来「ジーグ」「イベリア」「春のロンド」の順。確か正規録音もそうだったと思いますが、ベイヌムは順序を入れ替えて「イベリア」を最後に演奏することが多かったようです。この収録も例外ではありません。“芸術的な理由で”ということだそうです。

②は「第2組曲」となっていますが、「火の鳥」組曲では最も頻繁に演奏される1919年版のこと。因みに第1組曲は1911年版と呼ばれ、ユルゲンソンから出版されているもので、現在ではほとんど演奏されません。一方第3組曲は1945年版のことで、これは時々演奏されていますね。
ストラヴィンスキーはベイヌムを高く評価していて、彼が1946年にデッカに録音した「春の祭典」を“美し過ぎる”とまで絶賛したとか。この録音を聴いて同曲の改訂を決意し、今日最も普通に演奏される1947年版「春の祭典」が生まれたというエピソードがあります。この解説書で初めて知った事実。
この火の鳥でも「カッチェイ王の踊り」でベイヌムの独自性が発揮されています。冒頭のティンパニは sfff のあと直ぐに pp に落とすように楽譜では指示されていますが、ベイヌムはいきなり弱音にせず、徐々に弱める解釈。これは練習番号21の大太鼓+ティンパニも同じで、この効果はかなり衝撃的です。
この録音は、1948年のコンセルトへボウ管弦楽団創立60周年を記念した一連のコンサートでの演奏会のもの。

③は本拠地コンセルトへボウでの録音ではなく、ニューヨークの Assembly Hall of the United Nations でのライヴ収録。
コンセルトへボウ管弦楽団は、1954年の10月から11月にかけて北米ツアーを敢行しました。同行した指揮者はベイヌムとラファエル・クーベリック。この録音はその際の収録です。
1954年という年代にしては録音がイマイチなのと、素晴らしい演奏にも係わらず拍手がよそよそしく感じられるのは、本拠地の演奏・収録ではない所為でしょうか。

参照楽譜
①「ジーグ」 デュラン D&F8723
①「春のロンド」 デュラン D&F7722
①「イベリア」 デュラン D&F7723
②チェスター JWC17
③デュラン D&F7937(バレエ全曲版)

 

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